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居酒屋マラニックの歴史

2018年01月10日 09時24分11秒 | 日記

「居酒屋マラニック」というウルトラマラニックが10数年前に始まった。

「居酒屋マラニック」とは、熊本・福岡・北九州のウルトラマラソン好きな居酒屋の大将の店を走って回ろうというもの。このころはウルトラマラニックが流行りだし、多くの好きもんが集まった。現在60歳台の人達がまだ50歳ぐらいで元気モリモリのときだった。

ウルトラ好きの福岡の仲間が考えたもので、総走行距離270kmの超ウルトラマラニック。簡単にできるものではない。2005年から始まった。

●2006年は熊本→博多→北九州155kmのコースだった。私は第1回東京マラソンに参加するため(大会の1週間前だった)、これには参加せず。

●2007年は博多→熊本→北九州275kmの超ウルトラコース。

博多の居酒屋「二升瓶」を福岡組10名ほどで深夜スタート。翌日午後に熊本の居酒屋「さくら」にゴール。その夜は宴会して翌朝再スタート。

再スタートは熊本組約10名も参加して飯塚経由で北九州へ。翌日午後に八幡区の居酒屋「とり正」に到着。夜はとり正で宴会をして21時の高速バスで帰熊・・・・という計画

博多ー熊本120km、熊本ー北九州155km。すべて走ると275km。4日ががりの大マラソンである。最後まで走り続けられたのは、確か3人(飲兵衛さんとシナちゃんとクラちゃん?)だったと思う。我々熊本組は熊本・北九州の155kmのみを走った。

上野、田代、松原、岩本、福地、谷川、松枝、坂本あっこさんの8名。

●2008年は、北九州・福岡・熊本の選手がみな大分を目指して走るという、おもしろい試み。

北九州チームは小倉から南下して大分へ。熊本チームは九州横断して大分へ。福岡チームはいろいろあり、一つは北九州経由で大分へ。あとは熊本へ来て熊本チームと合流。

熊本組は田代、松原、上野の3名。福岡組は丸野、長野、倉掛、福地、なごやんの5名。これに北九州からとり正の大将、福岡の二升瓶の大将、小倉から澤田さんも走った。ゴールの健康ランドでは10数名のランナーで大盛り上がりでした。

●2011年は「二升瓶さよならマラニック」。福岡の「二升瓶」がこの年で閉店。最後にもう一回お店に行こうということで計画。

熊本「さくら」から17名でスタート。途中参加を入れると、北は東京から南は沖縄まで30名の参加となりました。

●2013年は「さくらさよならマラニック」。熊本の「さくら」がこの年で閉店。最後にもう一度居酒屋マラニックをしようということで計画。

博多駅から12名(九爆女5名)で熊本までランニング。さくらではてれっとのメンバーも集まり大盛況でした。

しかし、これで三大居酒屋の2つが閉店となり、居酒屋マラニックは終了してしまいました。

・・・・・・それから5年、2018年、今年です。2007年にやった、熊本→八幡「とり正」のマラニックをもう一度やってみようという意見が仲間うちから出たので、10年前の資料を元にやってみることにしました。

コースが以前と少し変わっていましたが、山間は以前と変わっていませんでした。なつかしかった。熊本から8名でスタートして、途中参加もあり、とり正での打上には12名のランナーが集まってとても楽しく、なつかしいマラニックになりました。

また、来年も行こうという話もあります。行きましょう!

http://www.ultramaranic.sakura.ne.jp/xa18torimasa.html

 

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