尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

バランスありき

2006-02-28 11:57:05 | 健康 整体
体は、バランスの上になりたってる。

強い筋肉よりも、固い筋肉よりも、バランスがとれているかどうか。

このまえ、介護されているお客さんと話してたんだけど。介護される側の重心を崩してあげたら、抱き取りやすくなる(こともある。場合による)。
あいての体を指で下から上になぞったり、頭や肩に手をおいてやると、そこに(上に)重心が来やすいので、足元が微妙にぐらつく、ぐらつくのでこっちに引き寄せやすい。とまあ、簡単に言うとだけど。つまり、バランスを崩されたら、踏ん張れない。

前かがみで仕事をしている人は、猫背になる。なるかもしれないけれど、前にむかう力に対抗するために、体は後ろに戻そうとがんばっている。背中の筋肉は、カッチカチ。それは、前かがみのバランスをとっているのであって。
背中の筋肉が「コッている」のではない。
だから、こういう人で背中が辛い、もんでくれーというなら、体の前もちゃんとほぐしてあげないといけない。なぜなら、今度、前かがみになったとき、すでに後ろの支え(カチカチの筋肉)はなくなっているのだから、バランスがとれなくなる。だから、前にかがむ筋肉も一度リセットしてあげたいのだ。そうすると、幾分かでも猫背は伸びてくる。

塩分をとると、水分が欲しくなる。水分をとると、むくむ。でも、これで塩分がうすめられる。糖分をとると、喉がかわく。水分をとると、おしっこがふえる。でも、これで糖分が排出される。体は、バランスを求めている。

なにもない状態、健康な状態、とは、バランスがとれていること、なのかもしれない。

腰痛で痛いなりにも動けるのは、崩れたバランスを崩れたなりに再構築しなおした結果だと思う。
だから、まず一度、再構築されて見えにくくなった体を、均してみる。すると、均しきれない場所が浮かび上がってくる。そこは、必ずどこかとのバランスを補完する関係にある。

100あるパワーが50に減った場所があるなら、必ずそれをカバーする場所、100あるパワーを120にしていたりする場所、がある。120のほうが目に付くが、そこを施術してしまうと、どこも50のところを支えきれなくなるので、危険。50を100にしてあげたら、120のところも100に下がってくる。

骨盤を治す、のではなく、背骨を正す、のでもなく、バランスの過不足をなくすこと。かいつう館の整体技術のバックボーンです。
バランスが整ったら、、、崩れにくいから長持ちするんだよおお(ここだけ、子どもっぽいがな)




コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メリットがなければ痛みもない

2006-02-27 13:57:20 | 健康 整体
痛い、とどんなメリットがあるか。

え?

デメリットでしょ?
て、まあ、そうなんですが。

大体においてどこかが痛いと、できない動作が発生しますよね。
五十肩だと、腕が挙がらなかったり、うしろに回せなかったり。
腰痛だと、靴下が履けなかったり、歯を磨けなかったり。
首痛だと、車のバックに苦労したり、右を向けなかったり。
膝痛だと、正座ができなかったり、階段を降りられなかったり。

ここで、「そこが悪い」ってみちゃうんじゃなくて、
「その動作ができないと、体のどこが庇われるのか。どこがゆっくり休むことができるのか」
を考えてみるんです。
痛いからしなくなる、つまり、使われない筋肉はゆっくり休むことができるわけで。
じゃあ、それは、どこだ?って、そこを探すんですね。

だれがその痛みでメリットを受け取るのか?(なんか推理小説みたいですけど)

すべて世はバランスです。痛み(というデメリットが)あるなら、その反対のメリットも同時に享受しているはず。もちろん、そのメリットが肉体にあることもあれば、心にあることもあって、なかなか一筋縄ではいきませんが。

でもって、今度は、そのメリットをなくしてやれば、「痛み(デメリット)」も消える、、、。メリットを無くす、というと変ですけど(笑)。


ね、ちょっと不思議だけどおもしろい考え方でしょ?



コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言うならやれってば。

2006-02-26 09:58:38 | 健康 整体
最近、僕の出身地の整体仲間と電話で話をする機会があった。
彼も研究熱心なんで、いつも自分の発見したやり方や法則を教えてくれるのですが。

(中略)

「先生は、首のここが悪いね。腰のあたりで神経エネルギーがブロックされてるね」と指摘してくれた。
「そうなんだ、、、思い当たるフシはあるなあ。じゃあ、治してよ」というと、「それは無理やわあ」だって。

無理なら言うな――――――って感じ(笑)。聞いた僕はどうすんのよ!!!!!
(不安なまま、過ごさないとあかんやんか!)

