JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

東北大震災

2011年03月15日 | 東北大震災
 3月11日午後2時46分は職場でデスクワーク中でした。強い揺れが来て、数日前の宮城沖地震の余震かなと思ったら、揺れはだんだん大きくなって、収まる気配がありません。机の上の書類が落下、倒れそうになったパソコンを右手で押さえ、左手は机の引き出しが飛び出すのを押さえるのがやっとでした。そのうち、パソコンの画面が切れ、照明も切れて停電になり、この時点で、のっぴきならない大地震が来たと感じました。揺れはなおも強くなるばかりで、やっと止まったのは十数分後だったと思います。M9.0と知ったのは後のことですが、感じたエネルギー、その強さと長さは確かにそんな実感を伴うものでした。

 それから5日、毎日十数回続く余震にも体が慣れてしまいました。これまで気付いたことと現状について書いてみます。

 《帰宅困難》
 揺れが収まってしばらくして帰宅することにしたのですが、ビルの外は見たことも無い程の大勢の人が路上に立ちすくんで、JR仙台駅前は人であふれておりました。なかなか前に進みません。いつもの倍の時間をかけて徒歩で帰りました。当日は、帰宅困難者も多数あったようです。

 《情報不足》
 停電なのでテレビを見ることができません。津波が各地で到達していることはラジオで知りました。刻々と被害の様子は知ることができましたが、音声のみでは限度があります。結局、被害の状況を映像で見ることができたのは、電気が復旧した13日の朝でした。自分の周辺で何が起こっているのか、被災地にいる人に最も情報が入らないということを実感しました。普通の乾電池で動作する携帯できるワンセグテレビを買っておけばよかったと後悔しました。映像の力は大きいです。

 《携帯電話》
 携帯電話は通話、メールともまったく使用不可でした。今でも繋がりにくいです。充電できず、困っている人が大勢おりました。いざという時に役に立たないと言われていましたが、本当に何の役にも立ちませんでした(ソフトバンク)。

 《ライフライン》
 地震の最中から、停電が始まり、水道、ガスも停止、電話も不通となりました。物心ついてからこんなに長い停電と断水は記憶にありません。仙台の街は本当の暗闇となり、オリオンが輝いていました。トイレは風呂の残り湯で流しました。照明はLEDライトとランタン。二日目の夜も暗闇というのは1日目以上にショックでした。13日朝、電気と水道が復旧。有線電話とインターネットも使えるようになりました。有線電話に関しては、こちらが復旧しても、相手の地域が復旧しなければ使えません。私もまだ連絡の付かない知人が何人かいます。今現在も、仙台市の一部以外は停電と断水が続いており、ガスの復旧は最低でも3週間かかるとか。風呂なし生活続行中です。

 《建物被害》
 今回の地震で、仙台の中心市街地はほとんど見た目の被害はありませんでした。あれだけ強い揺れにも関わらず、なぜビルの倒壊や傾きがないのか不思議なくらいです。ブロック塀も倒れませんでした。液状化もあまり無かったと聞いています。もし、仙台が被害を受けたと聞いて他地域から来られたら、拍子抜けするかもしれません。中心部にいると、数キロ先の同じ仙台市内で起こっている津波被害が現実のものと思えない程です。ただ、建物は無事でも中はグチャグチャで、家具が倒れてガラスが散乱したとか、冷蔵庫も倒れたとか、テレビが飛んできたというような話しはあちこちで聞きました。余震が続くので片付けもできず、避難所生活を強いられている人が中心部でも少なくありません。

 《無線》
 VUハンディ機に常置場所のアンテナを接続してワッチしてみました。静かです。停電で固定機が使えず、モービル局がわずかに聞こえておりました。年に一度、災害時を想定した訓練もおこなわれており、アマチュア無線が有効に活用されているのかと思いましたが、そういう状況はみられませんでした。我が家の電気が復旧してからも、仙台周辺部はまだ復旧しておらず、静かなままです。Xとの連絡は特小トランシーバーを使いました。数百メートルなら交信可能で、コンビニ行列の状況など近所の偵察に重宝しました。

 《仙台の今》
 当日は地震のショックで興奮状態。翌日からは我に返って、急場対策をする人が多いらしく、コンビニや大型スーパーに多くの人が行列を作っていました。1日で商品がなくなり休店。別の店に行列ができるの繰り返しで、だんだん、開いている店が少なくなってきました。何を買っているかというと、食べ物、電池、カセットガスボンベ、ペーパー類など、それが売り切れると手当たり次第。ほぼ買い尽くされてしまいました。コンビニやスーパーの休店に加えて、牛丼チェーンやレストラン、居酒屋などもほとんどが休業中。ガソリンも行列を作って1回5リットル制限などで販売されていますが、こちらも休業が日ごとに増えています。山形県内まで買い出しに出かける人もいますが、そちらも品薄とのこと。ガソリンが給油できず遠出はできなくなりました。市内の車も少なくなり、夜は人通りがありません。不気味なほど静かです。

 交通は、やっと地下鉄が一部再開されました。JRはすべて運休。高速道路も一般車は不可。モノが入ってこない。新聞は極端に薄い紙面で13日から配達されるようになりました。宅配便は配達されません。沿岸部の銀行の多くも被害を受けました。人も動きようがないです。


 津波被害については、直接、間接の話をたくさん聞きましたが、あまりに過酷なので控えます。

 何度も登った山元町の深山や新地町の鹿狼山、南三陸町の惣内山・・・・これらの山々から眺めた馴染みのある駅や集落が一瞬にして呑み込まれ、消えてしまいました。






コメント (4)
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