goo blog サービス終了のお知らせ 

ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-2-16(日)、あつたnagAya(ながや)

2025年02月17日 06時27分17秒 | まち歩き・散歩・まつり
室温は、10.1度(6:00)。
気温が10度超えると随分暖かく感じるものですね。

今日は熱田神宮の名鉄神宮前に新しく出来た「あつたnagAya(ながや)」に行ってきました。

永和駅8:23に出発して、名古屋で8:50東海道線に乗り換えて、熱田8:57に到着。

余り記憶はないが、熱田に降りたのは初めてのような気がする。

ほとんど休業状態でシャッター通りの古い商店街を通り抜けて行くと、名鉄神宮前の西側に新しく「あつたnagAya」の新しい店が並んでいた。

まだ時間が早かったので、開店しているのはおにぎり屋さんの「和(なごみ)」だけだったので、お握りを3つ(明太子、鶏肉そぼろ、天むす)を頼むと、厳選したお米で作りたてのお握りを一つづつ容器に入れて、いつまでも温かくとても美味しかった。


あとのお店は10時開店のようで、ゆっくり見ることができなかったのが残念。次回はもう少しゆっくりと来ようかな。

古いシャッター通りの商店街との落差が大きく、これからの熱田がどう変わるのか楽しみである。

佐屋路の熱田めぐり

先日娘が二階の部屋を少しづつ片付けてくれている荷物の中に石田泰弘さんの「佐屋路をゆく」が出てきたので、読んでみると、熱田の七里の渡しから佐屋の三里の渡しまでの佐屋街道(姫街道)を丁寧に歩く人の目線で紹介しているので、是非佐屋路を一度歩いてみたいものです。

取り敢えず、七里の渡しから熱田周辺を歩いて、尾頭橋までみようかな。


チョット健脚な人か乙女ガールのメンバーに一度声を掛けて一緒に歩いてくれると嬉しいなあ。

今日の万歩計は、7,886歩でした。
コメント (3)

2024-7-26(金)、乙女ガールの名港散策 ☀

2024年07月27日 05時35分55秒 | まち歩き・散歩・まつり
室温は、28.5度(6:00)。
朝方は曇っていたが、久しぶりのお天気になり、暑い1日となりました。
 
今日は乙女ガールのメンバーで、港の友人の快気祝いを兼ねて、築地口で集合して、友人の案内で日差しが強いので傘を指して、名港を歩いて周りました。
 
歩道にはピンクのサルスベリが咲き、元港湾会館の塀には、西築地小学校生徒たちの絵が描いてあり、友人の孫娘の絵もありました。

港沿いの堤防を歩くと、ボラが飛び跳ねていました。

遠くに名四国道の名港中央大橋を望み、初めて名港が見事に観光地生まれ変わった様子を見ました。

ポータン広場で記念撮影。

名古屋港水族館のバックヤードでは、ウミカメの飼育が行われ、自由に無料で見ることが出来ました。

ポートブリッジを渡ると、南極観測船ふじを見ることができました。


南極で生き残った太郎と次郎の銅像や錨を見ながら、カモメルームで休憩。

友人の息子がやっている「枡SARA」で天ぷら、刺し身のよくばり定食の美味しいランチにお腹がいっぱい。

友人の快気祝いが友人の名港案内散策になってしまい、声は少し枯れているが、元気に回復していることを証明してくれた。

これからもムリをせずに、人生を楽しんで貰いたいものです。

9月には、いつものように乙女ガールの山歩きで関宿から羽黒山に行くことになりました。

今日の万歩計は、8,360歩でした。







コメント

2024-7-14(日)、孫息子とみなと祭 ☁時々🌂

2024年07月15日 05時19分05秒 | まち歩き・散歩・まつり
室温は、27.2度(6:00)。
小雨が降ったり止んだりの1日で、孫息子がみなと祭りに一緒に行ってくれるというので、丁度雨がやんだ時に、永和駅まで行って、一緒に電車に乗って出掛けました。

孫息子が今年4月に港の会社に就職したので、一度一緒に港の友人の息子がやっている「桝SARA」に行こうと約束していたので、付き合ってくれました。

「日曜日だというのに会社に行くのはなんだか変だなあ」と言いながら、名古屋と金山で地下鉄に乗って、名古屋港に降り立って、すぐ近くの「桝SARA」に案内してくれました。

丁度カウンターが空いていたので、席に座り、海鮮丼と天ぷらが美味しいというので、「海鮮丼マウンテン」と「爆盛り天丼」を頼みました。


特盛なので、仲良く二人でシェアしましたが、天ぷらは目の前で揚げてくれるし、刺し身はイキイキでとても美味しく、久し振りに美味しいランチでした。

ボーナスが出たというので、孫息子がごちそうしてくれたのは初めてなので、とても嬉しかった。

近くでそれぞれの町内の神楽が練りまわって、孫息子の会社の前でも、「お祝儀ありがとうございました」と言いながら、太鼓を鳴らしながら歩いていました。

歩道にピンクや白い芙蓉の花が満開でキレイに咲いていました。


近くで珈琲を飲もうと思ったけれど、なかなか通り沿いはなかったので、築地まで歩いていくとやっと喫茶店を見つけて、珈琲を飲むと、孫息子は少し風邪気味なので帰ると言い出して、帰っていきました。

私は友人の家に行くと、旦那もいてなんやかんやと出してくれたけれど、今息子の「枡SARA」で食べて来たところと話をすると、「今年で止めて自分で来年に店を出す」というので、「また是非店が出来たら教えてね。孫息子と食べに行くからね」と頼みました。

