kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

自分たちで決める

2016-06-23 | 陸上競技
続き。

選手には「自分たちでルールを決めなさい」という話をしました。毎日の練習や家での行動。「自分たちで決めたことを守る」という約束事が必要になると思いました。大きな声を出す、毎日〇回の補強をする。何でもいいと思います。自分たちが決めたことを自分たちで守るという姿勢があるかどうかで競技に対する取り組みも大きく変わってくると思うからです。

私から「ルール」を与える。時間を守れ、休む時には連絡をしろという「当たり前のこと」でしかありません。毎日練習に来るというのはルールでもなんでもなく「当然のこと」でしかない。ここを「守ったら強くなる」のではなく「強くなるための最低条件」でしかないのです。ここは守れなければ練習に参加する資格がないという最低条件。ここを守ったから強くなるというものではありません。

自分たちで「約束事」を決める。絶対にやり遂げるという約束事。ここができて初めて「チーム」として機能すると思っています。以前指導していたチームでは「飴玉一つも間食しない」という「約束事」を自分たちで決めていました。ストイックすぎる部分がりますが・・・。今はそこまで厳しく求めるつもりはありませんが、「強くなりたい」と思えば自分たちでやるべきことは見えてくるはずでず。

「甘いスイーツを毎日食べたい」という欲求と「もっと強くなって活躍したい」という欲求は同時に満たすことはできません。並列に並ばないのです。好きなものを好きなだけ食べて体重が増える。それでも「速く走りたい」というのは不可能なのです。何かを選べば何かを捨てないといけない。やりたいことを全てやって尚且つ「試合で結果を出したい」というのは不可能だと思っています。単純に「強くなりたい」が「きつい練習はしたくない」という欲求は両方を満たすことができないのです。

自分たちで判断させる。こういう機会を増やしていきたいと思っています。「約束事」が守れないようであればそれまでの選手でありそこまでのチームであったということ。「インターハイで戦いたい」「中国を勝ち上がりたい」と口にしたとしてもそれに見合うだけの行動ができないのであれば結局は「絵に描いた餅」でしかない。「やるんだ」という気持ちがあっても「行動に移せない」のであればそれは「実現の可能性がない」話になるからです。こういうときには学年は関係ないと思っています。1年生だからできない。上級生には指摘できない。こういうどうでもいい関係があればチームとしては停滞します。本当に必要であれば関係なくやらなければいけないのですから。

どこまで本気で「約束事」を決めたのかわかりません。それを本気で実行しようとするのかどうかも分かりません。が、「指導者が選手を強くする」というのはエゴだと思います。今回の中国大会で最高の結果が残せなかったのはすべて私の責任です。私が「そこまでの力をつけるための準備をしてあげられなかった」からです。ここ数日間書いているような「心」の準備をきちんとしてあげられていたら結果は違ったかもしれません。練習云々というよりはそこの部分が不足している感じがしました。選手は与えられた練習を一生懸命にやっています。そこの部分は間違いない。だとすればそこに到達すまでの「心」の準備であったり、「取り組む際の中身」が意味のあるものにならなければいけない。

このblog、関係者の方々も見てくださっているようです。選手や保護者の方に読んでもらう。このblogを書く意味はそこにあると思っています。こういう性格ですからしつこくしつこく話をします。それに加えてblogでも私の考え方を書いています。それをどう感じてくれるかどうか。気に入らないという方もいると思います。しかし、最後は「覚悟」だと思っています。私の前だけ「お利口さん」で頑張れるような選手では陸上競技で大成する事はないと思います。本当に強くなるためには「裏表なく努力できる」というのが最低条件です。

私1人の力でどうこうしようとは思っていません。多くの人の力を借りながらやっていく。周りはサポートするしかできないと思っています。家族やこれまで関わってくださった方々、周囲の友人など多くの人がいるから今の自分がいる。周りは「そこまでしなくても良いじゃないか」というかもしれない。そんなに陸上競技を真剣にやっても意味がないと思うかもしれない。私は「人間的な成長」がなければ競技では大成しないと思っています。これも何度も何度と書いていますが。

普段の選手の様子を伝える。全てはできませんが様子を知ってもらう事は大きいと思っています。このblog、批判の対象になりやすいですがこうやって「頑張っている姿」や「これからの課題」を示すことで何らかの意味があると思っています。最終的にやるのは選手たちです。我々に出来ることは限られています。私や周囲が本気になったとしても最後は選手自身でしかありませんから。

最初はやる気になるかもしれません。大切なのはそれを継続することです。できなければ一瞬で落ちていきます。ある意味簡単な話です。強くなるかならないかはここに影響されるのですから。多くの人の力を借りながらやっていきたいと思います。力を貸してください。この子達が自分達で決めたことを最後までやり通せるように支えてもらえるとこちらも随分楽になります。

本当の変化を生み出すかどうかは本人次第です。それでも周りはサポートするしかありません。叱咤激励しながらなだめすかしながらやっていくしかありません。とはいえ本当に強くなりたいかは本人しかわかりません。その気がないならどれだけ周りがサポートしてま何も残りませんから。

私もやり方を考えながらやっていきます。見守ってください。
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自分が変わる

2016-06-23 | 陸上競技
前の記事の続き。

「受け身」の姿勢のままでどれだけ強くなれるのか。最初から「何が何でも強くなる」ということを求めていないといわれたらそれまで。それ以上の事を求めるのは酷だと思います。普通にやって楽しく終われたらそれでいい。そう思う選手がいてもおかしくないと思っています。が、それでは「市内大会で試合に出た」と喜んで終わってしまいます。中国大会に行って「相手にしてもらえない」と感じたのであればそこで止まるわけにはいかないのです。

私のコントロールを離れた時にどれだけ真剣に競技に向き合えるか。そこはすごく大切なことだと思っています。「指導に飢える」という感覚。自分自身が強くなるためにもっと指導を受けたいと思う感覚。ここが今のうちの選手には足りない。なんとなく「指導を受けることが当たり前」となっている。これは悪い意味ではありません。私自身も指導をしたいと思っています。が、「動きの意味」をどれだけ話しても「とりあえずやる」選手と「何が何でも動きを変えてやる」と思う選手では1日やれば大きな差になります。その部分は「距離を置く」事でしか分からないのではないかと思っています。

期末考査期間に入ることもあり「自分たちでやる」という意識を持たせようと思いました。全員で集まって練習をするのは「一定回数のみ」にします。今回は「土日のみ」としました。それ以外の日は学校で練習をすることを禁止。やりたければ自分の家の周りでやればいい。本当に強くなりたいのであれば一定期間自分自身でやってみろということです。一緒に集まって練習をすれば簡単です。自分で決めなくても練習パートナーが「これをやろうか」と決めてくれればそれにしたがってやっていけばいい。自分で考える必要がないからです。「依存心」があれば人に頼り続けます。それではこれから先強くなることはないと思っています。

まだ発達段階にある高校生に「自分で考えてやってみろ」というのは無責任かもしれません。しかし、それはいつになれば「自分でできる」時期になるのでしょうか。本当に強くなりたければ自分自身でやる部分が必要です。例えばウエイトコントロール。私から「大丈夫か?」と言われて間食を止める選手が本当に強くなるでしょうか。家に帰って「補強をしているか?」と私から確認をされるような選手が厳しい中国大会を勝ち抜いていけるでしょうか。結局は私が「選手をコントロールして強くなる方向に進める」だけであって本人たちの「強い意志」がなくても進んでいくのです。そうであれば面白くないなと感じています。今更ですが。

試合が終わって悔しさを出している選手もいました。その「悔しさ」が本物であれば自分自身で行動で示すべきです。誰かに与えられた環境の中で「とりあえずやっていたら強くなるだろう」という感覚でいたらそこから抜け出せません。時間がもったいない。何が何でも強くなりたい。その「想い」を持っているのであれば「自ら強くなるための方法」を考えるべきです。すべては「物事に対する取り組みの姿勢」です。すべての事に手を抜かず一生懸命にやる。その感覚がなければどれだけこちらがアプローチをしてもほぼ無駄なのではないかと思っています。

「時間がない」「勉強が忙しい」「一人ではできない」という「言い訳」が口をついて出るような選手であれば結局は「これから先の活躍はない」と思います。冷たいかもしれませんが。強くなりたいのであれば「自主的にできる時間」をどれだけ使っていけるかが重要になるのです。これまでと同じように「教えてもらえるのを待つ」という感覚では強くなることは不可能。勉強に関しても教えてほしれければ自ら「教えてもらいたいから時間を作ってくれないか」と申し出ればいい。「何とかなるだろう」という感覚の中では競技も勉強も上手くいかない。「積極性」が必要になるのです。

選手たちには「強くなるために必要であれば性格さえも変えろ」という話をしました。「自分は積極的な性格ではないから」という「自分の中のルール」を決めて行動を制限しているのであれば強くなるはずがありません。以前は女子選手に「女を捨てろ」と話していました。今やるべきことはオシャレや遊びではない。人生の中で1度しかできない競技人生に賭ける。それくらいの「覚悟」がなければ勝てるものも勝てません。時代錯誤かもしれませんが。すべての事をそれなりにやりたいと思えばそれでいい。が、限られた時間を使って「何が何でも強くなる」と思うのであれば何かを犠牲にしなければいけないのです。それをしないで「教えてもらったら強くなる」という考え方でやっていたら強くなるはずがない。

今は私と一緒に競技をやりたいという選手が何人か来てくれています。突き放したとしたら「こんなつもりでうちに来たのではない」と言われるかもしれません。が、これも私の指導の一つです。最終的に「自分自身の想い」がなければだれの指導を受けても同じです。「強くしてもらう」という感覚で指導を受けようと思っているのであれば遅かれ早かれ「頭打ち」になります。最終的にやるのは「私ではない」からです。強くなりたいのであればそれなりの「強い意志」を持って行動をするべきです。それができないのであれば強くなる可能性はない。やらないほうがましです。

私に言われて「仕方ないから練習をする」という姿勢があるならそれは「強くなる選手ではない」ということ。自らが欲して行動しない限りは強くなるはずがないのです。素直に言葉を信じて行動することができる選手だけが可能性を大きくしていくと思っています。毎日毎日きつい練習をすれば強くなれると信じているのは間違いだと思います。「強くなりたい」と思っていてもその方法が分からない。数えきれないくらいいると思います。しかし、根本は「強くなるためなら何でもする」という気持ちが必要なのです。ここができない選手であればどれだけ力があっても強くならない。

「眠さに負ける」「きつさに負ける」「忙しさに負ける」という部分。誰にでもあります。しかし、本当にそれでいいのか。言い訳をしている間は絶対に強くならないのです。「強くなりたい」と口にしながら「強くなるため」の練習ができない、行動ができない選手に神様は微笑まない。だからこそ「自分で行動を起こす」という時間を作ります。

批判もあるかもしれません。が、進学校では考査期間中は一切練習禁止というところもあります。それでもインターハイに行く選手が出てくる。間違いなく自分で時間を作って体を動かしているのです。そうでなければ強くなるはずがないですから。数日間全く体を動かさないで練習再開すればどうなるか。考えるまでもありません。自分自身が何のために「陸上競技部」に所属して活動しようとしているか。ここが分かっていれば私があれこれ言う必要はないのです。

長くなりました。もう少しだけお付き合いください。
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スタンス

2016-06-23 | 陸上競技
火曜日、この日は朝練で全員集合させました。本来であれば月曜日に集まる方がいいと思うのですが、あれこれやる事があるでしょうから。

久々に全員揃いました。今回参加した2年生に前で話をさせました。3年生がいない中国大会。2年生は中国大会で戦ったことはありません。「経験」という見えない力は全くないのです。その中で戦うことの大変さ。1年生が中国や全国を経験した事があるといってもあくまで「中学レベル」の話。真剣にインターハイを狙っているチームとの差とは大きな差があります。

