尼崎の整体院です|「かいつう館の日々是整体」 腰痛など慢性の痛みは当院にお任せください^^

尼崎・武庫之荘の整体院です。腰痛・股関節・膝痛、首痛や頭痛など大得意。回数券を必要としない、通えない方のための整体です

(睡眠不足を)なめとったら血ィみるで?ああ?

2005-06-30 09:20:02 | 健康 整体
いつ寝たのかわからない日が三日ほど続いたあと。朝から飼い犬の爆にせがまれて全力疾走を三本。
帰りがけに、鼻血が吹きだした。ハンカチで押さえたけど、絞ったらぼたぼた落ちるくらいでた。もちろん、絞ると手が血に染まるので実際には絞っていない。念の為。

おもわず、昔を思い出した。サラリーマンだったころ、三時間くらいしか寝る時間がない日が続いて、風呂にも入らず、で朝起きてシャワーしてたら、すごい量の鼻血、、、。シャワー中で血行が良くなってるから出るわ出るわ。仰向いたってカラダにかかるだけ。拭くわけにもいかん、と胸から下についた血をシャワーで流したら、また暖まってどんどん出てくるし、、、。みたら、足元が血の海。このまま逝ったら自殺に間違われへんか?とふと考えた。なんにしても血がとまらん限りは湯船からでられず、遅刻するかと思った。。。。そういう問題ではないやろ、と。

しかし、犬は鼻血をださんなあ、もっともうちの犬(ぱぐ)は、鼻はないけど?
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健康法、万彩

2005-06-27 10:09:21 | 健康 整体
このまえ、古くからの友達が来てくれた。その彼の知り合いの女医さんは、浴びるように酒を飲むのが好きなんだって。それで、彼の方が「そんなに飲んだら体に悪いんちゃうん」と言ったら「たまには肝臓をいじめないと怠けよる」とか言ったとか(ちょっと、違う人がはいってるな、ここだけの話)

健康法って、ある一面だけをクローズアップしてるとこがあんのよねー。たとえば、「良く噛むこと」が大事だと言われてます。噛むと顎の発達に良い、脳に刺激がいくので活性化する、唾液には発癌物質の生成を抑える働きがある云々。でね、こういう意見もあるの。「噛むと胃が仕事をしなくなる。固いものを噛まずに食べることで胃が必死になって消化分解しようと、俄然働きが良くなるのだ」。もちろん、「噛まない事で胃が『余計な仕事』をしないといけなくなる」という意見もあるわな。ものは言いようか?と突っ込みたくなったりして。○○健康法、ってだいたいが「それだけ」に特化してたりするしね。それがたった一品の食材や健康食品であったり、たったひとつの器具や運動法であったり。

こうやれば人間は120歳まで生きられる、というテーマの本もあります。ただ、その人も120歳になってから書いたわけじゃなく(笑)編集の人が本のタイトルを決めちゃったりするから、余計にややこしい。

いろんな健康法があるけど、誰も死ぬ間際に書いたわけじゃないから、本当のところはわからないよねー。今やってる健康法が来年には否定されてるかもしれないし。(ジョギングブームを巻き起こした人がその最中になくなったのは有名な話。あ、、、ジョギングブームって知りません?あは、古すぎましたか)

それでも、ある健康法にピンときたんなら少なくとも、それをやってる間は信じきってやったほうが良いような気はするな。流行とかじゃなく、ピンときたんなら、ですよ?。
いろんなテレビで「あれが良い、これが効く」ってやってますよね。でも、食べ物としては八割は知ってるものでしょ。つまり、いままででもカラダにいいものはちゃんと食卓に上ってたんですよ。だから、いまさらなにを、とも思うんだけれども、「効果を知って食べる」という『効果』は馬鹿にならないような気もするのね。脳とカラダがその気になるからね。健康法も、そういう面があると思う。

あとは、カラダの声の反応や「快感覚」があるかどうか、が基準になるかな。「たまにはいじめなあかん」といっても翌日、二日酔いでしんどいなら虐め過ぎでしょ、ふつー。肝臓はアルコールを分解したくて存在してるんちゃいますからね。「飲みすぎでっせー」というあまりにもわかりやすいカラダからの声ですよね。「そればっかり」食べて全体にすっごく快調、ならいいけど、「ここはよくなったけど、こんどはあそこがしんどくなってきた」んなら、それはなんかおかしいですわ。カラダからいわせれば「ここ、も、あそこ、も」境界はないので、良くなるときは全体に調子がアップしてくるはずですからね。血液が全身を巡ってるわけで、そこだけ、に効くことのほうが珍しいですもん。

僕なら「人間が人間であるまえに生き物だ」と考えたらどういう健康法が合うだろう、もし人間が野生動物だとしたらなにを食べるだろう、そういうアプローチをします。この歯はなんのためにあるのか?この手や足には本来どういう機能があるのか?肝臓はなんのために存在するのか?それをしたら生き物としてのカラダが喜ぶか?本当か?理性や知識でなく、カラダが本当にそうしたい、と感じているか?



まあ、でも、、、こんだけ健康法がある、ということはある種救いでもありますよね。いくらでもやりなおしがきくわけですから。
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宿命、、、、て、あんた。

2005-06-26 09:48:18 | 健康 整体
腰痛肩こりは、二足歩行をする人間の宿命です。

って、あんた。

本当かなー、と思ってます。地球と太陽、地球と月の距離にはじまり、ありとあらゆる生命の完璧な姿を見るにつけ、「本当に人間だけが欠陥商品なんか?」と疑問に感じるんですが。欠陥をもつ人類が淘汰されずに生き延びてちゃあ、進化論が泣くでしょうよ。

もし、宿命なら、もっともっと患者数は多いはずですよね?つまり、全人口ってことですもん。二足歩行をする幼稚園児だって肩こり腰痛になってなきゃおかしいじゃん。もし、宿命なら、もっともっとかいつう館は流行るはずですよね?、、、ってなにを言ってるんだか(笑)

手を使えるようになったから大脳が発達し、それと引き換えに腰痛肩こりを背負った?僕は背負いながら(妥協しながら)進化はしないと思うの。アメリカでは「進化論」と「神が創った」との両論があるわけで、進化論でないほうを採るにしても、ね。

僕はいつも、まず相対的にまた逆説的に見る考える、ことをやってます。もし、人間が今のままで(直立二足歩行)完璧だとしたら、どのようなときに腰痛肩こりが宿命でなくなるのか、とか。多分、重力に対して垂直に立っていられるなら、問題ないんじゃないか、なんて。そういうのを考えていかないと、「直す」という希望も湧いてこないわけで。

まあ、宿命であるなら、これほど整体屋さんにとって福音はないんだろうけれども(あはは)、そんなことを堂々とおっしゃる人が果たして整体をやってていいのか?



こんな感じでいいですか?(おいおい、誰に話し掛けている)「ほのぼの禅問答(笑)」あらため「ほのぼのかいつう日記」へ脱皮できてますでしょうか???
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また変な事を思いついた、、、

2005-06-25 13:16:42 | 健康 整体
しばらくは、ほのぼのしたことを書こうと決意していたのだが。

ここ二日間、よんたん(九ヶ月)がすごい高熱をだしてます。熱はさがらん、汗はかかん、水分はほしがらん、で大変です。まわりからは、高熱が続くと脳にダメージを与えるよ、とアドバイスのような脅し、、。

ここからが「変な事」の思いつきなんですが。もし、熱をだすことに必然性があり、自然治癒力の一環なら、なんで脳にダメージをあたえてしまうことがあるのだろう???自然治癒力とは不完全なものなのか???

