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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-2-24(月)、母の命日お参りに豊田へ ⛅️

2025年02月25日 05時14分04秒 | 兄妹
室温は、4.9度(7:00)。
昨日近所の人から貰った甘夏を8等分に切って、ロウバイの脇に生えてきた枝にくっつけたら、夕方帰ってきたらもう実がなくなっていた。

メジロやヒヨドリが食べに来てくれるが、1日置きに柑橘類を刺すのはなかなか難しいが、なるべく家にいる時には与えたいものです。

今日は母の命日のお参りに豊田に行く予定をしていたので、朝から母の大島の着物を着て出掛ける。

母の命日は2月11日であったが、お互いの都合で今日行く約束をしていた。

9:49永和駅を出て、ウッカリして八田に降りるのを忘れてしまい、名古屋で東山線の地下鉄で伏見で鶴舞線に乗り換えて、豊田へ11:27に到着。

義妹が新車に乗って迎えに来てくれた。今まで乗っていた車2台を廃車して、1台を2人で乗っているようである。

仏壇で二人して御経を読んで、お参りをしました。

直ぐに用意していた海鮮丼とモヤシの入った味噌汁がとても美味しかった。

股関節を痛めて3年になるが、今も接骨院に通い、豊田市の70歳以上は無料の温水プールで週に1〜2日通ってリハビリがてら歩いているようである。

弟はピアノ調律を息子たちに任せて、ピアノを習いたい人に無償で教えに行っているので、忙しくしているようで、時々頂くお菓子類は欠かしたことがないようである。羨ましい限りである。

この時期は畑仕事は余りないようであるが、毎週水曜日に家の駐車場で野菜市を友人達と開いて、この時期は野菜を準備するのが大変なようである。

どうしても車移動に頼ってしまうので、足腰が弱くなっているようである。

弟は今年喜寿となり、兄は90歳になるが、何とか元気にしているようであるが、3年後には母の13回忌、父の50回忌をしたいが、来れる兄弟が何人になるのか寂しいが、残った4人が集まると嬉しいなあ。

長男宅で蟹鍋

17時過ぎに帰ってくると、長男の嫁から蟹鍋をするので、食べに来ないかと嬉しいラインがあったので行くと、孫息子から「なばなの里」の1人用の無料チケットをくれたので、28日に遊びに行くことにする。

長男は孫娘の様子を見に行ったのか八方へスキーに行ってまだ帰って来なかったので、
3人だけだったが、蟹鍋も美味しかったが、鍋を囲って食べるのも美味しかった。

孫息子は3月から彼女と同棲するので、息子たちも2人暮らしになるので、これからも時々食事に誘ってね。楽しみに待っています。

今日の万歩計は、5,655歩でした。
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2024-12-8(日)、姉の1周忌 ☀

2024年12月09日 05時13分24秒 | 兄妹
室温は、9.8度(6:30)。
相変わらず今日も冬型気圧配置になり、一段と寒くなっています。

布団の中からなかなか出られない。

今日は姉の1周忌が昭和区の西福寺で行われるので、母のの着物の無地の薄紫の着物に灰色の帯に黒の羽織を着ていこうと、早くから準備をして帯は二重太鼓にはならなかったが、何とか帯を結んで着付けることが出来た。

息子が12時半頃迎えに来てくれて高速で走ると、西福寺近くになると、一方通行で迷いながらも到着することが出来た。

兄、弟夫婦、姉親子も半年ぶりに会うことが出来た。

法要が始まり、住職の御経にウットリしていたら、いつの間にか焼香の順番になっていた。

住職のお話でありがとうの反対の言葉は、当たり前のことだというのです。

普段の生活の中で当たり前のことと思っているとなかなかありがたいとは思えないことです。

考えさせられる言葉に「なるほど」と思わせてくれました。

法要が終わり、15時にバスに乗り合わせて、一路瑞穂区の「木曽路」で会食になりました。

まずウーロン茶で姉に「献杯」。食事は次々に運ばれきて、やはり霜ふりの牛肉のシャブシャブは頬が落ちそうなほど美味しかった。

兄弟が集まると、義理の兄はどうしているかな?
甥の話では、義兄は住んでいた近くの施設に入所して、横になっていることが多いようですが、ディサービスに行くと入所者のお世話をしているとのことですが、以前のように元気な姿が見られず、電話してもなかなか小さな声で聞き取りにくいようで、息子や娘以外にはあいたくないと言っているようです。

