どのくらいで痛みを感じるかは、「個性」だと思うのです。
ガマン強くなければ、他人がみたら「そんなに痛くないでしょ?オーバーな」という話になります。でも、本人が痛いと言うなら他人がどう言おうと「痛い」んです。
この業界でもよくそういう話を聞かされます。どこどこでリハビリ中に「痛い」と言ったが「これくらいで痛いはずはない」と言われた、とか。
あそこの整体院で、しつこく「まだ痛い」と言ったら「もう痛くないはずです」と言い返された、とか。
痛いか痛くないか。本人にしかわかりませんよね。だから、他人が「痛くないはず」なんて言えないはずなのです。本人しかわからないから、彼がウソを言ってるかも、なんてこの業界の人間は思う必要ないのです。
精神状態でも変わります。ストレスにあると人は「闘争か逃亡か」の選択を迫られます。そのとき、外部からの刺激には敏感になります。逃げるべきか闘うべきかの判断材料になりますから。もしかしたら、それで少しの刺激でも強く感じるのかもしれません。
ストレスが慢性化したら、肉体は鎧を纏うとも言われます。いつ、攻撃があってもいいようにカラダを厚く覆ってしまう。そうしたら逆に少々の刺激には反応しなくなります。内部に伝わりにくくなりますから。すると、人は痛いはずなのに「感じない」と表現することがあります。
要は痛い、痛くない、という本人の感じ方自体にヒントをみつければいいのです。
だから、「これくらいで痛い、ということは、、、」といくらでも考えることはあるのです。
同業者の方には、共感するチカラを失わないでもらいたいなあ、と願う次第です。