不思議でしようがありません。で、こう考えてみました。「カラダは『身体』を守ることを最優先しているのであって『脳』を守ることを第一番に置いていないのではないか」と。カラダは、自分の身体を最大限維持しようとしている、と。その際、脳に一定のダメージがあっても生命と身体を維持できるのであれば、満足できる結果、とみなすのではないか、と。

どうしても、僕達は、脳は他の内臓と違って特別なもの、とみなします。また、脳こそ「自分」である、とも思っています(脳移植が可能だとしたら、元のカラダを自分と考えるか、移植先を自分と考えるか?)しかし、カラダというこのトータルで一個、というやつは、そうは思っていないんじゃないか。いま、僕達は脳があって、手足が何本かずつ、腎臓はひとつないしふたつ、、、、と認識していますが、カラダから言わせれば、「カラダは単に一個なんだよっ」って思っているのかも。

先日、貸してもらった本に「脳の無い生き物はいるが、身体のない(生物、脳)はいない」といったニュアンスのフレーズがありました。果たして、脳がトータルに身体を支配しているのか?または、脳は身体に奉仕しているのか?
人間は利便性を追及していくなかで、自転車、車、という足となる機械をつくりあげ、作業(産業)用ロボットをつくり、手の代わりをさせ、そして、いよいよコンピューターです。コンピューターがあって、自転車が開発されたわけではありません。まず、移動手段、それからもっと効率良く、とコンピューターが開発されていく、、、。コンピューターが産業用ロボットを精密にコントロールしていく、それはコンピューターが偉いからなのか、ロボットに奉仕している姿なのか、、、。

ふー、、、ついついこんなことを考えてしまう自分が変だなー、とは思うんですよ?でも、こう考えてるのは「脳」の自分?カラダの自分?ん?カラダの自分、、???



一応ね、これからは心を入れ替えて、ほのぼのネタ、整体や健康ネタを中心に展開していくつもりだったんですよー。それが、これですもんね、、、。
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飛んだ、、、ってダイブすんなーっ

2005-06-23 16:44:48 | Weblog
また陽平が飛んだ。

今度は、ベビーベッドから、自由を求めてダイブした。落ちたのではない。柵に手をかけ、檻(?)を足の指でつかんで、雄たけびをあげて飛び出した。

過去にも、二度ほど、目を離したすきにソファから落ちた事がある。それも生後二ヶ月と三ヶ月くらいのときに。もちろん、じいじとばあばには言っていない。怖くて言えない。

そして、九ヶ月にして、、、飛んだ。

落ちた。

泣いた。

しかし、それだけ。頭は重い、、、はずなのに、どうしてか背中から落ちる。通算三回、見事に背中から落ちる。別に受身を教えた覚えはないのだが。知識がない分、本能が身を守るのか。

などと、分析をしたい気分ではない。頼むから、、、止めてくれ、と言いたい。

かいつう館 ほのぼの日記 でした。
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それはやりとりであり、魔法ではない

2005-06-23 10:45:01 | 健康 整体
http://fujicocafe.com/cool/index.php?e=94今日は、トラックバック先の方の内容から気付かされたことを書かせていただきます。



最初の箇所は、お子様のお世話をされているときは体感がなくて、ようやく休める、というときに感じていらっしゃるところです。これは、当たり前の話ですが「受け取れるときに受け取る事ができる」ということなんだと思います。裏を返せば「受け取れる状態にないときは、こちらがなにをしても受け取る事はできない」ということです。僕は、これはこれでいいのだと思います。この方のケースではそれはタイミングの問題だけですが、例えば「何十年とわずらった俺様の病気をお前ごときに治せてたまるかいっ。できるもんならやってみやがれ」という方であれば「受け取りようがない」でしょう。「いらない」って言ってるんですから。これができてしまうなら、相手の病気に、否、人生に介入できてしまうことになってしまいます。本人の意向に関係なく、自分の人生を相手が左右できてしまうなら、それは自分の人生とは言えなくなりますから。

二つ目は、「熱を下げてくれ」という依頼に対して「不思議にストンと下がりましたー」とは仰っていないところです。必要があって熱が上がっているなら、必然性もなく熱が下がることはないでしょう。それは自然の摂理に反するし、西洋医学の対処療法と変わらなくなってしまいます。この場合は、熱を一気に上げきって、その役割を終えてから下がっていったのではないでしょうか。むしろ、熱を上げる方を促進したのではないか、とも思えてきます。そう考えたら、過程としては不思議でも魔法でもないんだなあ、と感心してしまいます。

追記
この方は、今なお、のこった症状に苦しめられているそうです。つまり、、、「熱をさげろ」といわれて全体を見ずに熱だけさげてもだめじゃん、という反省を促してくれました。ご、ごめんね。僕の友人が学んだ療法の中に、「お客さんにとって最善の事がおこりますように」と思いながらやりなさい、というのがあるそうです。その痛みを取ろうと努力しながらも、その痛みがカラダにとって、または人生にとって必要なものなら今は消えなくても良し、とするものです。お金を取りにくい(苦笑)療法ではありますが、対処療法とは正反対の思想ですよね。深く考えさせられた次第です。
で、、、もうちょっと頑張ってね。

追記その2
ぼちぼち、ほのぼのしたのも書く予定です(笑)


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生命は「自ら助けるものを助く」

2005-06-21 19:03:13 | 健康 整体
最近のお客さんで「糖尿をわずらっている。良い薬ができるとかできたとか聞いたんだが、まだ市場にはでてこないようだ。早く世に出てきてほしい」と。うんうん、その気持ちはわかりますよ。わかるけど、、、そんな薬できたら、あんた、安心しちゃうでしょ?生活、改めなくなるでしょ?
こんな話はまえにも書きましたよね。

僕は気功家じゃないので良くわかりませんが、気功治療で有名な方でも、外気功プラス自分でする内気功を患者さんにさせる人が何人かおられます。昔は、「気功家やねんから、患者にゲタを預けないでお前が責任もって治したらんかい」と思ってました。また、「治すのは本人の力です。私がなにかをしたわけじゃありません」という気功家にも「んな無責任なっ。そう思ってるならお金とるなよ」と思ってました。でも、上記のお客さんの話を聞いて、「ふー、、、、、む」と唸ってしまいました。内気功とかしてるうちに「気」という目に見えないものに「触れること」ができたなら、その人の人生観がかわることもあり得るでしょう。ああ、見えはしないけど、大いなる命に生かされているんだなあ、と。そうしたら「糖尿を良くする薬があれば食事を我慢せんでもええのに」なんて発想はでてこないのかもしれません。

本人の人生観は思ったよりも大切なのかも知れませんね。僕も会社を辞めてから体調が変わりました。環境もかわりましたが「辞めよう」という思考のなかで人生観が変わったこともその一因かも知れません。また、日々の生活のなかでもっと「私」というものをハッキリと意識していたほうがいいのかも。たとえばお医者さんが「原因はわかりません」と言ったとしても、厳密には「私(達)には現時点ではわかりません」という意味だろうし「治りません」と言ったとしても「私には治せません」と解釈しちゃえばいい。主語を抜くからややこしくなる。「あいつ、ムカツクよねー」は正確には「私はあいつがムカツクんだけど、あなたはどう?」であるはずで、ムカツクことをみんなの大前提にせんといてほしい。「あの店、不味いよねー」は「私はあの店をまずいと思ってるんだ。あなたもでしょ?」だし。、、、だから、話がずれてます、って(笑)

「膝が悪くてねえ」いやいや、「私は」が抜けてるでしょ、と。膝が悪さをしてるわけじゃないんですから。どっちかというと、「私」が悪さをするから「膝」が痛いんじゃないの、と。膝が痛いんじゃなくて誰かさんが膝を痛めつけてるんじゃないの、と。

だれが、その病の原因を作ったのか?そもそも、その病人に対する加害者(原因をつくった人)はだれで被害者(病気になっちゃった人)はだれなのか?そして、、、あなたを救う救世主はだれ?すべては、もしかしたら、三人とも同じ人なのか???
そんなことを、考えさせられた一日でした。
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病院にないもの

2005-06-18 13:05:54 | 健康 整体
それは「筋肉を診る」という発想です。

例えば、レントゲンを撮る。「異常はないようです」
異常がないのに薬をだせるのも不思議ですが、それはさておき。我々は(我は?)、筋肉を観ます。

前屈したら手が床に着かない人がいますよね(私私っ。はるか昔から)無理したら膝の裏あたりが痛くつっぱってどもならん、という、、、。これ、「前へ曲げたら膝の裏あたりが痛くて」、と病院に行ったら膝のレントゲンを撮って「異常ありません」と言われるのでしょうか(笑)そもそもレントゲン撮ろうとすらしないですよね?当たり前すぎて。そのまえに病院には行かん、ってか。

さて、、、。もし、前屈したら腰が痛い、という人がいたとして。もう、話が見えてきちゃいましたよね?
ここでタイトルにもどりましょう。病院にないもの、それは「筋肉科」です。皮膚科もある、骨を診る整形外科もある、でも「筋肉科」はないんです。不思議ですよねー。カラダの大部分は筋肉なんですよ?筋肉のなかには神経も血管も通ってる、その筋肉に異常がでれば、そのなかの「それら」も影響をうけます。また、筋肉が固くなると曲げにくくなる、当たり前のことですが、それを無理して曲げたら痛みもでるでしょう。
ならば、どこの筋肉が固くなってるのか、を見つけて緩めてやれば、「動かしても痛くない」状態に持っていけるんです。ね、すごくシンプルでしょ?「固い、動きにくくなる、動かせる幅が小さくなる、それをいつもどおりに動かす、それは無理をしていることになる、無理な事をしているのだから、させないようにブロックがかかる、ブロックを突破すると、痛みがでる」。だから、大本の固くなった筋肉を探し出して解放してやれば、ブロックも勝手に解除されて、動かしても痛くなくなる。うーん、簡単っ。

とは言っても、私はいつも「病院に行かれましたか?」と必ず聞きます。で、「異常はありません」と言われた方なら安心して取り組むことができるんですね。あとは病院が観ないところを私が観ればいいわけですから。ある意味、病院は大いに活用してくれたらいいと思います。それは、きちんと検査を受けて安心する、という点においてメリットがあるからです。肩が痛いといっても心臓からきていることもあり得ます。腰が痛いといっても内臓からきているなんてことも聞く話です。それらをクリアにしてくれるのは病院です。最初から整体屋に行って手遅れになる、なんてことがあっては泣くに泣けませんから。

で、その上で病院の「異常ありません」は、今のシステムでは重篤な異常は見つけられませんでした、ということであり、また、単純に、異常箇所はわかりませんでした、ということでもあるのだ、と私は解釈しています。

寝違いなんかもわかりやすいですよね(ただし、なってすぐは炎症をおこしている可能性があるので痛みはひきにくいですけど)。たった一晩で首の骨に異常がでるのかって話。また、時間がたてば勝手に治っていくのはなんでなんだ、ってこと。こんな現象は「レントゲンで骨を24時間見ていたって」解決しっこない、と思いません?じゃあ、今まで観ていなかったところ(筋肉とか)を見なきゃあ、前には進めませんよ、と言いたくなりますよね。






つまり、、、、、、、、、病院が、筋肉を診ない限り、我々(我?)の職業は安泰なのだ。ふふふっ。
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ストレスストレスと言う前に

2005-06-16 15:51:03 | 健康 整体
「腰痛は怒りである」まあ、それは買って読んでいただくか、うちで貸しだしもしておりますが。

ストレスと言えば。

「しばらく定期的に通ってください」「週一回のペースで来て下さい」「何年も患ったものが一度や二度で治りまっかいな、三ヶ月は通ってください」
こんな先生方のセリフがストレスになるのを、言う側はわかっていないのでしょうか、、、。

こちらからしたら、週に一回といっても30日のうちたったの四回か五回、という意識があるのかもしれません。でも、たいていの人は休みは週に一回(一日か二日)ですよ?それを全部つぶせと?友達との買い物、映画、家族サービス、それらを抑えて治療院に通え、と?それこそがストレスでしょうよ?その人達にしたら、月に四回か五回しかないうちの一回を治療院に来るのでも、四分の一を消化しちゃったことになりますよね?お金も時間ももったいない。だいたい、自分のお小遣い、っていくらですか?そのなかで一ヶ月になんども通えます?(私は無理っ。きっぱり)しかもわずか一時間やそこらで映画の二倍の値段プラス食事代はいただくわけですよね?それだけの意識が先生方にもいるんではないの、と。私、もし、今、週に一回通わされたら家庭が崩壊しますから(笑)

お医者さんに、試験のほかに治療をうけさせるべきだ、なんて話もあります。自分が内視鏡を入れられてみよ、何度も採血されてみよ、手の甲から点滴されてみよ、痛みのわかる医者になれ、という主旨ですね。自分が患者だったら、そうそう何度も通いませんって。


肩こりや胃の具合が悪い、「あ、ストレスですねー。しばらく通ってきてください」って、、、それ自体がストレスなのっ。せっかくの休みはもっと楽しいことしたいんだってば。だから、来てくれた人には心からありがとうと思うし、何度もきてもらったら申し訳無いにゃー、とも思うし、この一回をムダにはさせないぞ、と思う。商売的にはどうか、とも思うが(苦笑)
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邪気邪気ジャッキー

2005-06-14 14:04:31 | 健康 整体
たまあに、聞かれます。こういう仕事をしててお客さんの邪気をもらうことはないんですか、と。

無いです。もらったことに気付かないだけ?いえ、仮にもらっても気にしない。気にしないから、「無い」のと同じ。

そもそもは「もらわない」と決めているんです。「もらうこともある」と決めたら、多分、もらうこともあり得ます。邪気を受けないからといって「邪気はない」とは言い切りません。「邪気はあるんだ」というひとには、確実に邪気は存在するもんですから。

確かに、「今日、なんで頭が痛いんだろー」と思っていたら、すぐあとに「頭痛なんですけど見てもらえますか?」なんて電話があったりしました。その方は電話予約の話をしている間に半分は治まったそうです。それを「僕がお客さんの邪気を受けた」と判断してしまえばそうなるだろうし、単に「頭が痛かったなあ、やれやれ」ですましてしまえばそれまでだし。この前の「なにが見えますか?」って話にもつながりますが。

腰が痛い、邪気のせい?でも、その痛みのおかげで動きが制限されてもっと悪くなるのを防ぐ事ができているのかも知れない。それを邪気と呼んじゃっていいのか?痛いから、異常に気付くんだし。だとしたら邪気もまた有りがたい?これは病の意味論、ですね。病をどう捉えるか、によってそれが邪気にも見えありがたいメッセージ(個人的には有りがたくはないけれど)にも見えるんじゃないでしょうか。

邪気がない、とは言ってませんよ?「邪気だ」と思ってるお客さんには「邪気を抜いてやれば」良くなるでしょう。その場合、当人同士は邪気の存在を確信するはずです。「祟りだ」と思ってる人には「祟りを祓ってやれば」良くなります。「気が不足」している人には補い、「気が滞っている」人は流してやり、憑き物がついてる人は落としてやる、、、伝えたい事、わかります?
夢枕獏という作家は「陰陽師」のなかで「それに『石』と名付けることでそれは石になるのだ。それが呪(しゅ)というものの本質だ。あなたは○田△男である、その名前がひとつの呪(しゅ)なのだ」というニュアンスのことを言わせています。(呪、しゅ、とはここでは呪い、のことではありません。)誰かがそれを「邪気」と呼ぶなら、、、それは邪気になる、という観方もあるんですよね。その場合、そこに「石」というものが厳然と存在するように、邪気もまた。
「あなたの腰痛は骨盤の歪みが原因だ」という呪をかけ、それを受け入れたなら(呪にかかり)歪みをとってやれば腰痛が消える、、、かも知れませんよね。また、あなたの腰痛は三代前のご先祖が腰を折ってなくなったからで、ちゃんと供養すれば21日後には癒えるであろう、ナウマクサーマンダ バーザラダン センダ マーカロシャーダー ソワタヤ ウンタラタ カンマン南無不動明王、願わくば真言の功徳をもってこの者を腰痛より救いたまえっっ、で21日後に良くなる事もある、、、。(うーん、悪乗りしすぎ。面白いテーマだがどんどんタイトルからずれていくぞ?)

そうそう、邪気の話でした。で、邪気はあるのかないのか?邪気をもらうことはあるのかないのか?僕のスタンスは、そんなこと、知りましぇーん、です。あってもなくてもかまわない、です。僕には関係ないです、というポジションです。これを、無邪気、と言います。おあとがよろしいようで。

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