JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

仙台の地学

2011年12月30日 | 東北大震災


 今年ほど「人間も自然の一部」と感じられた年はなかったように思います。3月11日と4月7日の地震で仙台中心部も震度6の揺れを観測しました。2年前の栗駒山の地震の時もすさまじい揺れを感じましたが、今回はその比ではありませんでした。

 そろそろ来るだろうと思われていた津波も予想を超える形で現実のものとなりました。



 ふとXの蔵書を眺めていたら、『新編 仙台の地学』という本が目に留まりました。地学団体研究会仙台支部編集で昭和59年発行。教科書の副読本だったのかもしれません。扉をめくると、400万年前の仙台付近の復元図が載っていたのですが、これを見て、驚いてしまいました。なんとその当時、今の仙台中心部は完全に海の底だったのです。



 たまに移動運用に出かける蕃山(萱ケ崎山)が岬で、その隣の権現森は島になっています。南に太白山が今と同じかわいらしい姿で描かれています。かつてこの山は海からよく見え、船乗りたちの灯台代わりだったそうで、山頂には貴船神社が祭られてあります。この絵をみるとそれがよくわかります。北に目を転じると、七ツ森が海に突き出て、栗駒山あたりからは噴煙が上がっています。我が家は?というと、ちょうどクジラが潮を吹いているあたりです。

 今回の津波でここまで広範囲に水没したわけではありませんが、「水は昔を覚えている」ということがあらためて実感されます。移ろうのは人の世に限ったことではありませんね。何百万年という歴史の過程では、地球の圧倒的なエネルギーによって自然も地形も刻一刻と姿を変え、人もそのダイナミズムに翻弄されて逃れることはできない・・・。その後、陸地が隆起し、広瀬川の固い段丘の上に、今から約400年前、仙台の町が築かれたわけです。伊達政宗公の時代も津波があったそうだから、海から約10km離れた城下中心部に海水が押し寄せることはなかろうと踏んでの町づくりだったのかもしれません。今更ながら政宗公とその洞察力に感謝です。でもさすがに、地下深く巨大な活断層が眠っていることまで知っていたかどうか・・・。


 さて、このブログも開設して3年数か月が過ぎ、なんとか今日まで続けることがことできました。石の上にも三年といいますから、来年は何か報われることもあるのかしれません。今年は、3月の震災をきっかけに、地震予知とか防災とかQRPとか、それまであまり気に留めなかったことにも関心を深くしました。これからどんな方向に興味が向くのか自分にもわかりません。月3~4回、書き留めたいテーマが見つかった時だけ書く、というスタンスでこれからも続けていければと思います。この一年、お付き合いいただき、ありがとうございました。



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