ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2024-2-18(日)、母の命日にお参り ☁️のち🌂

2024年02月19日 05時57分59秒 | 兄妹
室温は、13.2度(6:00)。
曇り空で時々パラパラと雨が降る日であったが、意外に暖かい1日となった。

9時に「道楽の郷」でイチゴを買って、そのまま自転車で永和駅に向かい、母の命日の1週間遅れでお参りに豊田に向かいました。

永和駅9:49の電車で向かい、八田で地下鉄に乗り換え、伏見で豊田行き10:25に乗り、11:13に豊田に到着。

弟が駅のローターリーに迎えに来てくれました。

初めて電車での豊田行きであったが、1時間20分程で到着しました。

車で来るよりも早く到着しました。

まず、仏壇にお参りをして、母が亡くなって、早いもので8年になりました。

母の最後の20年間は弟家族と過ごしました。

母がいつも言っていましたが、O型の娘や嫁と一緒に住む定めのようだ。

お互いに血液型の違いか性格の違いか、良く意見が合わなくて喧嘩したものです。

でも母も義妹も愚痴を私に殆んど言わなかったことが、20年一緒に暮らせた秘訣のだとつくづく思います。

丁度お昼になったので、野菜たっぷりの蕎麦をご馳走してくれました。

偶々弟も休みで一緒に、食事をしながら、弟はピアノの調律をしている人で、退職した高齢者の人対象に100人位の人にピアノを無料で教えていて、毎日忙しく過ごしているようです。

年に一度ピアノ演奏会をとても楽しみにピアノ練習に励んでいるようです。

88歳でビアノに初めて挑戦する高齢者もいるようです。

義妹は、毎週野菜の朝市を駐車場で行うための野菜作りを楽しんでいます。

しかし、義妹は足を痛めて歩けないのが、何だか心配です。

22年も長生きをしている飼い猫のハナは、小顔の黒のトラ猫で、腰が曲がったようにヒョコヒョコと歩く姿がとても可愛い。

昨年はもう動けなくてダメなのかと思ったら、水を飲ませると生き返ったように少しづつ元気になってきたとのこと。

庭にピンクの枝下梅が満開。メジロやヒヨドリが花の蜜を啄みに来ていました。

直ぐ隣の家に中1の孫息子と小4年の孫娘と息子夫婦がいるので、集まればとても賑やかな様子である。

義妹はスマホで無料のコミックを読み、弟はゲームを楽しんでいるようです。

毎年子供達とお盆にお墓参りの序でに母の誕生日8月15日にお参りにくるが、去年はお参りにくることができなかったが、今年はみんなで来れるといいなあ。

3月には滋賀県の日野町の末っ子の弟の家に行こうかな。

兄弟の中で一番元気な私が兄弟に会いに行ける身軽な身分だから。

帰りの電車の中で、向かいの親子連れの2歳位の子どもがチラチラと私の方を見ては、恥ずかしそうに顔を隠すのを電車を降りるまで楽しんでいました。

帰りはあっという間に帰ってきました。

毎日がボケボケ生活

今日は今まで何処に失くしたのか探していた小さなお茶入れのポットが自転車の中から出てきました。

ボケボケ生活もこんな嬉しいこともあるものですね。

今日の万歩計は、6,095歩でした。
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2024-1-23(火)、姉の49日 🌞

2024年01月24日 07時33分02秒 | 兄妹
室温は、8.2度(7:00)。
今日は姉の49日で、早めに母の着物の着付けをして、着付けの先生に来て貰い、母のお経を織り込んである帯を2重太鼓に結んで貰い、車で永和駅まで送って頂きました。

9時19分で名古屋まで行き、中央線に乗り換えて、鶴舞で地下鉄で荒畑まで行き、弟に迎えに来て貰って、昭和区の西福寺まで送って貰いました。

西福寺は村雲幼稚園を併設されており、甥や姪も通園していた幼稚園でした。

1200年前のお寺であったが、本堂は明治12年に建立されたもので、彫り物にも金箔が張られて、立派なお寺でした。

寒い日であったが、本堂にはしっかりと暖房され、椅子でお参りが出来るのは、高齢者に優しいお寺であった。

お茶と上用饅頭の餡がとても美味しく2つも食べてしまいました。

11時になると、住職お話では49日法要は満仲陰法要ともいい、亡くなってあの世に行かれた故人が無事に極楽浄土へ行けることを祈って執り行う「追善供養(ついぜんくよう)」を行うことだそうです。

住職のお話は通夜の時から、心に残るお話で、お経はとてもいい声でゆっくりと行ってくれるので心が穏やかになります。

お経の間に甥から順番にお焼香を行い、姪の孫達もキチンとお参りをしていました。

休憩を挟んで、お経が終わったのは12時過ぎでした。

バスに乗り、堀田通りの「木曽路」での食事でした。

会席のフルコースで、霜降のしゃぶしゃぶはとても柔らかくて美味しかった。


姉の影膳も写真と共に出された配慮に感動しました。

余りアルコール飲む人はないけれど、姉のお陰で兄妹4人が久し振りにゆっくりと食事をすることができました。

長男は88歳、亡くなった長女は81歳、次女は78歳、私は77歳、次男は75歳、次男の嫁は70歳、末っ子の3男は71歳、兄妹全員70歳以上になりました。

お互いに写真を取り、LINEで送りあったりして、来年の1周忌にも元気で合いましょうと別れました。

義兄は18日の鶴舞近くの施設に入所して、落ち込んでいるようであるが、早く施設生活に慣れて、元気になってくれるのを祈るだけです。

今日の万歩計は、4,449歩でした





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2024-1-11(木)、姉と母の月命日 ⛅

2024年01月12日 06時07分05秒 | 兄妹
室温は、6.9度(6:30)。
西の鈴鹿の山々もクックリと姿を見せ、伊吹山は後光が射したように、輝いて見えた。

今日は母と姉の月命日。

姉の家に大好きなイチゴを買って行くつもりであったが、義兄に断られてしまったので、行くにもいけなかったのは残念であった。

今度姉の写真も焼き増しをしておこうかな。

我が家の仏壇に手を合わせて、二人の冥福を祈りました。

まこと整形へ

薬も無くなって、まこと整形へ手首の骨折の診察に出掛ける。

まず握力を図ると、右手が10、左手が12で大分右手の握力も出てきた。

腫れも引いてきたが、一応レントゲンを撮るが、まだヒビが入っているようで、1ヶ月ほど罹るようである。電気でリハビリをして、薬を貰って帰って来た。

サロンのチラシ配り

永和台サロンのチラシを団地の南を配り、昼ごはんに「まさみ」のお好み焼きを買って来ようと自転車で出掛けると、満員で随分焼き上がるには時間がかかるようなので、諦めて家で豚鍋を簡単に作る。

午後から団地の北のチラシを配って、和らくで美味しい珈琲を飲みながら、月刊誌や新聞を読んでのんびりする。

娘豊橋のんほいパークへ

手を骨折してから娘が台所の洗い物をしてくれるようになってとても助かっています。

午後から、娘が豊橋のんほいパークに泊まりがけで行くと出掛けていきました。

どうも動植物園になっており、広い敷地で一日では見て回れないようである。

友人達と行きたいのでパンフレットを貰って来てもらうように頼みました。

最近は大学もお休みをしているようで、買い物ぐらいにしか出掛けていかなかったので、心配していただけに、楽しみを見つけて出掛けてくれるのは嬉しいことである。

昭和の名優、歌手旅立ち

ラジオやテレビの草創期から活躍した女優、中村メイコさん(89歳)が昨年12月31日に肺塞栓症のために旅立ちました。

歌手の八代亜紀さん(73歳)も12月30日、急速進行性間質性肺炎などのため、亡くなったということです。

昭和の名優、歌手が次々に天国に召されました。

昭和が遠くになりにけり。何だかとても寂しくなりますね。

今日の万歩計は、12,757歩でした






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2023-12-15(金)、居眠り磐根江戸双紙17 ☂️のち☁️

2023年12月16日 05時42分36秒 | 兄妹
室温は、12.2(5:40)。
昨夜から雨が降り続いて、グランドゴルフも中止だろうし、何だか疲れを感じて、起きるのもたいげで、ベットの中で佐伯泰英さんの「居眠り磐根江戸双紙 紅椿ノ谷」を読み上げる。

坂崎磐根は両替商・今津屋吉右衛門とお佐紀の祝言に、花嫁行列の案内役を務め、無事祝言を終える。

おこんが塞ぎ混む様子に医師からも湯治に行くことを薦められて、磐根とおこんの二人は「法師の湯」への湯治の旅へと出掛け、夫婦の契りを交わすことで元気になったおこんでした。

午前中は、15,16,17巻を「和子の読書歴」に記載する。

年賀状は「寒中見舞い」

午後から年賀状の準備をしようと、パソコンで家族の写真を載せようとしたり、文章を書こうとしていたら、姉が亡くなったばかりで、年賀状を出していいものかと思い出して検索すると、兄弟までは控えた方がいいと書いてあった。

仕方がなく「寒中見舞い」にすることにした。

家の名義変更

娘が先日の姉の通夜の後で、長男に家まで送ってもらう途中で、我が家の名義を3人のうち、長男や次男が家があるので、娘の名義にしたらどうか話を聞いたようである。

娘は自分でも管理出来るのだろうか。自分が死んだらどうなるのか心配をしているようである。

お母さんが死んだら、一人で暮らしていかなければいけないし、家があれば安心して暮らせるしと迷っているようである。

困ったことがあれば、長男たちに相談すればいいし、自分が死んだら、あと残された人で何とかするから大丈夫と話をするが、何となく心配しているようである。

手続きをするのは来年になるのだから、まあジックリと考えて決断してくれればいいと思います。

今日の万歩計は、5,627歩でした。


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2023-12-14(木)、姉の告別式 ⛅

2023年12月15日 05時23分28秒 | 兄妹
昨夜から葬儀場の姉が安置してある部屋で、義兄や甥や姪と一緒に泊まり込む。

夜遅くまで甥や姪達と話しながら過ごしたが、なかなか眠れませんでしたが、3:30頃に眼が覚めて、姉の様子を時々見ながら、ブログをつけて過ごす。

6時過ぎにコートを着込んで、近くの商店街を歩いて戻ってくると、7時には姪が起きていて、甥や義兄も起き出して来る。

親族が徐々に集まってきて、10時に早めの昼食を食べて、11時30分から告別式が始まりました。

住職の張りのある読経の中、義兄から順番にご焼香が始まり、親族だけの告別式となりました。

最後のお別れでは、沢山の花を全員で姉の回りに入れ、曾孫たちが作った鶴の折紙や姉の好きな果物を入れて、甥や姪、曾孫達の泣き声や義兄の「ばあさんありがとう」の声に涙が止まりませんでした。

やはり身内の別れは悲しいものですね。

バスに乗り込んで、イオン南陽店の直ぐ横にある7~8年前に出来た名古屋第2斎場で火葬されました。

長い間動けない身体だった割には骨もしっかり残って、喉仏もあり、全員で少しづつ骨を骨壺に入れました。

葬儀場に戻って、初七日の法要を行い、会食は前菜のあと刺身、天ぷら、茶碗蒸し等温かい物は温かく、冷たいものは冷たく次々に出てきて、とても美味しい会食でした。


姉が大事にしてきた心温まる家族に囲まれ、義兄から何度も「今までありがとう」といわれて本当に幸せな81年の悔いのない生涯でした。

「お姉さん幸せな人生で良かったね」と声を掛けたくなりました。

姉を送るに相応しい葬儀でした。

久し振りに兄や弟たちとしっかりと話が出来たことも姉のお陰でした。

「お姉さんありがとう」

今日の万歩計は、5,054歩でした。









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