ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2022-10-26(水)、津島のお寺巡り 🌞

2022年10月27日 04時14分57秒 | 名所、旧跡
室温は、14.5度。
昨日より2度も低い朝であった。
寒くて居間のストーブをつけてから着替えをする。

今日はみなと医療生協愛西支部の津島のお寺巡りに参加しました。

巡回バスで日比野駅に行き、名鉄電車で津島駅で集合。

津島の観光ガイドボランティアの方の案内で、まず天王通を暫く歩いて、観音寺へ。

副住職の御朱印の絵が有名で、ギャラリーでは干支の五黄の寅が展示されていた。


天王通を歩いて、左に曲がって宝泉寺は新しく立て替えられて、500年経つ大クスノキが見事でした。

琴や三味線などが上手になるように「糸竹の碑」に祈るといいそうです。


昔のメインストリートであった本町通に出ると、豪商渡邊家には茶室が3つもあり、むくり屋根が印象的でした。

津島街道沿いには堤下神社や通り沿いに井戸があって、昔の面影を残している。

北上して、津島観光交流センターでトイレ休憩をして、成信坊は、大きなお寺で立て替えの時の大きな屋根瓦が展示されていました。

境内には石臼に使用されていた石が敷かれていたため、俗に「ひきうす寺」とも呼ばれ、今もその一部が残っている。
信長と長島一向一揆のときに、教如上人の身代わりとなったことなどの功績から津島御坊の称号を授けられた。

津島神社の奥の宝寿院は、獅子ではなく、象の二体があり、明治の社仏分離令が出されたとき時は、逆らってお寺を維持をしていた。

津島神社の檜の皮の屋根の素晴らしさ、美しさを教わり、材料が手に入らなくて、吹替えが大変だそうです。

やはり津島を愛する人のガイドは、親切で新たな津島を知るきっかけになりました。

ありがとうございました。

今日の万歩計は、15,170歩でした。








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2021年1月4日(月)、巡回バスに乗って初詣 🌤️

2021年01月05日 05時24分16秒 | 名所、旧跡
今日は、「巡回バスの利用促進を図る会」主催の初詣に参加しました。

永和台南から11時25分の巡回バスに乗って、日比野駅に行き、名鉄電車に乗って、藤浪駅まで行きました。

佐織庁舎まで歩いて、1時間ほど隣の喫茶店でコーヒーを飲んで時間を潰しました。

新佐織庁舎に初めて来たら、バス停のところに佐織町50年周年記念の碑が建っていた。

メンバーと集合して、佐織庁舎から13時31分の八開コースのバスに乗って、町方町松川(デリカ前)に到着。

10分ほど歩いて、姥ヶ森社に行くと、小さな社だが地域の人達によって「茅の輪くぐり祭」が行われたのか、8の字に回って、参拝。



また15分ほど歩いて、町方駅14時32分に佐織南ルートに乗って、五軒家に到着。

しばらく川沿いに歩くと、古いお寺や松の木が見えてきた。

近くにメンバー夫母のお墓があり、お参りする。

「和」の字の入った素敵なお墓で「私のお墓みたい」と思わず出てしまった。

昨年亡くなった母親の告別式は家族葬で行われて参加できなかったので、お参りできてよかった。

しばらく歩くと、津島街道に出て釜地蔵寺に参拝。


なかなか由緒あるお寺で中の釜地蔵を見ることは出来ないが、「尾西弘法二十一大師 第六霊所」と石柱が建っていた。

佐織庁舎まで行く途中で、メンバーと別れて、藤浪駅で名鉄電車で日比野駅に戻ってきました。

30分ほど待って、15時58分の佐屋南ルートのバスに乗って、16時09分に永和台南に到着して帰ってきました。
暖かいお天気で気持ちのいい初詣でした。

草履の口が開いてしまったが、両面テープを借りてくっ付けたら、何とか帰るまでもって助かりました。

着物を着ての初詣でしたので、草履の裏が痛くなってしまったが、来年は巡回バスに乗って、何処に初詣に行くのか楽しみです。

今日の万歩計は、17,348歩でした。(よく歩きました)






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2020年9月30日(水)、巡回バスと観光船の旅 🌞

2020年10月01日 05時18分42秒 | 名所、旧跡
今日は、「巡回バスの利用促進を図る会」主催の「巡回バスと観光船に乗る木曽川・長良川の旅」に参加。

8時53分に立田コースの巡回バスで、市役所を出発して、葛城バス停に降りて、20分1キロ歩く。

木曽川の堤に出て、観光船乗り場の立て看板があり、下りて行く。

9時45分観光船ボランティアの方に、ライフジャケットをもらって乗船。


乗船すると、風が気持ちがよく、中堤や多度、鈴鹿の山々がとても綺麗。

ボランティアガイドの方から、木曽川の流れを緩和するために、「ケレップ水制」が明治に作られて、残存するのは木曽川だけになったと説明がありました。


木曽川から見る立田大橋の景色は格別です。

木曽川と長良川に渡るために、水位の違いで船頭平閘門が明治に作られて、鐘を鳴らすと、「木曽川から船が来ました」と放送があり、4枚の扉がゆっくりと開く。


長良川の水位になると、扉が開くと長良川に出る。



江戸時代に薩摩藩が長良川に改修の為に多くの犠牲者の供養の治水神社ができ、千本松原が植えられた。

長良川をUターンして、閘門に帰ってトイレ休憩をすると、水上スキーの若者と一緒に閘門をわたりました。


バスの関係で、半日の旅でしたが、木曽川・長良川の歴史を学べて楽しい旅となりました。

今日の万歩計は、9,160歩でした。
9月の万歩計は、220,068歩で、
1日平均7,502歩でした。




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2020年6月25日(木)、関宿 ☁️時には🌂

2020年06月26日 05時30分47秒 | 名所、旧跡
今日は曇り空であるが、友人とお嫁さんのお母さんの三人で、東海道五十三次の四十七番目の宿場町「関宿」に出掛けました。

先ず名古屋駅に集合して、9時06分の関西線の快速に乗って、亀山まで行き、かわいい一両列車に乗り換えて、一区間乗って関に到着。

三人で列車に乗って、お喋りをしていると直ぐに、「静かにしてください」と若い人から言われてしまった。

4人座れる席に荷物をおいて、二人の高齢者を立たせてまま言うんです。

少しムッとして無視をしてしばらくお喋りをしていた。

「三人寄れば何とやら」という諺を知らないだろうか。

こんな若者がいると思うと、残念である。

運転手に切符を渡して、降りました。ここも自動改札口はないので、改めて電話で聞いて切符を買っておいたので、何事もなく下りることが出来た。

男性と一緒に、1号線を渡って、北に向かって歩くと、街道に突き当たりました。

関宿は旧東海道では、唯一歴史的な町並みが残る宿場町で、昭和59年に、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、古い町家が200軒ほど残されています。

特に三重県唯一の宿場町なので、国の援助もあって、保存されているようです。

三重県の銀行で、私もお世話になっている百五銀行も古い建物になっていました。


左に曲がって、東の追分まで歩いていくと、とりいがあったが、トイレ休憩したいというので、戻ると、「いっぷく亭」があって、人がお喋りをしているのが聞こえた。

戸を開けてみると、地元の人が3人おしゃべりをしてが、「どうぞ一服していってください」というので、トイレも行きたいので、お邪魔してしばらく話が弾んだ。

東の追分のところに大きな鳥居があったが、伊勢神宮が20年に一度に替える鳥居を毎回ここに持ってくると行くことです。
アッ鳥居を写してるのを忘れてしまった。

しばらく戻って、食事をするところを探したが、今日はお休みが多くて、一番西の「会津屋(あいづや)」で、おこわとざるそばを食べる。

つけ汁が辛いのが残念。

突然夕立のような雨が降ってきて、ビックリしたが、小止みになって、残りの宿場町を歩く。

家々の軒下には、色んな花が咲いて、観光客を歓迎してくれた。

三重県はお正月のしめ縄が一年中玄関に飾ってあり、どうしてかなと聞いても、適切な回答がなかったが、年末や正月のどんど焼きに燃やして、厄を払うのだそうです。


西の方には、元宿をやっていた家には、白壁を塗ってある家がいくつかあった。

帰りにコーヒーを飲みたいと探したが、休業中だったので、駅に戻って、近くの道の駅「関宿」で、電車が来るまでのんびりとする。

鈴鹿亭で巻き寿司をお土産に買おうと思ったら、休憩時間で残念‼️

この近くに蓮の公園を地元の人たちが手入れをしているということで、駅にも蓮が咲いているカメがおいてあった。

午後2時59分に関を発って、亀山で乗り換えて、私は弥富で乗り換えて永和駅まで帰ってきました。

来月もまだまだ知多四国の旅は始まりそうにないので、ゆったりと豊田の笹戸温泉の「紫翠亭とうふや」で一泊しようかという話になった。

また3人で行けるのが楽しみである。

今日の万歩計は、11,237歩でした。






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2020年6月22日(月)、ブラタモリ ⛅

2020年06月23日 05時03分53秒 | 名所、旧跡
息子の駐車場のツバメの第2回目の巣作りで、ヒナが孵っていました。

先週土曜日の「ブラタモリ」の
旅のお題「福井のルーツは"消えた都市"にあり!?」を再放送を見る。

NHKの「麒麟がくる」で丁度一乗谷の朝倉氏に預けられた明智光秀の場面を放映されているときである。

なぜ戦国時代100年ほど繁栄が続いた朝倉氏の城下町一乗谷が消えたのかタモリさんがブラブラ歩いて解き明かしてくれました。

一乗谷の入り口には、一番狭い所に城下町の入り口に城戸があり、敵に攻め込められないようになっている。

地の利を生かして、繁栄した朝倉氏の凄さを目の当たりにしました。

織田信長に攻められて、消失したが、長い間水田に利用されていたので、綺麗な形で残り、国の特別史跡に指定され、一乗谷の城下町が復元されている。

焼き出された一乗谷の人達が福井市に移り住んで、一乗町で代々受け継いでいる。

歴史好きな私には、堪らない放送でした。

是非今度青春18切符を使って、一人旅をしたいものです。

今日の万歩計は、8,559歩でした。






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