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ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2025-3-11(火)、14年目の東日本大震災 雨

2025年03月12日 06時23分36秒 | 核兵器・原発問題
室温は、11.9度(7:00)。
一日小雨の降るお天気で、ちょっと寒い一日であった。

図書館にリクエストしていた本を取りに行き、久し振りの「エールブランシュ」でモーニング。

ユックリとコーヒー飲んで、手作り好きな友人のお土産にシュークリームの皮を買って外に出ると、これも半年ぶりにおにぎりのキッチンカー「グラン」でホタルイカのおにぎり弁当を買ってきました。

家に帰って、初めてホタルイカのおにぎりやニンジン、レンコンれのはさみ揚げ、ホウレンソウのお浸しなどがおいしかった。

(開いてください)

5月の第2火曜日に来てくれるそうです楽しみだなあ。

14年の東日本大震災

帰って昨日の「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていると、俳優安田顕さんが行きたいと言った宮城県名取市の「かわまちてらす閖上」に来ていました。

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東日本大震災の津波に襲われた14年経った閖上地域は、新しい建物で新しい街に変わっていました。

安田顕さんは震災にあった人を探すと美容院のママから被災から命からがら逃げ出したけれど、またこの街が好きで「からまちてらす閖上」に戻って美容院を続けているとのこと。

近くに小中一貫校に孫が通っているというので、学校に行ってみるが、孫は休んでいたが、体育館で卓球クラブの中学生とスリッパで卓球すると何とか勝つことができた。

校内に大震災で亡くなった14人の碑に黙祷し、二度とこんな被災に合わないようにと祈っていました。

赤旗の潮流にもちょうど「かわまちてらす閖上」の記事が掲載されていた。

東日本大震災前には2000世帯5,700人が生活していた港町であったが、津波で住民の1割が犠牲になり、復興と共に人々の交流や憩いの場として「かわまちてらす閖上」が作られ、市街地として、新しい住宅、商業施設、学校、公園が完成し、子育て世代の移住が多く、さ新しい街が出来てきた。

一方で高台に避難し、災害公営住宅などで住む被災者は孤立や高齢化が進み、被災者が忘れられて行く現状がある。

昨年行った原発のある浪江町では、帰還困難区域は荒れ放題で何の手立てもなく復興されずに放置されています。

14年経ってもまだまだ2.7万人もの人達が故郷に帰れなくて避難している現状はどう考えていいのだろうか。

つくづく原発は無くさなければならない。しかし政府は東北電力女川原発2号機が東日本で初めて再稼動したという。

被災者置き去りの復興、まちづくりとは何か。新たな災害が次々と起きる日本の政治の在り様が問われます。

今日の万歩計は、4,925歩でした。




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2025-1-11(土)、映画「第五福竜丸」⛅️

2025年01月11日 06時03分47秒 | 核兵器・原発問題
室温は、4.8度(6:00)。
日本側沿いは平年以上の積雪に除雪の注意事項がラジオから流れてくる。我が家は平年を下回る気温だが、昨日より1度高くなっている。

1年で一番寒い時期だけれど、朝から着物の襟付けを友人にも手伝ってもらい、2枚の長襦袢の襟付けをする。

友人はさすがに内職に縫い物をしただけに、丁寧でとても早い。これからも縫い物を頼もうかな。

モーニング、ランチ兼ねて出掛けると、てんしんらんまんもみるくも休みで「和らく」に行くと、やっとモーニングに間に合ってゆっくりと雑誌を見ながら過ごす。

映画「第五福竜丸」

午後から友人に誘われて、映画「第五福竜丸」を見に行く。

1959年に新藤兼人監督が米国のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇した「第五福竜丸」の映画を公開した。

出演は宇野重吉(久保山愛吉)、乙羽信子(愛吉の妻)等有名な役者揃いで、マグロ漁船の「第五福竜丸」がビキニ環礁で1954年3月1日に米国の水爆実験に遭遇して、死の灰を浴びて焼津港に帰ってきた。

乗組員23名は顔が真っ黒にヤケドしたようで、不気味で直ぐに医療体制が引かれて、東大病院に入院し、原爆症の治療が始まったが、半年後の9月22日に久保山愛吉さんは「原水爆国の犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言して40歳の若さで亡くなる。

死の灰からウラン237、ストロンチウム90が検出される。

米国の医療団が診察に来たが、ざっと見て回るだけで、治療に携わることもなく、血液検査だけをさせよと迫る身勝手のやり方に、日本の医療団は怒り心頭であった。

現在、第五福竜丸は、東京都の第五福竜丸展示館として、1976年6月に開館され、今も第五福竜丸が保存されています。是非第五福竜丸に会いに行きたいものです。

日本中で原爆の恐ろしさを広島、長崎、第五福竜丸で体験し、大きな原水爆禁止の運動が発展し、新婦人も誕生することになる。

そして去年の被団協ノーベル平和賞につながって行きます。

今年は被爆80年の記念の年です。是非長崎で行われる原水爆禁止世界大会に参加したいものです。

今日の万歩計は、4,591歩でした。
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2024-12-14(土)、尾張南部9条の会連絡会 ☀のち☁