というツカミはさておき。

僕は一応、肘や膝が痛い、という人であってもまず全身を触ります。で、先に全体のバランスをなるべくとる。そんなとき、「あ、ここもなんかあるね」と思うこともあります。そういうポイントも気にはかけておいて、全体を均(な)らしていく。

最後に肘や膝にアプローチすると、さっきのポイントがカギだったりすることもあれば、そうでないこともある。

お客さんの主な訴え以外のところになんかを見つけてしまった場合。僕なら、だまって処置してしまうことがあります。人によっては、お客さんの言う場所以外まで了解を得ずにやってはいけない、という先生もおられます。その立場も良くわかります。が、大概、その場所は、お客さんの言う場所のカギであることが多いので、やってしまう、という感じです。いままで読んでくれていた方にはおわかりいただけると思いますが、「ポツンと独立して悪い場所があるのではない」というスタンスですから。

問題は、、、「ここも悪いから、なるべく早いうちにまた来てください」なんちゅうトークに使われたりすること。同業者としては、わかってるなら、やってやれよ、というキモチもありーの、一患者としては、次まで漠然とした不安を抱えていなきゃならないやんか、というキモチもありーの、です。体もそうだけど、心も「ラク」にして帰してあげよーよー、と思うんだけどなあ。

まあ、親切で言ってくれてるんでしょうけどね。そう信じてます(笑)。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪い、と、痛い、と。

2006-02-25 11:37:09 | 健康 整体
かいつう館には腰痛や首痛や、いろんな人が来られます。

「いつから「そうなった」んですか?」と聞くと
「何時頃からです、何年前からです、ずっとです」という返事が返ってきますよね。

その際、いつころから腰が悪くて、膝が悪くて、と無意識に仰る方も中にはおられます。

僕の整体をするスタンスからすれば、「腰が痛い」「膝が痛い」「アゴが痛い」んであって「腰が悪い」「膝が悪い」「アゴが悪い」という見かたはしないんです。

現象面からみても、腰痛の人の内腿をおさえると軽減したりしますし、顎関節症にいたっては、ふくらはぎで軽快する方もおられるくらいです。つまり、この場合は腰やアゴはたまたま現象としての痛みの表現場所にすぎないんであって、そこが悪いわけではない。

悪い、と見てしまうと、なかなか良くなりません。悪いのをなくそうとしても、実際に「悪いわけじゃあない」。悪くないものを良くせねばならないのですから、苦労するわけです(ど、どんなんや)。
でも、悪いのではなく「痛いと感じさせるなにかがある」と見れば、そのなにかが取れれば「痛みは簡単に消える」ことがあります(なにか、を探すのに苦労したりはしますけどね)。

腰が悪い、これは、原因を特定しすぎ。もっと言えば、自分は被害者、腰が加害者という響きもあったりしません?
腰が痛い、これは現象を結果として表しただけ。だから、ここから原因をさがす旅にでることができる。もしかしたら、「なにも悪くない」のかもしれない。自分の体の使い方が違っていただけかもしれない。
ボタンを掛け間違えたのなら、そこまで戻って留めなおす。それだけのこと。
ボタンをはずすことなく、「これ、悪いよ」というのなら、必然、無理をかけてでも形を整える手法をとるしかない。

悪い、とは見ない整体。いかがですか?自分がラクになりますよ(笑)。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりとめのない話(になってしまいました)

2006-02-24 16:34:18 | 健康 整体
なんでか知らないけれど、施術してると眠くなる人が多い。

あと、特にお腹とかだと、「じわー――――――――ッ」と熱が染みこんでいくように暖かさを感じる人も。
で、「先生の手、あったかいですね」といわれるので、この手を触らせてあげると、、、これが大して熱くないのだ(苦笑)。

そういえば、昨日、アンビリバボーで「気功がどうたら」とかやってましたね。
じっくり見たかったけど、子どものお風呂だ犬の散歩だ、で、ほとんど見れず、、、(涙)。

でも、僕がよく遠隔で助けてもらう人なんかだと、熱すら感じない。つながってる感じもまったくない。あれ?あれ?あれ?という間に良くなってたりする。

そういうのを考えるとまだまだ、「なにが治すのか」「どうやって治るのか」本当のところはわかりそうにないけど、その施術家とその患者さんにもっともふさわしいカタチで治癒というのは起こるんではないんでしょうか?

でなければ、こんなにもたくさんの療法や奇跡を謳う健康食品があることの説明がつかないし(苦笑)。でも、どっかで、療法や食品ではなく「人」の問題だって気もしてる。

あなたのレベルに応じた友達ができるのだ、なんていう人がいるように、それぞれのレベルに応じた治療家と患者さんがいるのかもしれない。それを、上下で捉えるのではなく、いくらでもどこからでも「門」は開かれているのだと見ればちょっとはラクかな。

だれもが、いつかはラクになる、僕はいつもそう信じてやってます、てへ。
(うーん、心に迷いがあると取りとめもない内容になるなあ、、赤面)







コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経営の心配よりも

2006-02-20 19:57:57 | 健康 整体
このまえ、お客さんから「こんな良心的で、やっていけるのか心配しますわ」と言われてしまいました(笑)。

僕も心配してます(爆)って、そうじゃなくて。

良心的にやって潰れるなら、潰れてしまえ、と思わないこともないのです。そういう(良心的な)店は武庫之荘にはいらないよ、と地元の方が判断されるなら、です。

経営者の視点で、経営者として、どうやねん、というそのあたりのバランス感覚も非常に大事です(ええ、言われないうちに先に言っておきます。笑)。

ただ、お客さん、地元の人、からしたら経営者のスタンスなんて関係ない話。
経営上、こうなりますから、こうします。
だと、地元の人はおいてきぼり。

それよりも、そのお店が地元にあれば、地域の人が幸せになれるか?を目指したい。
いまあるスーパーの代わりにあのスーパーが地元にあればなあ、と思われているようでは、そのスーパーは地元民を幸せにしていないよね。

私の好きなあのマッサージ店は遠いんだよなあ、せめてかいつう館の場所にあのマッサージ店があればいいのになあ、と思われるようでは、どもならんよね。まだ、かいつう館が潰れて他の店に後を託した方が地元の人の幸せに貢献できるかもしれないくらい。

おかげさまで、かいつう館は武庫之荘の人達から支えてもらっておりますので、安泰でしょう、、、きっと(爆)、ずっと(にっこり)。


追伸 そういうわけであの事件のことは書かないよ?お客さんには関係ないからね。わかりますね?あなたになら。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

are?

2006-02-18 12:36:19 | 健康 整体
定休日の二日間、首の痛みに悩まされた。二日目には、頭にまで「ピキ―ン」と音がするような痛みが走るし、薄い布の暖簾が頭にふれるだけでピリッとするようなイヤな感じが、、、。

自分なりに揉んでみたり手を当ててみたりしたけど、効果はイマイチ、、、。

で、明日から仕事という段になって一晩ねたら、、、痛みが取れてました(笑)。もっとも、嫁さん曰くは「はた迷惑なくらいに動き回ってた。暑かったん?」と。

よくココで書いた「無意識の動きに悪いものは(大概)ない」ってやつでしょうね。痛みから逃げる無意識の動き。快適なほうへ向かう無意識の動き。

それを、僕の心の師匠に言ったら「自分でやるときは、『なんとかしなきゃカッコ悪い』という気持ちや、結果がでないことにたいする焦りや疑いがおこるからねえ。寝てるときは『自分』も『結果』も手放せるから、良い結果がでたりするよね」なんて仰ってました。

結果を手放すと良い結果がでる、というのも面白い話ですが、そういうことを書くとまた「自分でかいつう館の商売を阻害してるやんか」、というありがたい知人友人のお言葉が返ってきそうです(苦笑)。結果をだすのは、あんたでしょ?と。

僕が皆さんに一番考えて欲しいのは
「体は壊れやすい、骨はずれやすい、歪みやすい。すぐにそうなっちゃう欠陥品。だから、しょっちゅう通うように」という先生と、同じように思ってる患者さんのペアと。

うちのように「体ってすごいなあ、自分で直っちゃったり。一見、骨がずれたようにみえてもちゃんと深い意味があったんだなあ。悪いことなんて起こってなかったんだなあ。すばらしいなあ」と常々感心しまくってる僕と、同じように考えることができるお客さんのペアと。

どっちが早く良くなるか、です。
現象は同じ。それを正反対に考えてる先生と患者さん。
どっちが正しいのかは知りません。
キーワードは、
「『あなた』の真実は?」です。
あなたが選んだ方、が、あなただけの真実です。
自分の体が好きになれそうな人は、是非かいつう館へ(にっこり)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すじちがいな話