雰囲気の差。力の差。威圧感。様々なことを感じたようです。一番明確なのは「今のままでは相手にならない」という部分。これをどれだけの選手が感じられたか。「参加して終わり」では困ります。多くの時間と労力を使って経験した中国大会。この中国大会があったから強くなれたと言える大会にならないといけないと考えています。

他チームは3年生がいてその力に引っ張ってもらいながらやってきました。うちの男子は県総体以後自分達でやっています。女子はかなり早い段階から下級生だけでやっています。ある程度自分達のやるべき事が見えてきていると思います。誰かについていけば勝手に強くなるという部分ではありませんから。

中国大会が終わってから私自身考える事がありました。他のチームではほとんど専門的な指導を受けることなくある程度の練習しか出来なくて勝ち上がっていく選手がいます。偶然選手が集まってきたというのもあるかもしれません。それでも「自由奔放」の中で戦うことができる選手もいる。私自身が指導者としてもっと見極める力がなければ戦えないのではないかという気持ちがありました。

今。選手は練習に来れば何となくメニューを提供されて言われたことだけをやっておけばそれなりに結果が付いてくる。深く考えずに練習に来ても周りが練習をしているのでそれに付いておけば負荷もかかる。何となく力が付いてくるのです。が、このままでは「同じ場所で止まってしまう」気がします。選手達が「自分で強くなる」という感覚がなければ上のレベルで戦うことはできないのではないかと感じました。

今回、中国大会で全くといって良いほど戦えなかった。ここは選手達も痛切に感じているはずです。そこで心から「強くなりたい」と思えたか。多分これまでも「勝ちたい」という気持ちはあったはずです。が、それは指導者の指示に従って言われたことをやっていたら「勝手に強くなる」という感覚の中での部分。自分の中から湧き出してくる「強くなりたい」が本物になっていないのではないか。

こんな「当たり前」の話をわざわざもっともらしく書くのもどうかと思いますが。選手自身が「何が何でも強くなるんだ」「強くなるためなら何でもやる」という気持ちがなければ大きな飛躍は望めないのです。 実際にこれまで見てきて強くなる選手には「共通点」がある気がします。「指導者がいないから〜できない」と言っている選手で強くなった選手は少ない気がします。専門的な指導が受けられないから自分で考え、自分の意志で強くなるための行動をする選手は必ずといっていいほど強くなる。

他県の強豪校では「絶対に強くなる」という強い意志を持った選手が専門的な指導を受けられる環境に進むので自然と強くなる。ここの差は歴然としています。誰かに強くしてもらうという感覚ではなく、自分自身で強くなるために指導者の力を借りるという感覚なのだと思います。最終的に「何が何でも強くなる」「絶対にやり遂げる」という気持ちがあれば指導者の伝えたい事を感じ取って自ら行動が出来るようになります。今のうちのチームには「自分でやってやる」という気持ちが足りない気がしています。

これは責任放棄と捉えられるかもしれません。が、どれだけ力があっても「受け身」の姿勢のままで上の大会で戦える事はないと思います。本当に強くなりたいのであれば「自分に何が必要なのか」を考える必要があります。実はここの部分をどうするかがこれからの課題になるのではないかと思います。自分自身のために行動を変えていけるかどうか。言われてからやるというのではなく「自らの意志でやる」という姿勢を身に付ける必要があると思っています。与えられることに慣れている部分があるので簡単にできないかもしれませんが。

本当に強くなりたいのであれば「自分のために考える」という姿勢が必要になります。ここがなければどれだけやってもこれから先は強くならないでしょう。ある程度のところまで行って終わってしまう。このままでは戦えない可能性がある。そこに目を向けていく必要があると思っています。

ここの部分が変わってくると大きなレベルアップにつながると思っています。このことに関してはもう少し書きたいと思っています。また書きます。
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