2024年12月15日 13時55分57秒 | 核兵器・原発問題
室温は、
寒くなってから、窓際の椅子の上に可愛いピンクの毛糸で編んだ座布団の下に湯たんぽを入れておいたら、麦ちゃんやっと気がついてくれて、ストーブを付けに行ったら、チャッカリと気持ちよさそうに眠っていました。

午前中畑に生ゴミをこんぽすとに入れに行くと、大きなカボス2個が成っているのを見つけて嬉しくなりました。

寒くなって葉が散ったせいか黄色のカボスが姿を表したのかな。

今年は1つもカボスが実らないと諦めていたので、いつもカボスの周辺の草を取って下さる近所の人にもお裾分けしました。

午後から、「尾張南部9条の会連絡会」があま市甚目寺の喫茶「ローリーポップ」の2階で行いましたが、参加者が少なかったが、それぞれの「9条の会」の報告を行いました。

「あま市9条の会」は毎月ニュースを発行して、世話人会を行い、革新懇の「映画会」に毎月「ローリーポップ」で開催して10月は「お母さんの樹」12月は「ほうせんか」を見る予定です。

津島は月の一度の天王川公園の御旅所での「スタンディングデモ」を行い、参加者が順番にマイクを持って、宣伝をしています。

革新懇の「秋の日帰り研修旅行」で豊川海軍工廠平和公園(平和交流館)と豊川稲荷へ海部郡内の市町村在住の人達と出掛けました。

1月11日に「さよなら原発in海部つしま」主催で新藤兼人監督の「第五福竜丸」を午後2時から津島民商で行います。

さや9条の会は毎月9日にピアゴの交差点で「さや9条の会スタンディング」と12月から映画会を12月20日午後1:30より共同センターで、西田敏行さんの「学校」を行います。

来年被爆80年を記念して、戦争跡地等の「研修の旅」を計画してはどうかという話になりました。

次回の3月15日までに、それぞれの会で話し合って持ち寄ることになりました。

被爆80年の懸念すべき歳にしたいものです。

今日の万歩計は、8,923歩でした。

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2024-12-10(火)、被団協ノーベル平和賞授賞式 ☀

2024年12月11日 23時50分23秒 | 核兵器・原発問題
室温は、7.1度(6:40)。
本格的冬到来。昨夜から湯たんぽを足元に入れて、暖かく眠れることが出来た。

ノーベル平和賞授賞式

ノーベル平和賞の授賞式が1ノルウェーの首都オスロで行われ、被爆者の立場から核兵器の廃絶などを訴えてきた日本被団協にメダルと賞状が授与されました。

演説を行った代表委員の田中熙巳さんは「1945年8月9日に長崎で13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅において被爆しました。

1956年8月に「原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)を結成しました。

生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないように、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたい」と訴えました。

夫は長崎で生まれ、母は悲惨な原爆の跡地を親戚の人達を探し歩いて、被爆しました。

夫は生涯を核兵器廃絶の運動を続けてきて、8年前に亡くなりましたが、きっと被団協の人達がノーベル平和賞を授賞するという記念の今日は、きっと夫と母と一緒に喜んでいることでしょう。

「ふる里Cafe個民家」でランチ

友人達と立田にある「ふる里Cafe個民家」でランチしました。久し振りのイワナの塩焼きや手作り味噌の味噌汁がとっても美味しかった。
古民家の雰囲気がとっても落ち着いて、のんびりゆったりとおしゃべりすることが出来た。

なかなか車のない生活をしていると来れない場所であるが、珠には息抜きに連れてきてもらえると嬉しいなあ。

今日の万歩計は、6,561歩でした。


 




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2024-12-7(土)、地震王国の日本には原発はいらない ☀時々☁

2024年12月08日 06時14分39秒 | 核兵器・原発問題
室温は、10.2度(6:00)。
今日は冬型気圧配置で全国的に一段と寒くなりそうである。

友人の月命日

友人の1年3ヶ月の月命日に自転車で出掛けると、善太川沿いを走ると、カモがたくさん川に浮かんでいる。

モーター付きの舟に草を積んで走っている。競争するように自転車を走らせるが、船のほうが意外に遅いものである。

15分で友人宅に到着。
ヨーグルトを持っていったが、寒いのか昨夜から台所に置いておいたが、余り固まっていないので、暖かい所に置いてもらう。

仏壇に沢山の思い出の写真が置いてある。羨ましい限りである。

旦那は最近はよく歩いているようで、先日もお天気の良い日には老人福祉センターまで歩いて行ったとのこと。

11月22,23の「日本高齢者大会inあいち」の「災害・防災・原発 能登地震から学ぶことは何か」の学習講座に参加したそうです。

能登にはいくつかの原発や活断層があり、偶々休止していたために、事故はなかったが、稼働していたら東北大震災と同じような事故を起こした可能性があった。

浜岡原発には断層が9カ所もあり、プレート型で何度も地震を繰り返して、東南海地震が起きたら、どんな被害が起こるかわからないとのこと。

地震王国の日本は原発はいらない。

サロンのチラシの配布

友人と最後の団地北地域の「永和台サロンのニュース」の配布を手伝ってもらう。

1列毎交互に配布すると、30分もかからず配布することが出来た。これからもよろしくネとお願いする。

途中、紅葉や皇帝ダリアが綺麗に咲いていたり、誰も住んでいない空家にも白いサザンカが咲いている。

今日の万歩計は、16,463歩でした。
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