2006-02-15 16:25:54 | 健康 整体
(体にとって)筋違いなことをするから、筋(スジ)を痛めるのだ、と言った先生がおりました。
けだし名言。

もっとも、なにが筋違いなことなのか、わからないから、「それをする」んですが。

で、わからないのに、「それをして」しまうのは、(あたまが)それを優先させるから、だったりして。

例えば、最近、僕は電車に乗ると、座っているよりも立っているほうが腰にラクなような気がするようになってきました。おそらく、腰の筋肉が衰え始めてきたんでしょうね、、、。

ええ、座っているのって、けっこう腰に負担がかかるんですよ。足がない分、上半身の重みを腰で受けなければなりませんしね。他にも理由はあるんだろうけれど。

でも、わずかな空きスペースがあると、座らないと損した気になりません?電車に乗るとき、ドアが開く前から、空いてる席を目で探し、立ってる人の動きを横目で観察して(笑)突撃っ。

で、座れたら、「ラッキー」、、、なような気がしちゃうんですけど、本当にラクかというと、自分の中ではそうではない(苦笑)。でも、座れたら得した気分(な、情けない、、、)。

これって、ひとつの筋違いですよね(笑)。で、座席から立ちあがるときに「よっこらしょ」(最初っから立っとけよ。爆)。

もっというと。
車をバックでスペースにいれるとき。

不精して(あたまがラクしようとして)、首だけ捻ってうしろを見て運転、、、してると首筋が違ったりします。

まず、腰をすこし捻っておいて、肩を少しまわして、それから首をひねると、スムーズにうしろを見ることができて、筋(スジ)も傷めにくい。それだけ筋肉は連動してるんですね。

首だけ動かした方が、動く範囲が少ないから、得した気分だけど、決してラクじゃあない(笑)。

首のスジと胴体のスジと腰のスジが連動していない、接続が違っちゃってる。

「おまえ、それはちょっとスジが違うんじゃないか?」
「ちゃんとスジを通せよ」
と恫喝するまえに、自分の体の筋を通しましょうね(笑)。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロック・ユー

2006-02-12 20:11:17 | 健康 整体
知人の話として、「治るのは本人の力」というニュアンスのことをなんどか書いてきた。
じゃあ、「お前はなにをしてるねん?」という話がでるのも当然。

知人は、あくまで「さあ、、、勝手に本人が治っていくねん」と言うが。確かに、彼の場合は触れずとも治っちゃったりするんで、まあ、、、そう言われても納得できないことはない(苦笑)。

かいつう館的には、こう。
痛みは、カギがかかってる状態。それを知らずに、ドアを開けようとしている。いくらガチャガチャ揺さぶってみても、うるさいばかりで開かない。
で、かいつう館が、カギをはずしてあげるわけ。
すると、スルスルスルと、開くよね。

ほんでもって、かいつう館が例えば「五十肩」なら五十肩という痛みを取ったのかと言うと、
痛みを取った、わけじゃなく、ロックをはずしただけ。そしたら、スムーズに動くようになった。

だから、痛みがあるとかないとか痛みが消えるとか痛みが取れたとか言うよりも、「痛くなく動けるようになりますよ、だって、カギが掛かってるだけなんだもん。それさえ外せば、ね」という理論です。痛むなにかがあるんじゃなくて、動かすと痛い。動けないようなロックが掛かってるだけで、本当はどこも「痛くない」(うーん、ちょっと表現がややこしいね)。だから、そこを見つける、カギをはずす、このステップで改善できますよ、と。

逆にいうと「本当に痛みがある場合は、なかなか取れない」んですよ。ロックが掛かってるんじゃなくて、捻挫とか、挫傷とか、骨折とか、切り傷とか、痛風とか、、、(苦笑)。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よんたん、泣き狂う

2006-02-11 23:04:52 | 健康 整体


車に乗っていたよん。

目的地に着き、ママがチャイルドシートから降ろそうと車を出、回りこんだ瞬間に、いつのまにかママのカバンから抜き取ってもてあそんでいた、リモコンキーで、

「カチャッ」

「、、、、」

あの、、、ドアがロックされてますけどーっ。

ママは家のカギをかけたり車を運転したりするので、それらすべてのスペアをキーホルダしたやつで運転してたのね。もちろん、それまだ運転席にぶら下がってる、、、。

いつまでたっても降ろしてくれないママのいつもと違う形相によんが泣き叫ぶ。

周りから人が集まってきて、ますます不安が募るよん。わけもわからず、狂ったように泣き叫びながら、必死になって「ロックボタン」ばかりをおしまくるよん。

今月末で一歳と半年になるよん、あわれなり。

(このまえのブログを下げたくて、これを書いてみた)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする