JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

飯坂温泉 愛宕山

2011年01月04日 | 里山 移動運用
 福島盆地の中でも、飯坂温泉は三方を山に囲まれ、多少なりとも降雪をみるのが常ですが、今年は珍しく好天に恵まれました。ここ数年、年末年始を飯坂で過ごすことが恒例となっており、今回もハンディ機持参でのんびりしてきました。

 一年ぶりの飯坂は、駅前の摺上川沿いに新たな共同浴場「波来湯(はこゆ)」が完成し、元日がオープンとのことでした。その場所には廃業の旅館が朽ち果て、荒れた雰囲気があっただけに、見違えるようになっていました。かつて東北最大と言われた温泉地ではありますが、いつの間にか、あちらこちらに旅館の廃屋が目立つようになっておりました。それがまた、温泉街に独特の雰囲気を醸し出しているのですが、最近は、そこが公園になったり、足湯が作られたりと、飯坂も変わりつつあるようです。


新築なった木造の波来湯

 さて、いつもの馴染みの宿。ここは、摺上川に面して、1階がフロント、地下1~2階が客室、地下3階がお風呂という構造で、古い木造の階段を軋ませながら温泉まで降りていきます。風情があると言う人もおります。宿泊の部屋はいつも地下1階。道路より低いわけで、おおよそ無線運用には不向きと言う他ありません。飯坂には現在も数十の旅館やホテルがひしめいているので、もっとロケーションの良い所はあるにはありますが、なにしろ驚くほどリーズナブルで、この魅力には勝てません。

 一風呂浴びて、さっそく無線の準備。装備は、アルインコのハンディ機DJ-S57、アンテナはHB9CV。窓際に三脚を立てての運用です。昨年、このアンテナで同じ部屋から宮城県利府町固定局と51-51程で交信したことがあります。川を挟んだ向かい側には、7階建てホテル(廃業)があって、そこに反射してうまく飛んでくれるようです。

 しばらくワッチしてアンテナ方角を確認し、CQを出してみました。福島市、伊達市、白石市など7局にお声がけいただき、夕飯までの1時間程、とぎれなく交信を楽しむことができました。福島市や伊達市からは59、白石市からは53のレポート。地下1階の部屋というと、何やら薄暗い密室のようなところを想像されるようですが、当然ながら窓もあり、窓の外は川という空間もあります。そんな状況をお伝えすると納得いただけるようです。


摺上川と温泉街


 年が明けて、元日。温泉街の高台である愛宕山で運用してみました。昨年は大雪のため断念し、ここでの初QRVを実は楽しみにしていたのです。標高141.3m。車で上ることは出来ず、下から急な階段と散策コースが続いています。山頂に着くと、所狭しと立ち並ぶ温泉街の全容はもちろん、吾妻連峰、安達太良山連峰、霊山、阿武隈の山々などを見渡すことができました。元日ということもあって、三々五々、地元の方や温泉客が登ってきますが、どちらかというと閑散としており、無線運用が迷惑になるということはなさそうです。

 さっそくHB9CVを設置、昨日の白石局の他、塩竃市や利府町モービルなど宮城県の信号が聞こえていました。東南に開けており、1エリアの信号が入るのでは?と期待してアンテナを向けたのですが、それらしい信号は聞こえてきませんでした。





 CQを出してみたところ、福島市各局に続き、山形県南陽市の固定局より応答がありました。59-59。南陽市との間には標高1000m程の山並みがあるのですが、たいへん安定した信号。アンテナは吾妻連峰に向けた状態です。吾妻反射? 試しに0.5Wに落としてみたところ、多少ノイズがあるものの59変わらずとのレポートをいただきました。相手局はGPだそうです。続いていつもお世話になっている山形県村山市固定局と51-55。同じくGPとのこと。さらに宮城県利府町移動局。こちらもいつも移動でお世話になっているローカルでハンディ機2.5W。51-51。見晴らしのよい公園からオンエアとのことでした。利府町固定局とも59-59。仙台に比べても利府町周辺は全体が高台になって、FBなロケーションということがよくわかります。2時間ほど、10局と交信したところでQRT。さすがに寒風がこたえてきました。

 交信数は少なかったものの、ここは山形、宮城ともQSO可能。宿から散歩がてら十数分で登れるFBなロケーション。宿に泊まって、すぐ近くに移動運用適地もある、こんな恵まれた温泉地はそうそう無いのでは・・?





 帰りの散策路、愛宕山の中腹に、プロレタリア作家、宮本百合子の文学碑がありました。生誕90周年を記念して、有志によって建立されたのだそうです。案内板によると、百合子は大正5年と翌年の2度飯坂温泉に来遊し、愛宕山周辺を何度も散策したのだとか。そして飯坂の人々の生活を見聞きし、小説「禰宜様宮田(ねぎさまみやた)」誕生のきっかけになったとのこと、19歳の時の作品だそうです。

 しばらく、この小説家の名前すら忘れておりました。学生の頃、3人部屋の寮で一緒だった先輩に勧められ、『貧しき人々の群』や『12年の手紙』を読みふけったことがふと思い出されました。「禰宜様宮田」は読んだ記憶はありませんが、若い百合子が大正時代の飯坂を闊歩した姿にしばし思いをめぐらせました。





飯坂温泉散策にて




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