kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

振り返る~自省を込めて2~

2020-09-26 | 陸上競技

続き。

 

前の記事に書いたような状況が続きました。うちの学校でしかわからない部分が大きいと思います。一生懸命にやりたいと願う選手もいます。一度崩れた走りをどうすれば戻せるのかをもがきながら探している選手も。その選手のために「何かしてあげたい」という気持ちはありました。限られた時間の中で「何かをしてあげたい」という部分。

 

私自身が競技指導に集中できない状況がかなり続きました。8月に入ってまだ怪しい部分は残りましたが少しずつできるかなという感じになってきました。しかし、そんなに簡単には変わりません。暑さもありました。走練習をするという段階になると「マイナス発言」が出てくるようになりました。「きつい」「疲れた」というだけではない。なんとなく「走らせるのが悪いのか」という気持ちが自分の中で出てきました。もともとうちの練習はそれほどの量を走りません。走らない中で少し走ると「マイナス」な部分が出てくる。ほとんどやっていない量の中でも気が付けば最後まで練習ができる選手は数人となっていました。

 

こんな状況で「走り込み」はできない。短い距離の練習を少しだけすると「足が痛い」という者が続出。本当に痛いのだとは思います。しかし、この本数で「足が痛い」「怪我をする」という状況になると「走る練習は出来ない」という状況になります。陸上競技部なのに「走る練習ができない」のです。もちろん、練習の組み方にも問題があるのかもしれません。しかし、本当にほとんどやっていない状況で「離脱者」が出てくる。最後まで練習ができる選手は限られてくる。雰囲気作りがダメだったのかもしれません。これは出すようになっていましたが「強くなるための練習」ができたかどうかといえば残念ながらできていないと言わざるをえない。

 

そういう状況だったので「走る本数」を大幅に減らしました。前任校でやっていた練習を10とすれば今の学校ではもともと7くらいしかやっていませんでした。昨年はそれが5くらいになっていたでしょうか。ここ最近は2くらいだったと思います。こんなに走らない陸上競技部はあるのか??という感じでした。

 

例年であれば夏には「強化合宿」をします。その中で「しっかりと走る」ということができる。他校と比べてうちが走っていないというのを痛感する場面が出てきます。それにより選手自体が「もっとしっかりとやらなければいけない」という自覚が芽生えます。少し走ったくらいで弱音を吐くようなことはなくなります。今年はそれさえも実施できませんでした。それが悪循環を生む。

 

ある日の練習。補強や動きの確認をして「二次加速スティック3本」「10バトン2本ずつ」「25並走1本ずつ」「合流走1本ずつ」、ここから補強をして「90×2本」という感じ。これで「かなり走った日の練習」です。もちろん、補強などのダメージはあると思います。しかし、実際に走っているかどうかといえば「ほぼ走っていない」のです。それでも90mが終わった後には倒れこみます。この状況を見ると「もう少し走ったほうがいいんだが・・・」という気持ちがなくなります。私が心を鬼にして「まだできる」とイニシアティブをとってやっていけばよかったのかもしれませんが、このご時世「パワハラ」と言われるかもしれません。私自身を突き動かすエネルギー自体がなくなっていたのもあると思います。「そこまでしてやらなくてもいいじゃないか」という部分がありました。

 

卒業生や他校の選手が来た時に「環境が恵まれている」「指導が受けられる体制がある」と口々に褒めてくれていました。が、その中にいる人間にとってはそれが分かる日はなかなか来ないのです。これは選手が悪いという意味ではありません。他校と比べてみて自分たちがどんなことをやっているのかというのが分からない。ある程度の技術的なことをやってそれを「走りに落とし込む」必要があります。が、実際に走らないとそれは出来ない。全く走らない状況で走るのが速くなるというのは難しいのです。これなら「技術的なこと」をほとんど理解せずに「ひたすら走る」練習を積んでいたほうが手っ取り早合い気がします。わからないけど「走っていたら速くなる」というほうが「やった感」は出ます。

 

こういう状況で試合に出る。やはり力は出ません。根本的な部分で負けていると思いました。これは私自身がもっとやっておかなければいけなかったのかもしれません。選手の中には「心から強くなりたい」と思って取り組んでいる選手も複数います。が、それが「自分の枠の中」だけという場合が多い。何もしなくても速い選手は速い。態度が悪くても練習が適当でも「走ったら速い」という部分があります。それはいかんともしがたい。

 

うちの女子が試合の時に各方面から褒められていたようです。「気持ちのいい挨拶をする」という部分。これは選手たちが自主的にやっていることです。作られた「挨拶」ではななく笑顔で大きな声で挨拶をする。私に「挨拶をしなさい」と言われているからではなく自分たちで必要だと思ってやる。ここは大きなことだと思います。だからこそ「速くなってもらいたい」という部分はあります。きちんと努力しているのだからそれが形となって出てほしい。

 

試合が終わってそのことを全体に話しました。「走る本数が少なくなっていた理由」も含めて。批判的な部分だととらえられるかもしれません。しかし、私自身も一人の人間です。何もないところから大きく育てていくことは不可能です。「小さな芽」でもあればそれは可能だと思っています。何度も繰り返し言ってきましたが「嫌ならやななければいい」という部分です。私に怒られるから、指摘されるから「やる」というのでは誰も幸せになりません。それなら「やらない」という選択をするほうが随分まし。そう思っています。

 

なんとなく思っていたことを言葉にしてみました。不適切なのかもしえません。このご時世ですから検閲が入るのかもしれません。そうなったら本当にblog自体を書く必要性は亡くなります。普通の人間が喜んだり苦しんだりする。それを言葉にすることさえ許されないのであれば、何かを発信する必要性もないですし誰かと関わることさえ不要かもしれません。

 

まとまりません。記録しておきます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

振り返る~自省を込めて~

2020-09-26 | 陸上競技

本当に更新できませんでした。遊んでいるわけではないのですが。本当に厳しい時間です。力尽きて食事をとることさえできない感じでした。もっとうまく仕事を回せばいいのかもしれませんが。「授業」だけが我々の仕事ではありません。当然ですが。見えない仕事が山積みです。面接練習なども入ってきて本当に余力がなくなっています。

 

県新人が終わりました。今回は本当に「惨敗」という感じがあります。うまく表現できませんが。選手に申し訳ないなという感覚があります。

 

実際、4月の初めまでこれまでになく「いい感じなっている」と思っていました。県内で戦うという感じではなく本当に「勝負する」ことができるなと思って意気揚々としていました。が、4月上旬にコロナ関係ですべてがストップ。県内だけではなく全国的にも名前が出るくらい大変な出来事がありました。この日から選手は2週間、全く家から出ることができない。話によると自宅から出ていないかと見まわる「自粛警察」が家の周りをうろついていたという状況もあったようです。「コロナ自粛」というレベルではなく。精神的にも肉体的にも「何をしたらいいのかわからない」状況が生まれていました。その後1か月半、練習という練習がどれだけできたか。各自で体を動かしていたようですが「なぜ外にいるのか」という心無い言葉をかけられる場面もあったようです。

 

たぶんわかってもらえないと思います。当事者にしかわからない。陸上競技をするというのではなく「自分の身を守る」ということが最優先されていました。他者と集まって練習をするという話ではない。家から出ることさえままならない状況の中でした。学校が再開しても「Hoshoの生徒が自転車で通学している」というクレームの電話がかかってきたりする。駅に荷物を置いたら「汚いから置くな」という酷い言葉をかけられたりする。こんな状況がしばらく続きました。競技って何ですか??という気持ちがこちらも大きくありました。選手たちも同様だと思います。

 

この時点で私の中の「何か」が崩れ落ちる感覚がありました。エネルギーが枯渇するという感覚。もう何をやっているのか。本当に競技をやっている場合なのか。うちの選手は「積み上げていく」という形で走りを作ってきました。この失われた1か月半は本当に大きなものでした。それにより多くの選手が走りが崩れる。体型の変化、筋力の低下などかなりの影響を受けていました。もう一度1から・・・。そのエネルギーが私自身になくなっていた感覚があります。

 

それと同時に「生活指導」が入ってきました。なんとなく入部してきた者に対する指導。競技者として「当たり前」だと求める前の段階の指導がかなりありました。時間を守る、嘘をつかない、練習をやるetc。毎日のように「競技」の指導ではない部分に生きている時間の大半を取られるようになりました。グランド整備をさせれば「トンボ」が反対側の状況で整備する。整備にはならずグランドに線が引かれていく。そのことを指導しても全く直さない。「重さのあるトンボでやらなければ整備にならない」と話すと「重たいトンボはやりたくありません」という返事が返ってくる。

 

また、ユーチューバーが市内に来た関係で「休校」になったことがあります。この時にも部員を集めて「どこにも寄らずにすぐに家に帰るように」と指導したにもかかわらず、近隣のフードコートに座っている。巡視で見つけて注意しようとしたら走って逃げる。いや、この手のことが何度あったか。「練習をしない」というだけではなく「所属する意味」が問われる話が何度も何度も繰り返されました。この時点で「本当に指導ってしなければいけないのか」という気持ちが大きくなる。

 

愚痴を書けば記事がどれくらい書けるでしょうか。いろいろと問題になるのでここは書きませんが・・・。グランドで指導するのは「競技的なこと」ではなく「生活指導」以外の何物でもない。もともと「生活指導」を重視していますが、これでは完全に「お世話係」です。周囲の理解も得られず、内部では指導しても伝わらない。これに耐えられるというのはどれくらいの人がいるのか。私が弱いだけなのかもしれません。本当に本当に苦しかったですね。

 

これまでならこんなことがあったら夜、親しい指導者と食事に行って愚痴を聞いてもらうというのが頻繁にありました。しかし、コロナの影響で外食さえままならない。夜、食事に行っていたら何を言われるかわからない。何度かgt先生とオンライン飲み会をしましたがやはり本質的な気分転換にはなりませんでした。この時期から「人と関わるのが嫌だな」と思う部分がありました。

 

正直、こんな状況で練習に専念するというのは不可能に近かったと思います。blogを更新する気にもならない。余力もない。そんな時期が続きました・・・。

 

何を書いているのかよくわからなくなっていますが。この記事が人目について「削除しろ」と言われるかもしれないですね。それでも記録として残しておきたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする