尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

夢は夢として 人は人として

2005-05-30 12:26:47 | 健康 整体
僕の夢は、どんな方が来られても、十秒くらいで「はい、もう大丈夫ですよ」と言ってあげられるようになること。「床を上げて立ちあがりなさい」の世界です。改善させられない方が来られるたびに、切にそう思います。縁のある人すべてをラクにしてあげたい。でも、まだ完璧にそうはできない自分がいる。なんでや、くやしい、治ってくれー、頼むーっ、、、。できるなれば、今すぐにでも「治れ」といえば治っちゃうような世界に到達したいもんでございます。

でも、と。もし、そうなれたら、、、今の情熱を失いそうな気もする。だって、どんな難病の方が来られても問答無用で治っちゃうんですよ?なんの工夫も努力もなしに。そう、「治りなさい」と想うだけで。そういう状況に身を置いて、熱意をもって仕事にあたれるか自信はない。今より良い意味で肩の力は抜けるだろうし、それだけ多くの人が助かるだろうから、そうなりたいんだけど。

そうなれたら、もはやそれは神の世界ですよね。全知全能万能の神。水がぶどう酒に変わり、パンがいくらでも増え、死してなお復活する、、、、なんでもできますよ、ってなったら神である自分は何を望むか。多分、人間やらせてくれー、って言うと思う。で、この仕事をして、、、全員を完璧に治せないことに悩む、と思う。

我悩む、ゆえに我あり。悩む時というのは、「我の希望どおりにならない」時が多い。逆に言えば自分の希望がなければ、悩みもなくなると思う。つまり、我がなくなれば、悩みもないわけで。そういうのを悟りというのかも知れません。ただ、悩みが人生の彩りではある。

少し前に催眠療法をやるうちのお客さんにそれをしてもらった。家庭内で激烈にいらいらすることがあったので、その件で。夢うつつのなかで彼の声が聞こえる、、、「高次の存在に知りたい事をきいてください、、、」私が心の中で質問する「なんで自分の身にこういうこと(家庭内での」が起こるのか」質問と同時に耳元で声が聞こえた(質問しながら答えがかぶってきた)「おもしろいでしょ?」と。
「ああ、これは面白いことなのか」。そのトンデモナイ答えにびっくりした。でも、同時に答えが返ってきたということは、きっと、質問しながら答えが実はわかっていた、のかも知れない。

神や仏であれば、わからないことはないだろう。予想外のことも起こりえないのだろう。びっくりすることも、首をかしげることも、頭をひねることも、、、。
「おもしろいでしょ?」もし、私が全知全能万能の神であり、、今、何をしても良い、なにになっても良い、としたら、おもしろい体験ができる人間に「なる」と私は思う。

今はまだ、一人でも多くの人を癒せるよう、人間らしく悩み、努力しながら、楽しんで、やっていきたい、と思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人を呪わば穴二つ???

2005-05-27 15:28:00 | 健康 整体
すんごく仲の悪い嫁姑さんがいて。というよりも、姑さんがかなり嫁さんを嫌っているのだが。
で、あるとき、嫁さんのはずみで姑さんの親指をドアにはさんじゃったのね。もう一年くらい前。
私も紹介で二回施術をやりました。二回ともきれいに改善するので、もう良くなったのか、と思っていたら、まだ、痛いらしくあちこち治療院めぐりをしているそうです。

もちろん、私の腕が未熟だったんですが。聞くところによると「こんなふうになったのも、あの嫁のせいだ。許さん、呪ってやる」とか、出会う人に言ってまわってるらしいです。

こ、これは、治せないですよ、多分、、、。前に書いた「聞いた話」でも触れかけたのですが、治りにくい人、って居ます。単に長年患っていて「そんな簡単に治るかいな。治ってたまるか、俺は重病なんや」という人。理由は、わかりますよね?次は患っている事にメリットを感じていられる人。周りから大事に扱ってもらえる、注目を集められる、などなど。逆に「なにかに耐えている、抑えこんでいる、その代わりに表面上は痛みで精神を紛らわせる」なんてのもあります。さらには、それらの発展形で、上記のおばあさんのようなタイプ。このケースでは、「嫁に痛い目に合わされた。これがその証拠じゃ。この痛みがあるうちは、嫁への攻撃の理由があるんじゃ、痛いうちは憎しみも忘れずにおれるんじゃ」

もし、このおばあさんの痛みがなくなったら、彼女は困るでしょう?わかりますよね。この場合、彼女がしっかりと痛みを自分で掴んでるんですもん。おそらく超能力者や霊能力者でも完治はむつかしいでしょう。本人がなにかに「気付く」ことが無い限り、、、。

前に紹介した遠隔の兄さんも、結局は、「今、治してあげられるけど、『気付き』がないと、一緒よねー」とため息をついていたことがあります。

もちろん、私が今までに治せなかった人、というのは全部、私が未熟だったからです。だからこそ、これでいいとは思わずに「なんとか一回で改善できるように、あきらめずに取り組む」姿勢を貫きたい、と思っているんです。別に、私が治せないからといって、その人達全員が誰かを恨んでいるわけではありませんもんね。当たり前ですわな。「あなたは治りません」という先生もいらっしゃるようですが、日本のすべての先生が(霊能力者も含めて)そういうなら、いいのですが、私が治せなくても他の人が治しちゃう可能性はありますよね。断言する先生って、そういうことを考えないんですかねー。大した自信だこと。

勘違いして欲しくないのでもいっかい言いますが、治らないからといって、「あんたの気持ちのせいよ」なんてことは言いません。それいっちゃうと、治らないことに責任を感じなくていいので、私が努力しなくなるでしょ。もし、お客さんがそんな気持ちでいるとしても、それごと癒してあげたらいいわけですからね。実際、施術中のほとんどの時間をしゃべり続ける方もいらっしゃいます。それもまた施術の一環???

私がお客さんに、たまに聞くこの言葉「治ると思ってますか?治ってもかまわないですか?」には、大体、こういうバックグラウンドがあるんです、、、。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痩せねばならんなあ、と

2005-05-26 10:07:52 | 健康 整体
最近のたけしの本当は怖いなんちゃら、を観てたら「早食いはどうの」とやってました。一言で言えば、糖尿の人は失明する危険がありますよ、で終わるところを良くあそこまでひっぱったなあ、と感心してしまいました(笑)カク言う私も常に糖尿と正常のボーダーにいる人間なので人事ではありません。
それより、なにより。

最近、お風呂中にようたん(九ヶ月)が、パパのおっぱいをしげしげと眺めた後、「もむっ」としてみたり、爪で乳首をちぎり取ろうとしたりで、痛いのなんの。湯船の中で払いのけるわけにもいかんし。ここ数ヶ月で三㌔も太り、おっぱいもでてきたパパは本気でダイエットを考え中です。



おお。短い(ビックリ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのち

2005-05-23 09:36:01 | 健康 整体
うちの子供も、この25日で、はや九ヶ月目になります。なんか、寝返りをしてからがむちゃくちゃ早かったなあ、と感じる今日この頃です。

寝返りができるようになると、もう、寝返ってばっかりです。いくら仰向けにしてもくるくる寝返ってました。

で、「飛行機」と呼んでいる、腹ばいで両手両足をピンとそらすポーズを延々続けて、、、。

で、這い出して、、、。最初は両足がうまく使えなくて片足でハイハイしてたので同じ場所でくるくる回ってました。

で、つかまり立ちしだすと、まだ、手を離して立てないうちから、足を段にかけてよじ登ろうとしてます。もう、無意識に足を上げて前か上かに進もうとしている感じです。



その人が今、どういう状態にあるとしても、生成発展していく力、そこに、「いのち」の煌きを感じます(観じます)。そういえば、日本の『神』様の「なんとかの『尊(みこと)』」は、また、「なんとかの『命(みこと)』」とも書きますよね。神と尊いものと命は同義だったと昔の人は観ていたのでしょうか。日本語も結構深いです。

話は変わりますが、うちの坊ちゃんは「にんべんに、、、ムッ」と言うと大笑いします。これは義父(お坊さん)の説法のワンフレーズです。「人偏にムと書いて仏。人が『無』を識り、仏となる」てな具合に使ってました。だから、けっして笑うところではないのですが、いつも馬鹿受けしてます(汗)機嫌の悪いときは、すかさず「にんべんに、、、ムッ」
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぞなぞ

2005-05-21 09:38:07 | 健康 整体
「離れているのに、くっついているもの、なーんだ」

答え 惑星。

昔、読んだ本のなかにあったお話です。今の科学ではどうなっているのかしりません。

宇宙空間には、何も無い、真空である(このへん、現在の科学ではどうなっているのか知りませんのであしからずご了承のほどを)。なにもないのであるから、星と星の間にも、なにもない。空間になにもないんだから、星と星は(離れているように見えて)くっついてる。あるとすれば、それは「なにも『ない』という空間が『ある』」。こんな笑い話です。

個人的には、もしそうだとしたら、何も無いところを、光が何を媒体にして地球に伝わってくるのか不思議に思ってます。でも、上記の話は面白いので好きです。

あ、こんな話も聞いたことがあります。遠隔治療で、なぜ、離れていても影響を及ぼせるのか、と聞かれて「離れていないから。池の中の二人は水でつながっているように、また、団扇で扇いだら他人に風を送れるように、地球の中の二人もなにかでつながっているんだ」と。

個人的には、それは後付けの理由、無理にわかりやすくした説明、のような気がしないでもないですが、想像力の膨らむ話なので好きです(私的には異なる意見をもっています)



離れている(と見える)物質はすなわち空の状態にある(真に空。空しくもなにもない状態である)、そのことがわかれば、離れている物事はすなわちぴったりとひとつにくっつきあう。実は離れてなんかいなかった。見えている肉体はいつかは空しくも消滅するでしょう。しかし、そのなかには永遠に続く生命が燦然といつまでも光り輝いているじゃあ、あーりませんか。色即是空空即是色。色(物質)はすなわちこれ空(むなしいもの)なり。しかして、空むなしいと見えていた空間からは、そく、鮮やかな色(命)が湧き上がってくるのを観る事ができるでしょう、、、。





いやあ、この前の「神が治し、、、」からこっち、「お宅は神道かキリスト教か、やっておられるの?」と聞かれたもので、今日は仏教で攻めてみました(なんの意味があるんだか)真剣に理解しようとしてここまで読んでくださった方、ごめんなさいっ。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議なテープ

2005-05-20 09:17:04 | 健康 整体
前に紹介した(というほどしてないが)、京都のFさんが作ってくれたテープ。またまた、送ってくれたので、お客さんにあげたりしています。まだまだ、使用体験者は少数ですが、概ね好評です。たかだか、貼るだけのものなのですが、肩、首がコリコリの人に使ってもらったら「某、、バンよりもはるかに楽になる」と言ってました。

まだありますので、試すのが好きっ、という人は声をかけてくださいね。あ、どれほどのものか試してやろうジャン、という人は試してくれなくていいですので。

今、彼はカードのデザインを考慮中、ということなので、しばらくしたら、そんなんもお目見えするかも。

うーん、何屋なんだ、うちは。ま、楽しければいいか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神が治し、、、

2005-05-17 09:41:46 | 健康 整体
医学黎明期のころの言葉ですね。

「神が治し、医者が報酬を受け取る」

もうちょっとまあるい表現だと

「神が治し、医者が包帯を巻く」

解釈はどのようにでも。外科手術をするのは医者でも、縫合したところが勝手に融合していくのは、医者の力は関係ないですよね。(死者の体にメスを入れて、縫合しても、決して融合しない。さすれば、この、勝手に融合していく力はなんなのか)風邪引いた、病院に行くと「水分とって暖かくして寝てなさい」と言われ、一週間で治った、と。この場合、治したのは誰か?

整体業界のホームページやチラシでも「私が治すのではありません。あなたの自然治癒力のお手伝いをするだけです」という謳い文句を掲げるところもあります。「俺を治してくれー」というお客様には物足りないかもしれませんが、実際に、治る力を持っているのはお客様本人であることは間違い無いところですよね。

しかも、この治る力、とやらは、行きすぎがない。治りすぎ(?)がないところがまさしく神の技としか言いようがない。しかも意識してここまで治せ、って考えてるわけじゃないですからね。

昔の人は、生命力、生きるという力、自然治癒力、イコール神の御技、に思えたのでしょうか。僕が神を信じているかどうかは別にしても。整体しながら「体って、心って、不思議だなあ。素晴らしいなあ」と日々実感しているのは本当のことです。

誰がこんな「もの」をつくったのかは知らないけれど、すごすぎっ、です。だから、治せる治療家もすごいのかも知れないけれど、治ってしまう自分も、もっとすごいんですよ。

「あなたの体はぼろぼろだ、歪みまくってる、ほっとくと大変だよ」という治療家は、この素晴らしさをまだ掴めていない人なんじゃないかな、と思ったりするんですが、いかがなもんでしょうか?
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虫歯も下痢も、ええじゃないか

2005-05-14 09:27:46 | 健康 整体
こんな歯医者の先生がおられます。曰く、「虫歯は虫歯菌(専門用語があるんでしょうが、ここでは割愛)が原因でおこるんだから、それを撲滅すれば、この世から虫歯をなくせるはずだ。一生、自分の歯で噛みつづけるために菌の撲滅に努力しよう」と。

ちょっと、そこまでしなくても、と私なんかは思うんですが。虫歯にはならないほうが良いのは当然ですし、「治療」といっても、虫歯が「治った」人がいるわけじゃなくて、虫歯の部分が「なくなった」だけじゃないの、と疑問には思っています。それでも、、、。

仮に、虫歯菌がこの世から抹消されたとしましょう。何を食べても、何を飲んでももう大丈夫。さて、歯は良いとして、あなたのカラダの調子はどうですか?虫歯になるようなものは、そもそも、カラダにも良くないものが多い、とは思わないですか?なのに、虫歯という天然のストッパーがはずされたら、、、。
虫歯にならない食事を研究したほうが、カラダにも歯にもいいんじゃないですかね?

腸には悪玉菌善玉菌日和見菌が存在すると言われています。じゃあ、この悪玉菌だけを撲滅したら、どうでしょう。もしかしたら、便秘や下痢や吹き出物なんかもなくなるかも知れませんね。でも、何を食べても、そんな症状が現れないとしたら、、、。
便秘や下痢にならない生活を研究したほうが良くはないですかね?

食べ過ぎて胃の具合が悪い。胃がスキッとする薬を飲む、「お、治った」、、。違うでしょ?胃が調子を取り戻すまで労わってあげなきゃ。胃と一緒に本人が苦しんであげたら、次は食べ過ぎの前に止められるはずなんだけどなあ。

風邪を治す薬ができたらノーベル賞もん、と言われて久しいです。でも、風邪を治す薬ができちゃったら?恐らく、カラダは自分で風邪を治すのを怠り始めるでしょう。風邪すら自然治癒力で治せなくなる体になる可能性がでてくるんじゃないですかね。それって、寒気がするほど、怖くないですか?




お、火事か?、火災警報機が鳴ってるぞ、うるさいじゃないか、誰か警報機を止めろよ。

ち、違いますよね???


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康診断

2005-05-12 11:24:12 | 健康 整体
昨日、健康診断の結果を聞きに行って来ました。予想外に良いのもあれば、再検査かよー、というのも。思い当たる節のない再検査なので、あまり気にはしてませんが、気持ちのよさそうな検査ではないので、結構憂鬱。

なんでも、再検査のストレスたるや馬鹿にできないそうで、単なる潰瘍だったりしたものが、「ガンなのでは」と思い悩んでるだけでガンになっちゃう人もいるとか。こうなると、健康診断自体で病気になったりして。

これから再検査が続くので、なんとも言えないのですが、私の考えは「なったものは戻る」です。あれをしてこれになったのなら、あれを止めたらもとに戻る、という。もうこれは治るというよりも、戻る、それにすぎない、と。AをしてB(病気とか)になったのなら、Aを止めたら元にもどるじゃないか、と。それをCを加えて元に戻そうとするからB´になっちゃたりして。今度はB´を抑えるためにDを足したりしてね。少なくとも、Aを止めるのは自分にしかできず、誰か他の人(またはモノ)が代わってくれることはありません。


もっとも、なにを止めるのか、これは熟慮のしどころですね。カラダの声を聞き、カラダの叡智を信じる必要もあるでしょう。うまく行けば人生観がかわります。また、Aを止めつつCに類するものを摂る、というのもアリかもしれませんね。この場合もCに何を選ぶか、が大事ですよね。

私の整体の場合、このB(痛みとか)はひとつの流動的な過程にしかすぎず、固定された状態とは観ません。また、単面的にBを悪いもの、と観てしまうのではなく、なにか意味があるんだろうな、とカラダに共感してあげるんです。弱い部分を守るために庇っているのが今の痛みではないのか、これ以上壊れないように痛みでブレーキを掛けてくれているのではないのか、昔の守る体勢がまだ解除されていないだけではないのか、、。
私のやることは、守る必要を無くしてあげること、だけだったりします。うまく行けば治るというよりも「元に戻」ります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化 教育 感性

2005-05-10 09:50:13 | 健康 整体
今日は健康には関係ないんで、興味の無い人はとばしてくださいね。

このまえ、お客さんと「恐いもの談義」をしてました。子供の頃は「見えることが良くあった」とかね、あ、そのお客さんが、です。で、今は蜘蛛がだめなんですって。見かけたら夜中でも人を起こして追い出してもらうんだそうです。後日、その追い出し役のお母様がこられて(この方は蛇がだめ。ダメなのに、人よりも多い回数、蛇と遭遇してる。「見つめるものは拡大して見える」という法則なのか、そういうサダメなのか、、、)、あの娘も昔は蜘蛛でもなんでも好きだったのよ、と。ナメクジの這ったあとのキラキラしたスジが綺麗、とかも言ってたらしいです。

たしかに、うちの子も、動くものならなんでも触ろうとします。ゲジゲジであろうと、蜂であろうと。で、痛い思いをして嫌いになる、これは、わかる。でも、蜘蛛に噛まれた人は少ないはず。蛇に噛まれた人も。なのに、いつから、嫌悪感を覚えるようになるんでしょうか、、、。これって、教えられて、または、他人がそう反応するのを見て、「反応の仕方を覚えていく」んでしょうか。こんな文章を読んだ事があります。うろ覚えですが「大便はほんとうに臭うのか」という趣旨です。臭い、きたない、そう教えられたから「臭い」と思うのではないのか、って話です。そういえば、子供は、あんまり自分のうんちを臭い、と思っていないフシもある。しゃべらないのでわかりませんが。(親は自分のあかちゃんのうんちは臭いと思わないもんだ、なんて言いますが、そんなことはない、、、と思う、、、。)

でも、教えなくても野菜はやっぱり嫌いなんかな。サツマイモやかぼちゃは離乳食としてよろこんで食べますが。親の食べてるキャベツを見てもの欲しそうにするので、持たしてやったら口に入れ、なんとも言えない泣き笑いのような表情をつくりました。まあ、言われてみたら、味のついてないキャベツはそんなに美味い、というほどのもんでもないか?

焼肉やステーキは好きだが、味のついてないそれらは、ゴムを噛んでるような感じもしないではないし。しょう油をつけない刺身も、そうだなあ、、、。オヂサンにはわからないブランドのバッグの良さ、カリスマ美容師の腕前、これは美味い、これは嫌い、恐い、臭い、美しい、綺麗、、、という感覚は、ほんとうに自分の感性なんだろうか。自分の五官は自分の思考を反映してくれているのだろうか。そんなことを考えてしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする