ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

甥の4歳の子の49日

2012年02月27日 17時18分14秒 | ブログ

2月26日(日)、家族9人で、甥の子の49日の法要に出かける。豊田市の正信寺までカーナビで山中に入ってゆくが、順調よく到着。山寺という雰囲気のお寺で、4歳という小さな子どもの法要だけに写真を見つめているだけでも涙が出てくる。

一番かわいい盛りに、命が奪われた、家族にとっても悔やんでも悔やみきれないものがあるでしょうが、甥はしっかりと喪主の役割をしていた。住職が最後の講話で「4歳という短い命だけれど、仏としては皆さんの先輩になる。生きている人が生き抜いてこそ、一番の供養になる」という言葉は、悲しみにくれている家族には、一番の慰めの言葉である。 

その後ホテルの会食だったが、おいしい会席料理を頂いて、1歳の弟のあどけない笑顔に、みんな救われる気持ちであった。

91歳の母も出席して、1周忌にはこれないので、みんなの写真がほしいといっていたが、10月に娘の結婚式をするからみんなでお祝いの写真を取ろうと慰める。母にとってもひ孫の早すぎる死は寂しいものであろう。

今日の万歩計は、6,679歩でした。

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鏡の向こう側に

2012年02月27日 16時56分43秒 | 本と雑誌

2月25日(土)、午前中、新婦人の尾張ブロック2会議が稲沢市で行われ、愛西市を代表して3人で参加しました。会場がカーナビには掲載されていないので、電話で聞きながらやっと会場につくことができました。

今年の930日に「愛知県母親大会」が稲沢市で行うことが決定され、そのための実行委員会の打ち合わせでした。とりあえずそれぞれの地域の母親大会の取り組みについて報告しあいました。なかなかこういった集まりでもない限り、それぞれの地域母親大会の取り組み状況はあまり聞く機会がありませんでしたが、やはり各地域でがんばっている様子が伺えました。南部地域では、津島市、弥富市、あま市が欠席ですので、次回はぜひ出席してもらいたいと思いました。

図書館で「岩下志麻の着物語り」を借りたいとリクエストをしたらなく、平成2年発行の「鏡の向こう側に」という本があったので借りて読みました。

岩下志麻さんは両親とも新劇の俳優で、高校生のとき「バス通り裏」の番組で、十朱幸代さんの友人という役で、初出演。大学時代に木下恵介監督の「笛吹川」に映画初出演。篠田正浩監督の「乾いた湖」主演。その後松竹の清純女優として売り出し、篠田監督との出会いで、結婚。「家事はしない」ことが結婚の条件だった。それを許してくれた夫に感謝しているという。いくつかの主演女優賞を受賞する日本で数少ない女優で、現在でも大きな存在感のある女優です。

「鏡の向こう側に」という題名は、鏡の向こう側で試行錯誤し、鏡の中で変貌し、素晴らしい仕事との出会いを無限に夢見ていきたいとつけたということですが、いつも美しくあらんと鏡を見続けて、女優にとって鏡は自分の姿を映し出すものであるから、鏡はその日のコンディション、機嫌、高揚度も正直に映し出すものなんですね。

こういう読み物はあっという間に読み終えることができます。

今日の万歩計は、4726歩でした。

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風雪を耐えて

2012年02月26日 09時01分39秒 | インポート

24日(金)、友人に借りた「長谷川民之助さんの遺稿集「風雪を耐えて」を読みました。戦前の日本共産党の党員として生き抜いた生涯どんな悲惨なものであったか。日本共産党員として「戦争反対」住民こそ主人公」を貫くことがどんな大変なことであったのか。

 民之助さんが明治40年の名古屋市東区車道に生まれたということですが、私が小学生から大学生まですぐ近くに住んでいました。学校にでるとすぐに近くの工場に勤め、労働組合に加入したのが16歳。労働組合活動する中、学習し、社会の矛盾にも疑問を持つようになる。そんな中日本共産党の存在を知り、19歳で入党。太平戦争が激しくなる中で、何度も投獄され、意志を貫き、戦後解放される。それからは愛知県の党組織を作るために奔走し、県委員長にまでなられました。愛知の党を作ってきた先駆者だったわけです。

 私たちは先輩たちの風雪に耐えた活動の上で、私たちは安心して活動ができることは、本当にありがたいことです。

 今日の万歩計は、11,125歩でした。

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「日本の青空パート2 いのちの山河」を見て泣けました

2012年02月23日 16時39分56秒 | 映画

2月23日(木)、昨夜から雨が降っている。630分に息子が仕事に行くので、孫たちが学校に送り出すまでの間、息子の家に行く。孫たちも大きくなったものである。真曲がる末もしっかりと自分のことは自分でやれるようになった。私はただ新聞を読んでいて、孫たちの出かける支度が済むのを待っていればいいだけで、電機や戸締りのチェックも自分たちでやるようになったんです。わあすごい!感動して帰ってきました。夫もも五たちも大きくなったなあと感心していました。

二人揃って、午前中に「日本の青空パート2 いのちの山河」を見に行きました。東北岩手県の山奥で、無医村の村沢内村に戦後の憲法25条を生かすまちづくりが行われ、老人医療、子ども医療無料化の発祥地として、全国に知られた村です。主人公深沢村長はそれを村人との「行脚と対話」を続けることにより、困難をやり遂げ、医療費を無料化し、行き深い町に道路を作り、バスを走らせ、住民こそ主人公の村づくりを行ったということで、今もその精神は村に息づいているということです。

病院で息を引き取った村長が、大勢の村人に迎えられて、戻ってきたところは、涙が止まらないほどでした。横を見ると夫も珍しく、ハンカチを出して涙ぐんでいました。

コツコツでもしっかりと大地に踏ん張ってがんばれば、何でもできないことはないことを教えてくれました。

今日の万歩計は、6,915歩でした。

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傾聴ボランティア訪問事業連絡会 

2012年02月23日 16時03分34秒 | 自治体問題

2月22日(水)、午後から「傾聴ボランティア訪問事業連絡会議」が1年ぶりに行われました。1年間に9名の方の希望があり、60回訪問したということですが、特定の方の訪問で、どのような基準で訪問者を選んでいるのだろうか。まだ周知されていなくって、利用者が少ないこともあって、ボランティア登録者が29人もいるが、1度も訪問経験がない人が半分以上もいる。今後希望者が増えれば、訪問できるようになるのだろうか。あまり経験しないと、研修会で学んだことが生かせなくなるのではないかと心配である。

今日から3日間、長男の嫁が仕事の研修会に行くので、我が家に孫たちが学校から帰ってくると、とてもにぎやかである。珠には、孫たちのために食事を作るのも楽しみであり、夫は「いつもとは違ったおかずになるのでうれしい」といっている。

今日の万歩計は、5,025歩でした。

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