先日も家族で以前姉と行ったことのある知多半島のホテルにも一緒に行ったが、うれしそうな様子がなく残念だったようです。

生きる気力がなく、「早く母のところに行きたい」と言っているようです。

我が兄弟も姉に続いて、7月30日末っ子の弟も突然死でなくし、4人になってしまったが、89歳になる兄が姉の面倒見ながら、家事を元気にやっているので、ホッとしています。

また弟の1周忌にはみんなで元気に会おうと約束して帰路に着きました。

今度みんなで会う時には、子供の頃の写真を持っていこうかな。

今日の万歩計は、6,209歩でした。

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2024-10-4(金)、実家の墓仕舞い ☂️時々☁

2024年10月05日 05時46分43秒 | 兄妹
室温は、25.8度(6:30)。
朝から雨が降っていたが、8時過ぎには雨が止み、曇り空の中歩いて永和駅まで出かけると、赤や黄色のヒガンバナが草むらの中や公園の中で咲いていました。

8時23分で名古屋に行き、9時22分の吉良吉田行の名鉄で10時に桜井駅に到着。

兄と姪が迎えに来てくれて、お墓まで行きました。

兄と姪2人と弟夫婦と甥2人8人で法行寺の住職の墓仕舞いのお経でお参りしました。

墓石には11名の名前が刻まれ、お墓の裏には、47年前の父母と兄夫婦の名前と1977(昭和52)年8月に建立したことが明記されていました。

石屋の人たちによって、墓石を処理して、骨箱には一番新しい母の白っぽい骨が一番上にあって、掘り出すと土になっているものもあり、2袋に分けて袋に入れられました。

一旦近くの「サガミ」で兄が頼んでくれた食事をしながら、それぞれ懐かしい話やお互いの近況などを話し合いました。

姉が昨年12月に、弟が7月に亡くなって、兄弟も3人だけになって淋しくなってしまったが、姪や甥がこれからは引き継いでくれることを願っています。

兄から1976年(昭和51年)に父と夫が作った家系図を渡されてました。

48年前の家系図には、弟達の結婚前だったので、妻の名前も入っていませんでした。

甥に是非この続きをパソコンに打ち込んで欲しいと頼んだが、何のために作るのかと言われてしまった。

父と夫が親戚を回って苦労して作った家系図だけにこのままでは納得がいかなくて、父からの実家の家系図だけでも、今のうちに作りたいものです。

食事後、13時30分に法行寺に行き、お寺の裏の納骨堂で骨を納めてお参りをしました。


これからはこの納骨堂にお参りすることになります。

今までより立派なお墓になって父母や先祖の人たちもホッとしていることでしょう。

本堂でお参りをして、栗きんとんとお抹茶をよばれ、法行寺は200年前に建立され、20年前に屋根の葺き替えと庫裡を改修しているとのことで、とてもきれいなお寺でした。

丁度外で墓仕舞いする時には雨が止んで、本堂でお参りする時には雨が降り出したりと空から父や先祖から見守られていることを感じた1日でした。

今日の万歩計は、12,528歩でした。


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2024-8-11(日)、盂蘭盆会施餓鬼法要 ☀

2024年08月12日 04時13分09秒 | 兄妹
室温は、30.3度(5:40)。
今日も38度を超える暑さではあったが、朝方は涼しい風が吹いていたので、早めに永和台サロンのニュースを配布する。

友人から今日大井町の法音寺で、「盂蘭盆会施餓鬼法要」があるからと誘われてたので出かけました。

7月30日に弟を、昨年12月11日に姉を、昨年6月11日に夫の妹の夫を亡くし、初盆を迎えたので、お盆の法要をするためにお参りに行きました。

法音寺は日蓮宗で、我が家は浄土宗、実家は浄土真宗大谷派でお経は違うけれど、初盆の法要することに違いはないので、お参りさせてもらいました。

今月の冊子の中に、今月の指針として「心想」という言葉は、「人生は心の持ち方次第です」と書かれていました。

人生、悪いこともいいこともいっぱいあるけれど、その人の心の持ちよう一つで、わるくも、幸せに感じることもある。

私はどちらがというと、ポジティブに何事もいいように、前向きに考えるようにしているので、あまり物事を深刻に考えることはない性格で、今が一番幸せといつも考えています。

「心想」という言葉はこんな考え方をすることの大切さを教えているんだなあ。

帰りに赤いお札を貰って帰ってきました。


墓仕舞い

兄から10月に実家の墓仕舞いをしたいと連絡がありました。

兄は88歳になり、娘二人は結婚して、後継ぎがいない事もあって、墓仕舞いを決心したようである。

安城市の檀家寺で永代供養をしてもらうことになったようである。

我が家も長崎の墓仕舞いを夫が亡くなる1年前に妹の檀家寺で永代供養をやってくれました。

最近時代の流れで、跡継ぎがいなくなって、墓仕舞いをする家が多くなリました。

家や墓などを守れる時代は、私たちの年代が最後かもしれません。

しかし、今日の住職は、「私たちが今生きているのは誰のお蔭でしょう。両親、先祖のお陰で生かされているのです」とお話されました。

両親や先祖があって、初めて私たちは生かされている。

そんなことを考えるキッカケになった盆法要でした。

夕方、ゴミ出しボランティアに行く途中、風は涼しく、空には筋雲や飛行機雲で秋空を思わせる空でした。

でも、部屋に入るとまだまだ暑くエアコンがないと眠れませんでした。
早くこの暑さから解放してほしいものです。

今日の万歩計は、8,870歩でした。




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2024-8-6(火)、弟の告別式 ☁

2024年08月07日 05時26分39秒 | 兄妹
エアコンの効いた部屋で、朝4時に目覚めて、昨日の通夜のブログを綴って、弟がどんなに甥や姪、孫達に思い出を残していったか、思い知った2日間となった。

長岡京シティホールの周りを歩いていたら、美味しそうなパン屋を見つけました。

目を覚ました弟の孫を連れて、ドッサリと買って来て、昨日泊まった弟の嫁や甥と孫と一緒に食べたら、焼き立てのせいかとても美味しかった。

でも孫はまだ眠かったのか、リクライニングシートに座って眠り始めた。

朝食を食べ終わった姪家族もやって来て、残ったパンを食べてもらった。

式場には、弟のために朝食が用意され、お棺の中に死出の旅にお腹が空かないように入れてくれるそうです。


9時ごろになると、兄と弟、甥達もやって来て、懐かしい写真を見て、弟の嫁が「これ母の写真をアルバムだよ」と教えてくれた。

母の葬式の時に弟が貰ってきたようである。

しかし、小さい頃の弟の写真ばかりであった。

やはり皆懐かしさや昔の子供の頃の様子が走馬灯のように蘇ってきます。

このアルバムは私達が生きている限りは残して欲しいものです。

弟の嫁の兄弟もやって来て、席がいっぱいになり、10時には音楽葬が始まりました。

昨日と違ったエレクトーンの演奏者によって「千の風」から始まり、「イマジン」「イエスタディ」「幸せのトンボ」「愛燦燦」などが演奏が流れてくると、自然と弟のことが思い出されて、涙が溢れています。

昨夜と同じように喪主からお焼香が始まり、一周して弟の顔を見て、お焼香をしました。

家族葬なのか、いつもより丁寧な告別式のやり方でした。

お棺に最後のお別れに、孫達の大きな泣き声につられ、涙が止まりませんでした。

顔が見えないくらい花で埋め尽くし、孫達はそれぞれジイジへの別れの手紙を入れていました。

ワゴンカーには、家族とそれぞれの兄妹の代表が乗り合わせて、京都市中央斎場へと向かいました。

京都には火葬場が少なく、近隣の市町が集まってくるので、大変な渋滞で、火葬場に入るのも大変でした。

待合室も火葬が済むのを待つ人でいっぱいで、1時間位経つと係の人が案内してくれました。

やはり突然に死を迎えたせいか骨はシッカリ残って、喉仏
や指仏も残っていました。

隣に座った孫に「ジイジの思い出がこの胸にしっかり残っているからね、時々思い出してあげてね」というと、コックリと頷いてくれました。

式場に戻ると、七夜の用意がされており、おしながきが用意され、京都料理を満喫しました。


また、大きなお供えのお菓子などが入った袋は送ってもらうことにしました。

長岡京まで送ってもらい、京都から新幹線に乗ると、あっという間に名古屋に到着。

家族や兄弟に惜しまれて、天国に召された弟は、最後は苦しまず、みんなに介護の手間もかけず、思い通りの人生だったかもしれませんが、少し早まったなあと後悔してくれてもいいような気がします。

思い出す度に涙が溢れています。只々冥福を祈るばかりです。

残された家族を空から温かく見守ってね。

これから育つ孫達の成長も楽しみにね。

私たち兄弟も昨年姉が83歳で旅立ち、弟が71歳で今回旅立ち、残された兄弟は88歳を筆頭に80歳77歳75歳の4人になってしまいました。

兄も順番なら仕方がないがといっていたが、これから誰が旅立つのか分かりません。これからしばらくは姉や弟の法事で出会うことになるが、だんだん会える機会は少なくなるが、なるべく元気で会えるのを楽しみにしています。

今日の万歩計は、7,127歩でした。


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