15時から近くの公園で高六町内の山車が出て、町内を回るというので、出掛けると、もう沢山の町内の人が出て、若者や子ども達が太鼓を叩いていました。


みんなで引っ張りながら山車の上や中で大太鼓や小太鼓を叩きながら、町内を練り回りました。

動画を撮りながら歩きましたが、ブログには載せられないのが残念。

近くの介護施設の駐車場にも入って、盆踊りや子どもや若者の太鼓が披露されて、ベランダから施設の利用者が手を叩いて喜んでいました。

ポツポツと雨が降ってきたので帰りましたが、孫息子や乙女ガールにラインで動画を送りました。

子どもや若者が主役のまつりは町内を活性化して、若者が住みやすい街になりますね。

地域の活性化には若者が主役のまつりを継続してゆくことが大切ですね。

今日の万歩計は、9,842歩でした。








コメント

2024-5-30(木)、ビラ撒き終了 ☀

2024年05月31日 06時44分29秒 | まち歩き・散歩・まつり
室温は、21.2度(7:00)。
朝方は気温の割に何だか涼しさを感じる朝でしたが、日が昇る内にだんだん暖かくなって、上着が要らなくなって、半袖で過ごしていました。

暑くならない内に、最後のビラ撒きをしようと、自転車で出掛けると、中学校入口の近くに永和小中学生が描いた絵がたくさん展示していました。

勝幡駅前に展示されたいた絵を持ってきたようです。

いつまでもこの場所に展示されているといいのになあ。

名前が書いていないので、書いた本人しか分からないが、何時までも記念になります。

久し振りに旧部落のビラ撒きを行なったが、永和地区に引っ越しして、50年以上になるが、長い間ビラ撒きをしているので、誰に会っても「ご苦労さま いつまでも元気ですね」と言葉が帰って来る。

このビラ撒きを続けて来たからこそ、足腰が丈夫で歩くことが出来ることに感謝。

今日「徹子の部屋」を見ていたら、中村雅俊さんが「今日一日を大切に生きる」をモットーにしていると話していました。

私もこのブログを書きながら、「今日一日楽しく大切に生きることができたかな」と考えながら毎日を生きているような気がします。

あと何年生きることが出来るのか分からないけれど、一日一日を大切に生きることが一番です。

その日にあった楽しいことをこれからもブログに掲載しながら、一日を振り返っていけば、私の人生毎日が楽しいことばかりで、幸せな人生だったと最後を迎えることが出来るような気がします。

私のブログを読んで下さる皆さんに感謝しながら、ブログを続けて行きたいものです。

これからもよろしくご購読お願いします。

今日の万歩計は、11,318歩でした。





コメント

2023-1-12(木)、愛西支部の勝幡歴史散歩 🌞

2023年01月13日 06時06分15秒 | まち歩き・散歩・まつり
室温は、7.5度(6時10分)。
朝方からいつもより暖かい日となり、日が上るにつれて、春を思わせる日差しにホッとする。

午前中みなと医療生協愛西支部の運営委員会を行い、車に乗り合わせて、勝幡の喜久屋でランチをしました。

13時に勝幡駅の信長像の前に集合して「勝幡歴史散歩」に佐織地区のガイドボランティアの方の案内で出発しました。

愛西市の12小学校6中学校2高校の生徒による壁画に囲まれる形で、織田信秀と土田御前に抱かれた信長親子の像とガラス張りの勝幡城のジオラマが設置されていました。

支部長の手作りの旗を目印に、江戸時代にあった高札場跡が上街道の交差する場所にありました。


街道沿いに和菓子屋が4軒あったが、現在は「近江屋」1軒になりました。
津島をはじめ、近隣の市町はとても抹茶を飲む習慣が近年まであり、その影響でお茶屋やお菓子屋が沢山あったようです。

格子戸の家や旧家もあって、街道沿いの雰囲気を残していました。

詩人の梶原正之の生家もあり、住宅に囲まれた上街道の道標がありました。

福応寺を左に曲がって、3月第2日曜日に行われるオコワ祭りで有名な「勝幡神社」で、オコワの入った樽を石に打ち付けて、奪い合うお祭りで、2007年に国の無形民俗文化財に指定されました。


三宅川を渡って、日光川の近くに勝幡城址の碑がありました。

信長は信秀の3男として勝幡城で生まれたといわれています。

日光川の堤防の下に信長の祖父の碑があり、そのまま堤防を南下すると、領内川、日光川、三宅川の分岐点に小津橋、塩畑橋の南に猿尾と呼ばれる洪水を防ぐための堤が江戸時代に建設されました。


勝幡駅に戻って、2㎞ほど奥津神社まで歩きました。

奥津神社は、尾張最古の古墳を神社にして、「三角縁神獣鏡」(県指定文化財)が出土され、熱田神社に奉納されています。

帰りは、平成元年のふるさと創生の1億円で相ノ川堤防500mに桜を植えて、毎年桜祭りを開催しているそうです。

勝幡駅に帰って解散しましたが、2時間の勝幡歴史散歩は上街道や勝幡神社の奇祭や織田信長の生誕の地と巡り、地域の歴史を学ぶことができました。

やはり地元の歴史を学ぶことは、地元愛に繋がるものですね。

次回は何処に行こうかな?楽しみです。

今日の万歩計は、10,708歩でした。











コメント