陸上関係の内容が全くなくなっていますね(笑)。私の性格的な部分が顕著に表れます。練習はきちんとやっています。特別なことはやっていませんが、ほぼ予定通りの練習計画が実行できています。土曜日もある程度走ることができましたから問題はありません。走りの感じとしてはいい感じだと思っています。
練習とは別の部分で「大きな課題」があります。これをどう越えていくか。ここが今後の「教育活動」に大きく影響していくのは間違いないですね。結構適当にやっていると思われがちですが「かなり」真面目に考えています。私がやらなければ誰がやるのか?という気持ちもあります。「決まりきったことからの脱却」が重要になってきます。大事なのは「教科書の内容を教える」ことではありません。教科書は一つの道具でありその道具を利用してどんなことを教えるか、身につけさせるかという「教育理念」があってこそ初めて脅威行くというものが成立すると思っています。私のような若輩者が何を偉そうにと思われるかもしれませんが、大事なのは「年齢」ではない。どんな「ビジョン」を持っていいるかだと思います。ここがなければ何をやっても意味がないと思います。後付けの言い訳は不要です。
私は「教育理念」を明確に示し、それに従い教育活動を行っていく必要があると考えています。「絵に描いた餅」のように単に「掲げる」「示す」のではなく、その実現の方法をきちんと把握して実行していくから意味がある。他者の取り組みを非難するだけなら誰にでもできます。否定するのであればその代案となるものを提示する必要がある。それができないなら説得力はありません。
情熱。これは間違いなく生徒に伝わると思っています。部活を通じて成長を促す。これが今までの私のスタンスでした。授業やクラスでも同様。様々な場面で「自分の教育理念」にしたがって教育活動をおこなってきました。比較的生徒は感じ取ってくれているのではないかと思います。卒業した後に会いに来てくれるというのはうちで学んだものが何かしら残っているからだと。
これが一人の「理念」だけではダメだと思います。強いリーダーシップを発揮して多くの人を方向付け、協力を得て進んでいく。共通認識の中でこれができるというのが大事です。誰のための学校なのかを考えればやらなければいけないのです。生徒に求めるばかりではなく我々の創意工夫が不足しているから生徒が育たないのではないかという自己反省が必要だと思っています。
大多数の方の理解は得ました。しかし、「万が一うまくいかなかったら」「保証ができるのか」という否定的な意見もあります。保守的な考え方です。これを否定することはできません。一番安全なことですからね。本当に身につけさせたいことは何か?これは「教育理念」だと思います。これがあれば多少強引であっても人はついてきてくれると思っています。間違った方向に進むことは絶対にありません。「結果」が保障されているような取り組みにどれだけの意味があるでしょうが?この「結果」とは当たり障りないというだけであって本当に必要な「力」が身についているとは思いません。ここを変えていかなければ「教育活動」は間違いなく停滞してしまいます。
ちょっと本気で考えています。どれだけの教育関係者がこのような考えをもって日々過ごしているかは分かりません。私は自分がお金をもらうために教員をやっているわけではありません。もちろんお金がなければ生きていけませんが、こうやって考えても給料が上がるわけではない。それでも「変える」と思っているのは「誰のための教育活動か」を意識しているからです。
小さな力ですが必ず実現させたいと思います。
練習とは別の部分で「大きな課題」があります。これをどう越えていくか。ここが今後の「教育活動」に大きく影響していくのは間違いないですね。結構適当にやっていると思われがちですが「かなり」真面目に考えています。私がやらなければ誰がやるのか?という気持ちもあります。「決まりきったことからの脱却」が重要になってきます。大事なのは「教科書の内容を教える」ことではありません。教科書は一つの道具でありその道具を利用してどんなことを教えるか、身につけさせるかという「教育理念」があってこそ初めて脅威行くというものが成立すると思っています。私のような若輩者が何を偉そうにと思われるかもしれませんが、大事なのは「年齢」ではない。どんな「ビジョン」を持っていいるかだと思います。ここがなければ何をやっても意味がないと思います。後付けの言い訳は不要です。
私は「教育理念」を明確に示し、それに従い教育活動を行っていく必要があると考えています。「絵に描いた餅」のように単に「掲げる」「示す」のではなく、その実現の方法をきちんと把握して実行していくから意味がある。他者の取り組みを非難するだけなら誰にでもできます。否定するのであればその代案となるものを提示する必要がある。それができないなら説得力はありません。
情熱。これは間違いなく生徒に伝わると思っています。部活を通じて成長を促す。これが今までの私のスタンスでした。授業やクラスでも同様。様々な場面で「自分の教育理念」にしたがって教育活動をおこなってきました。比較的生徒は感じ取ってくれているのではないかと思います。卒業した後に会いに来てくれるというのはうちで学んだものが何かしら残っているからだと。
これが一人の「理念」だけではダメだと思います。強いリーダーシップを発揮して多くの人を方向付け、協力を得て進んでいく。共通認識の中でこれができるというのが大事です。誰のための学校なのかを考えればやらなければいけないのです。生徒に求めるばかりではなく我々の創意工夫が不足しているから生徒が育たないのではないかという自己反省が必要だと思っています。
大多数の方の理解は得ました。しかし、「万が一うまくいかなかったら」「保証ができるのか」という否定的な意見もあります。保守的な考え方です。これを否定することはできません。一番安全なことですからね。本当に身につけさせたいことは何か?これは「教育理念」だと思います。これがあれば多少強引であっても人はついてきてくれると思っています。間違った方向に進むことは絶対にありません。「結果」が保障されているような取り組みにどれだけの意味があるでしょうが?この「結果」とは当たり障りないというだけであって本当に必要な「力」が身についているとは思いません。ここを変えていかなければ「教育活動」は間違いなく停滞してしまいます。
ちょっと本気で考えています。どれだけの教育関係者がこのような考えをもって日々過ごしているかは分かりません。私は自分がお金をもらうために教員をやっているわけではありません。もちろんお金がなければ生きていけませんが、こうやって考えても給料が上がるわけではない。それでも「変える」と思っているのは「誰のための教育活動か」を意識しているからです。
小さな力ですが必ず実現させたいと思います。