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「ゴールデンカムイ」の人気が追い風に…関心高まる“アイヌ文化”伝承者の思い

2018-12-28 | アイヌ民族関連
ニフティニュース 2018年12月27日 20時20分 TOKYO FM+
中西哲生がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「クロノス」。12月18日(火)放送の「追跡」のコーナーでは、公益財団法人アイヌ民族文化財団の新谷史織さんに、アイヌ文化について伺いました。
日本列島北部中心、とりわけ北海道の先住民族「アイヌ」の新谷(しんたに)さんですが、社会人になるまではアイヌ文化にあまり関心はなかったそうです。しかし、たまたま知人の誘いでアイヌ民族文化財団に就職したことをきっかけに、関心を持つようになったとか。新谷さんは「もし財団で働いていなければ、こうして自分のルーツに触れることはなかったと思う」と言います。そして「自分のルーツに触れ、アイヌ文化を伝承する側の立場になれてうれしい」とも。
アイヌ文化が消滅の危機にさらされるなか、中西は「新谷さんのような若い世代が担い手としての意識を持つことは素晴らしい」と称えます。そして、野田サトルさんによる漫画「ゴールデンカムイ」の人気が追い風となり、ここ数年、世間でもアイヌ文化への関心が高まっているそうです。
漫画「ゴールデンカムイ」に関して、「アイヌ文化を織り交ぜながら、子どもにも面白くてわかりやすいギャグなども盛り込まれているので、漫画からアイヌ文化に入れるのは面白い。難しく考えないで、楽しく学べるのでいいと思う」と新谷さん。漫画をきっかけに、子どもから大人まで幅広い世代がアイヌ文化に関心を寄せる現象を素直に喜んでいました。
アイヌ文化は日本における重要なコンテンツとなり得る可能性を秘めていて、イギリスの大英博物館では2019年に日本漫画の展覧会「Manga マンガ」が開催され、そのシンボルには「ゴールデンカムイ」のキャラクター・アシリパが起用されています。
さらに、新谷さんが産まれた北海道白老郡白老町に2020年4月、アイヌ文化の復興・創造の拠点となる「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業します。
アイヌ文化への関心の高まりについて、中西は「多様性を考えるときにどうしても海外にばかり目がいきがち。でも実は日本のなかにも多様な文化があって、そこに目を向けていくことがダイバーシティと言えるのかもしれない」と述べていました。
【番組概要】
番組名:クロノス
放送日時:毎週月~金曜6:00~8:55
パーソナリティ:中西哲生(月~木)、速水健朗(金)
アシスタント:綿谷エリナ(月~金)
番組Webサイト:http://www.jfn.co.jp/ch/
◆◇83名様に「TOKYO FM」オリジナルグッズをプレゼント! 今すぐ応募を♪◇◆
https://news.nifty.com/article/entame/tokyofm/12199-155571/

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林修が“2018年最も驚いたニュース”を発表!「風呂でのぼせるほど考えました」<初耳学>

2018-12-28 | 先住民族関連
ザテレビジョン 2018年12月27日 15時53分
人気予備校講師・林修が話題のニュースや論文を独自の視点で解説する<白熱教室>コーナーも人気のバラエティ「林先生が驚く 初耳学!」(TBS系)。年内最後の放送となった12月24日放送回では、「2018年 林先生が驚いた8大ニュース」を紹介。AI(人工知能)実用化にまつわるある意外な決断をした企業の話題などが取り上げられた。
■ 林修がAIの弱点を指摘!
「林修が驚いた8大ニュース」第6位に取り上げられたのは、ロイターが報じた「世界的有名企業がAIによる採用システム運用を中止した」というニュース。
この企業では、AIを活用した人材採用システムのプログラム開発に取り組み、過去10年分の履歴書のパターンをコンピューターに学習させていた。だが、技術職のほとんどが男性からの応募だったことから、AIが『技術職は男性が好ましい』と認識。履歴書に「女性」に関する単語があると評価が下がってしまうという事態が生じたのだという。
昨今さまざまな分野でAIの実用化が進み、ここ2、3年は“AI化元年”といった表現が新聞の見出しに踊ることも多い。国内の主要企業に「会社の業務にAIを導入しているか」を聞いたところ、「ある」が20%、「既にあり、さらに拡大予定」が27%、そして「具体的な導入予定あり」が20%と、合わせて7割近くが業務にAIを導入済み、もしくは導入予定と回答したという報告もある(毎日新聞の調査による)。
一見、そんな時代の流れとは逆行するかのようなこのニュース。林は「AIは基本的に自分でゼロから判断することはない。過去のデータをいろいろたくさん読み込ませることによって、それに基づく判断をしていく。(判断のベースになる)過去のデータそのものに偏りがあった場合、それを全部平等に直してAIに学ばせることはなかなか大変ですよね」と解説した。
このニュースから林が導き出した“学び”とは?林は「たとえば電話のオペレータ(コールセンター)や銀行の与信審査など、どんどんAIが社会で活用されていくことは間違いなくて」と、あくまでもAIは大きな役割を果たしていくと指摘。その上で「AIが得意な分野と、使ったときに問題が生じる分野があるということがだんだん判明してきている、というのが現状じゃないでしょうか」と締めくくった。
人間だけでなく、人間が開発したさまざまなツールにも“適材適所”の発想は欠かせない。今後、人間の暮らしをさらに豊かにしていく可能性をおおいに秘めたAIだからこそ、さまざまな経験から“得意な分野”“問題が生じる分野”を見極めていく視点が重要だという林の主張に、スタジオゲスト陣は納得の表情で耳を傾けていた。
■ 林修「風呂でのぼせるぐらい考えましたね」
「2018年 林先生が驚いた8大ニュース」にはこのほか、「安室奈美恵の引退」や「大坂なおみ全米オープン優勝」「西日本豪雨」といった、日本を駆け巡ったビッグニュースがランクイン。髪の色や下着の色まで厳しく指定する「ブラック校則」問題や、東大の先端研究も寄与したという「空前の高級食パンブーム」も取り上げられた。
そして、林が今年最も驚いたニュース第1位は「インドの先住民が米国人男性を殺害」という事件。今なお石器時代の暮らしを続ける地球上最後の民族ともいわれるインドの先住民・センチネル族が、アメリカ人の20代男性を弓矢で殺害したという。
林は、この事件に対する国際社会の反応に注目。「先住民の文化を保護しよう、彼らの免疫も考えて、ここで(遺体の捜索・回収を)断念すべきではないかという意見が優勢になっているというのは、国際社会が成熟してきたことの表れでもあると。本当にいろいろな思いで、もう風呂でのぼせるぐらい考えましたね」と、今年もっとも考えさせられたニュースであったことを明かした。
次回の「林先生が驚く 初耳学!」は2時間スペシャルを1月6日に放送する。林修が高学歴ニートに本気の授業を行うほか、話題のコーナー<パリコレ学>にはコシノジュンコが登場。前代未聞のショー形式での査定を行う。(ザテレビジョン)
この記事の続きを読む
https://news.nifty.com/article/entame/wtv/12206-174364/

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「山丹服」などずらり 北方民族資料館が展示資料一部入れ替え【函館】

2018-12-28 | 先住民族関連
函館新聞2018.12.27

「新たな展示資料を見に来てほしい」と来館を呼び掛ける木戸館長
 函館市北方民族資料館(末広町)は、13日からアイヌ民族をはじめとする北方民族の民族衣装などを中心に並べた第一展示室の資料の一部を入れ替えた。交易によってもたらされた「山丹(さんたん)服」、草や樹皮などのさまざまな素材の衣服、靴などを見ることができる。
 アイヌが「サンタ」(山丹人)と呼んだロシア・沿海州(アムール川下流域)、サハリン(樺太)の北方諸民族と中国・清朝間の朝貢交易品は、さらにアイヌや和人社会にも伝わり、山丹服もその一つ。本来は清朝の役人服で、展示品は明治の豪商、杉浦嘉七が函館支庁仮博物場に寄贈したもの。これまでの展示品より爪が1本多い5本爪の龍が刺しゅうされた絹製品で、より身分の高い人が着ていたものだという。
 アイヌの衣服では、オヒョウなどの樹皮、イラクサといった草の繊維、和人などからもたらされた木綿などの生地で縫われたもので、いずれも展示品を入れ替えた。素材は違っても形はほぼ一緒で、魔除けの意味を持った文様を入れる位置も同じことなど、見比べることで共通性も知ることができる。
 このほか、同化政策を進めた明治政府が禁止するまで男性も使用していた耳飾りなどのアイヌの装飾品、サハリンに住んだウィルタ民族の衣装なども展示。2階の各展示室に変更はないがイクパスイやイナウなど、生活用具や儀礼祭祀の道具なども見ることができ、備え付けのパソコンで音声ガイダンスを聞くこともできる。
 同館では、アイヌの少女が活躍する人気漫画を入り口に関心を持って来館する観光客も増えているほか、2020年4月には胆振管内白老町に国立アイヌ民族博物館や慰霊施設などを核とする民族共生象徴空間「ウポポイ」が開設されることで、木戸忍館長(53)は「2020年に向けて当館でも多くの人の興味を引き上げていきたい。函館市民の皆さんにも来館いただければ」と話している。
 開館時間は午前9時~午後5時(3月まで)。年末年始は31日~1月3日は休館。入館料は一般300円、学生150円。問い合わせは同館(0138・22・4128)へ。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/9398

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霞が関ビルと新光三越ビルを建てた台湾人・郭茂林の秘められた物語

2018-12-28 | 先住民族関連
ニッポン.コム 12/27(木) 15:03配信 酒井 充子
「一人では何もできない」が口癖の建築家がいた。台湾出身の郭茂林。竣工(しゅんこう)から半世紀を過ぎた霞が関ビルディング(東京都千代田区)をはじめ、日本と台湾の超高層建築のさきがけとなった数々のプロジェクトをまとめた名プロデューサーは、何よりもチームワークを大切にした人だった。
建設業界では有名な郭さんだったが、一般にはあまり知られていない。私はドキュメンタリー映画『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(2013年公開)で晩年の郭さんと接し、「人の和」を説く場面に何度も遭遇した。郭さんは12年に91歳で亡くなったが、映画は2018年7月に台湾のテレビ局公共電視で放送され、郭さんは作品とともに久しぶりの里帰りをした。ここで、いま一度郭茂林という人物について、彼の映画を撮った監督の立場から振り返っておきたい。
いつの間にかプロジェクトの中心人物に
東京・浜松町の世界貿易センタービル、新宿の京王プラザホテル、池袋のサンシャイン60。郭さんは霞が関ビルのみならず、日本および台湾における初期の超高層プロジェクトの全てに関わった。日本で初めて100メートルを超えるビルとなった霞が関ビルは、地震大国・日本で超高層が実現できるのかという難題を突破するところから始まった。施主、設計者、研究者、メーカー、施工者が課題を設定し、その解決法を探りながら設計の詳細を詰めていった建設委員会は、総勢150人以上に上ったという。
当時の三井不動産社長、江戸英雄氏が雑誌のインタビューでこう話している。「自然に郭さんがこの委員会の実質的な中心人物になっちゃったんです。実に人柄がいいんですよ」。
しかし、性格がいいだけでは仕事にならない。郭さんには東京大学建築学科で培った専門知識の裏付けがあった。各分野の専門家が意見を持ち寄ると、時としてぶつかることもあるが、郭さんは緩衝材の役割を果たしながら、議論を前に進めていった。世界貿易センタービルでは、予算超過問題で行き詰った段階で呼ばれ、各方面との調整役を果たして超過をゼロにした上、38階建ての計画を40階建てにするという神業をやってのけた。
郭さんは「自分は何もしていない。才能のある人たちに実力を発揮してもらうためのお手伝いをしただけ」と言っていた。現在は一般的にプロジェクトマネージャーと呼ばれるが、このような新たな巨大プロジェクトから生まれた、郭さんのようなまとめ役をどのように呼べばよいのか、当時業界を悩ませたそうだ。霞が関ビルでは「メーン・コーディネーター」、世界貿易センタービルでは「コンダクター」となった。郭さんはコンダクターには弱った。「私はそんな高い台になんか上がっていません」と。
郭さんは霞が関ビルの建設中にKMG建築事務所を開設した。この社名に彼の信念が刻まれている。KMGは郭茂林グループの略。郭茂林だけではだめなのだ。仲間と力を合わせるグループでなければ。かつて共に仕事をした人たちに郭さんのことを聞くと、異口同音に「上には歯に衣(きぬ)着せず、下には厳しくも優しい人だった」と語った。仕事を離れても、ゴルフのハンデはシングルで銀座へ行けば女性にモテまくる、とくれば、非の打ちどころがないではないか。こんな人と仕事をしたい!とだれもが思うような理想的人物だったというわけだ。
原点は台湾にあった
郭さんが建築の世界で活躍するに至った原点と言えるのが台北州立台北工業学校(現・国立台北科技大学)である。彼はここで建築の基礎を学んだ。2010年、89歳で母校を訪問した際、「校史館」に足を運んでいる。
ここには、日本統治時代の1912年に「工業講習所」として設立されたときから現在に至るまでの学校の歴史資料がまとめられている。入口を入ってすぐのところに、歴代校長の写真がパネル展示してあった。映画にはパネルに向かっておじぎをするシーンがあるが、実はカメラが捉え切れなかったその直前の郭さんの姿が、私は忘れられない。
写真の中に千々岩助太郎校長の顔を認めた瞬間、背筋を伸ばしてさっと帽子を取ったのだ。そのしぐさは、まるで学生に戻ったかのようだった。千々岩は台湾の先住民族の住居を詳細に調査し、記録したことで知られる。郭さんは卒業した1940年、鉄道省に就職するために東京へ行くのだが、そうするよう勧めたのが千々岩校長だった。8人きょうだいの末っ子である郭さんが基隆から日本へたつとき、母親は「泣いてしまうから」と港には来なかった。「おっぱいが大きくて、料理が上手な人だった」と郭さんが聞かせてくれた。
一度だけ郭さんが「台湾精神」という言葉を口にしたことがある。日本人に負けるもんか、という気持ちだという。日本統治下の台湾では、さまざまな面で差別があり、進学においてもそうだった。台北工業学校は台湾人の学生よりも日本人の方が圧倒的に多く、郭さんは1年浪人して、狭き門をくぐったのだった。台湾精神は聞き慣れない言葉ではあるが、当時の台湾の人たちが心のどこかに抱いていた思いであることは間違いない。
「天の時、地の利、人の和」
郭さんは愛され方を知っていた人でもある。東京で就職した職場の上司から「君はまだ若いのだからもっと勉強しなさい」と、東大時代の友人で安田講堂などの設計で知られた建築学科の岸田日出刀教授を紹介された。しかし、岸田教授はすぐに受け入れてくれない。あるとき、岸田教授の随筆に「毛筆の手紙をもらうとうれしい」とあるのを読んだ郭さんは、すぐに筆で手紙を書き、再度弟子入りを申し込んだ。手紙が功を奏したのか、やがて1943年、聴講を許される。
後に研究室の助手に採用され、岸田教授と建築計画学の吉武泰水教授の下で約20年におよぶ研究に携わった。その後、63年に三井不動産に顧問として招かれる。助手として研究室を支えた経験が、その後の郭さんの役割を決定付けたのだろうか。
郭さんは霞が関ビル誕生の鍵として「天の時、地の利、人の和」の三つを挙げた。時は日本の高度経済成長期。1961年に特定街区制度、63年に容積率制度が設けられ31メートル(百尺)の高さ制限が撤廃された。このタイミングで、建設地となった霞が関3丁目の東京倶楽部と霞会館が相次いで建て替えを計画し、2棟分の土地が空くことに。そこが隣の会計検査院と併せて特定街区に指定され、超高層ビル計画が現実のものとなったのだ。
この地には、かつて工部大学校があった。いまの東大工学部の前身の一つで、1877(明治10)年創設。明治政府が日本人技術者の養成を目的とし、東京駅を設計した辰野金吾や、迎賓館の片山東熊らを輩出した。建築史家の鈴木博之は著書「東京の[地霊(ゲニウス・ロキ)]」で「ここに、百年近く後になって、日本最初の超高層ビルが建てられることになったのは、やはり土地の地霊がここを嘉(よみ)したもうたからだろうか」と述べている。この土地が郭さんを必要としていたのかもしれない。そして、郭さんがまとめた人の和こそがプロジェクトの推進力となった。霞が関ビルは今でこそごく普通のビルだが、建設現場で採用された防火設備や軽量コンクリート、タワークレーンのクライミング工法などの特許は約40件にも及び、その後の超高層建築の基礎となった。
故郷台湾への恩返し
郭さんは戦後、日本国籍を取得したが、故郷の台湾を忘れることはなかった。日本で蓄積した技術と経験を台湾へ持ち帰る。台北駅前の三越デパートが入った新光ビルは、台北を訪れたことがある人なら一度は目にしているだろう。このビルは郭さんが自ら設計した。外壁の色は、台湾の梅と日本の桜をイメージしたという。京劇が上演できるホールを備えた台湾セメントビル(台泥大樓)や、MRTの駅名にもなっている台湾電力ビル(台電大樓)もそうだ。新光ビルは竣工した1993年から台北で一番高いビルの地位にあったが、2004年に当時世界一となった台北101(509メートル)にその座を譲った。
ところが、この101もまた、郭さん抜きでは語れない。元総統の李登輝が台北市長となった78年から約2年にわたり、郭さんは台北の都市計画を任されていた。台北駅や総統府がある市の西側に対し、東の信義地区を副都心として開発するというもので、元は西にあった台北市役所を東へ移転させ、それを中心に経済と文化の拠点となる街づくりを目指した。
ここには計画に参加した新宿副都心での経験が生かされている。郭さんの構想は、計画から四半世紀経って完成し、その場所に101が建ったのだった。
映画の撮影最後の夜、KMG台北事務所で一緒に仕事をした部下たちとその家族、数十人が集まった。皆グラスを持って郭さんのそばに行き、郭さんは乾杯を繰り返した。頬を赤らめて締めのあいさつ。「郭茂林グループ。わたしたちはグループです。一人では何もできない」。後世に語り継がれる数々のビル建設を支えた郭茂林という男は、最後の最後まで仲間を大切にした。人の縁に恵まれた建築家人生であったと思う。
【Profile】
酒井 充子  SAKAI Atsuko
映画監督。山口県周南市生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。メーカー勤務、新聞記者を経て2009年、台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』公開。ほかに『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(13)、『台湾アイデンティティー』(13)、『ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-』(14)、『台湾萬歳』(17)、著書に「台湾人生」(光文社)がある。「いつ日本に帰化したんですか?」とよく聞かれる。故郷と台湾の懸け橋となるべく奮闘中。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181227-00010002-nipponcom-soci

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ゆかりのアーティストがライブ キタラで北海道150年音楽祭

2018-12-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/27 03:10 更新
 北海道にゆかりのあるアーティストが音楽ライブやパフォーマンスを披露する「北海道150年音楽祭」が26日、札幌市中央区の札幌コンサートホールKitaraで開かれ、無料招待された若者ら約1千人が、北海道150年の歴史に思いをはせながら、美しい音色や、さわやかな歌声に耳を傾けた。
 道や経済団体などで構成する北海道150年事業実行委員会の主催。実行委は8月の記念式典など記念行事を開催し、音楽祭は最後の主催行事となる。
 高橋はるみ知事は「心に残る音楽祭、心に残る150年にすることが次の50年を続ける重要なポイントになる」とあいさつ。札幌出身の人気バンド「TRIPLANE(トライプレイン)」や歌手の野宮真貴さん(釧路管内白糠町出身)、アイヌ民族弦楽器「トンコリ」奏者のOKIさんら9組が出演し、観客らは手拍子などでステージを盛り上げた。(中村征太郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/262309

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教育の重要性訴え アイヌ女性会議が活動報告会

2018-12-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/26 22:27 更新
 アイヌ民族の女性が受けている民族と性別の複合差別の解消を目指す全国組織「アイヌ女性会議―メノコモシモシ」(札幌)の活動報告会が26日、札幌市内で開かれた。同会議が初めて全国のアイヌ民族の女性に対して行った生活実態調査では政府が来春の成立を目指すアイヌ新法に対して求めるものを聞いたところ、回答者の7割が「教育」と答えたことが報告された。
 調査は約200人に調査表を郵送して昨年実施し、165人から回答を得た。アイヌ新法に求めるものを複数回答で尋ねたところ、ほかに「差別の禁止」(57%)「雇用対策」(56%)との回答が多かった。同会議の阿部千里理事は「アイヌ民族の進学率の向上に加え、北海道全体で先住民族の概念や歴史を共有する教育が求められていると感じた」と話した。
 この他の調査結果では、年収130万円未満の人が63%と依然多く、年金未加入者が14%いた。また就職活動では「特に差別を感じなかった」人が62%だった一方、20~60代の14%が「差別を感じた」と回答、「アイヌであることを理由に採用されなかった」と答えた人もいた。
 また、同会議の多原良子代表は、イタリアで9月に開かれた先住民族の食の世界集会「テッラ・マードレ」でアイヌ料理を提供したことを報告。「食から先住民族の現状を発信する訴求力を感じた」と述べた。(斉藤千絵)
☆メノコモシモシのシは小文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/262336

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レオナルド・ディカプリオ、気候変動対策に100億円を寄付!?

2018-12-27 | 先住民族関連
デイリー2018.12.26.
 レオナルド・ディカプリオのチャリティー団体による気候変動対策に対する寄付金総計金額が1億ドル(約110億円)を超えた。ここ数年、気候変動問題について警笛を鳴らしてきたディカプリオは、1998年にレオナルド・ディカプリオ財団(LDF)を設立して以来大な寄付を行ってきた。
 ディカプリオは同団体のウェブサイトでこう声明を発表している。「20年前にLDFを設立した時、効果的な環境問題のプロジェクトに直接的に寄付することで、明確な違いが生まれるかもしれないというシンプルなアイデアに突き動かされ、設立に至りました」「個人や市民運動、主だった非営利団体かに限らず、大きな成果をもたらす可能性を持つ人たちへの重要な寄付を募ることに集中したかったのです」「この20年続くモデルを祝福することができて、とても誇りに思っています。1988年以来、私たちは生息環境や種の保存、再生可能エネルギー、気候変動、先住民族の権利など大陸や海の全ての事柄に関する200以上のプロジェクトをサポートしてきました」「LDFの合計寄付金額が1億ドルを突破することになる、6つの分野における1100万ドル(約12億円)もの新しい寄付金を発表することができて喜ばしいです」
 そんなディカプリオは2016年に気候変動問題を題材にしたドキュメンタリー映画「地球が壊れる前に」に出演したことでも知られる。
 ディカプリオは以前、同作について「気候変動の壊滅的な影響を記録するために世界各地に行き、人類史上最悪とも言える問題を逆戻りさせる能力が人類にあるのかについて問いかけてきました。飲み込むことがとても多くありました」「この旅で目撃した全ては、世界の気候は相互に繋がっており、限界点を差し迫っているということを教えてくれています」「人々に緊急性を伝える映画を作りたかったのです。その結果、この問題を関係する方法を理解して頂けました」と語っていた。
(BANG Media International)
https://www.daily.co.jp/gossip/foreign_topics/2018/12/26/0011935108.shtml

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クマと都市住民 どう共存 札幌のフォーラム詳報

2018-12-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/25 05:00
国道230号沿いで仁王立ちするヒグマ=7月17日、札幌市南区豊滝 (動画)
 都市住民と野生動物は豊かさを分かち合えるのか―。札幌市北区で8日に開催されたフォーラム「都市のクマとヒト」(北海道市民環境ネットワークなど主催)は、クマの研究者や市民約200人が集まり、札幌などの市街地に頻繁に現れるようになったヒグマと、人が、どのように付き合っていったらよいかを考えた。酪農学園大の佐藤喜和教授(野生動物生態学)と、元のぼりべつクマ牧場学芸員でヒグマ学習センターの前田菜穂子代表が基調講演し、パネルディスカッションや分科会が開かれた。内容を詳報する。(内山岳志、津野慶)
■基調講演 車を見て育ちマチに順応 酪農学園大・佐藤喜和教授
 札幌市内にいるヒグマは、12月は冬眠に入る時期で穴を掘っている頃でしょう。(妊娠している)雌は来年2月ごろ穴の中で出産します。身近なクマに思いをはせて聞いてください。
 2016年、クマが札幌周辺の人のエリアに出没を続け、目撃が相次ぎました。そこで、クマがどんな暮らしをしているのかを調べるため、複数の無人カメラを設置しました。
 多くのクマが写りました。親子のクマが目立ち、また親離れしたばかりの若いクマもいました。16年には少なくとも実数で33頭の生息を確認。7組の親子が写りました。子グマは11頭いました。17年も33頭を確認しました。
 札幌生まれのクマたちは、生まれつき人の気配を感じ、車を見て育ちます。街に慣れたクマが育っているということです。
 札幌でも人が近づかない山奥は、体の大きい大人の雄が暮らしています。クマ社会で弱い立場にある親子連れや若グマは、こうした雄グマを避けるため、市街地近くをすみかにしているのです。
 明治期は中央区にもクマが冬眠した穴があったそうですが、害獣として駆除し続けた結果、数が減少。およそ100年間、クマは市民にとって身近な存在ではありませんでした。1960年代には藻岩山での目撃が大ニュースになるほどでした。
 高度経済成長期の後、身近な自然が見直され、緑地と緑地をつなぐまちづくりが進みました。それを伝ってキツネやシカが街中に入り込み、クマも近づくようになったのです。
 クマは街に適応しています。目撃されるより、もっと多くが静かに暮らしています。一方、市民は「こんな所に出るのはおかしい」と驚き、まだ適応できていません。
 石山地区(南区)ではクマを街に入れないため、5年前からクマの通り道の草を刈っています。(身を隠す場所がないと嫌がるクマの習性を利用して)私たちの研究室や市、地域が連携して取り組んでいます。生ごみをきちんと管理し、クマを引き寄せないようにすることも大切です。
 人がクマを身近に受け入れるのは簡単じゃありませんが、共存が実現すれば、200万都市の札幌は「クマの暮らす世界最大都市」となります。クマとの共存は豊かな自然の証しであり、市民にとってもメリットになるのではないでしょうか。
■基調講演 対処法 アイヌ民族に学ぶ ヒグマ学習センター・前田菜穂子代表
 私がクマを研究したのは、クマが怖かったからです。のぼりべつクマ牧場(登別市)で学芸員をしながらクマ700頭を育てました。そんな中で、人とクマとの共存について、アイヌ文化の保存に努めた故萱野茂さんから、大事なことを聞く機会がありました。
 萱野さんは「クマには2種類ある。全く違う付き合い方をしなさい」と話してくれました。良いクマは「キムンカムイ」。一方、人に害を及ぼす悪いクマは「ウェンカムイ」と言い、「必ず殺さなければだめだ」と教えてくれました。アイヌ民族はクマとの共存が甘くないことを知っており、対応を厳然と分けていたのです。現在の人のクマへの対応は甘くなっていないでしょうか。
 私たちも良いクマか、悪いクマかを見極めなければなりません。餌付いて何回も同じ所に来たり、真っ昼間に出てきたりするのは悪いクマの恐れがあります。
 クマが人と出合った場合にどんな行動を取るのか、人形で試したことがあります。向き合っている時は警戒していますが、人形が後ろを向いた瞬間、人形に襲いかかり、首をかみ切りました。
 クマと遭遇した際の対策で、30メートル以上の距離があって数人いる場合は、皆で手をつないで大きく見せるとクマを遠ざけるのに有効です。登山グループのリーダーはクマ撃退スプレーを持つべきです。クマが向かってきたら、ナタでクマの鼻と口の間をたたくと痛がります。最悪の場合は両手で自分の首を守りながら、腹を守るため、かがむ姿勢を取りましょう。
 知床で人前で授乳するクマを見ました。子グマを襲う怖い雄を避けるため、人を盾にするようにして、母グマは子育てをしていたのです。札幌はそんなクマとの共存が試されています。
■パネルディスカッション
<パネリスト>
早稲田宏一氏(NPO法人エンヴィジョン環境保全事務所職員)
山本牧氏(NPO法人もりねっと北海道代表)
片山綾氏(公益財団法人知床財団公園事業係)
前田菜穂子氏(ヒグマ学習センター代表)
<コーディネーター>
佐藤喜和氏(酪農学園大環境共生学類教授)
■早稲田氏 施設閉鎖は段階的に
■山本氏  行政職員に判断力を
■片山氏  自然教室にもルール
 ――ヒグマ対策のポイントを聞かせて下さい。
 早稲田氏 札幌の市街地周辺で、ヒグマが出没した時の初動対応にあたっています。住民には「クマは怖い。いなくてよい」という人もいれば「殺すのはかわいそう」という人もいます。ヒグマはどんな動物でしょうか。人間同士が付き合う時、相手がどんな人かを考えて付き合います。クマも同じです。このヒグマは、どんなヒグマかに目を向けるべきです。何を食べ、どんな環境で育ってきたのか。怖いクマもいれば、そうでないクマもいる。対策は、その線引きを考えないといけない。
 山本氏 学生時代からクマを追いかけています。10年ほど前からNPO法人を始め、旭川市と上川管内比布町にまたがる自然公園、突哨山(とっしょうざん)の市の指定管理者になっています。今年5月、ここに50年ぶりにクマが現れました。無人カメラでは6月半ばから8月までの72日間でクマを22回確認し、遊歩道は閉鎖しました。クマはいなくなりましたが来年、また来る可能性があります。どうやって止めようか悩んでいます。道内は人が減り、野生動物が都市に迫っています。ある人はクマを殺すなと言い、ある人は殺せと言います。最前線でクマの不安と向かい合う農家や住民と、都会にいる人が共通の認識を持ち、クマとの共存を考えてほしいです。
 片山氏 知床国立公園のオホーツク管内斜里町側では、かつて年間50件程度だったヒグマの目撃数が1995年に200件に増え、今は1千件を超えます。知床財団が40年近く続けている「知床自然教室」は10年前から、電気柵で囲った場所でキャンプするようになりました。参加する子どもたちには「野生動物がすむ森に1週間おじゃまするんだよ」と伝え、テントへの食べ物の持ち込みを禁止するなどのルールを徹底しています。
 ――屋外施設の近くにクマが出没した時の対応はどうしますか。
 早稲田氏 施設を閉鎖するのは簡単ですが、難しいのは再開の判断です。クマの痕跡が2週間なければ再開するというルールを作ったら、ずっと開けられなくなった例もありました。クマのふんや足跡だけでは閉鎖しない、目撃があったら閉める、といった、いくつかの段階を作って対応するのが大事です。
 山本氏 突哨山は都市公園なので、クマが出たら閉鎖するルールでした。ですが来年はクマがいる前提で開けようか、と旭川市の対応は変わってきています。公園を利用したい市民にとって歓迎すべきことですが、来る人にクマへの備えをどう伝えるか。良い方策を考えたい。
 ――対策を進めるには、もっとクマを知る必要があります。
 早稲田氏 札幌市と協力して、学校や地域でクマの授業をしており、一定の手応えを感じています。
 前田氏 出没したクマが、問題のあるクマなのか、ただ通っただけで問題のないクマなのか。専門家が「心配ない」と言えれば、住民は安心できます。
 山本氏 従来の市町村職員は、クマ対策を猟友会や専門家に聞き、施設閉鎖や捕獲の判断も委ねる傾向がありました。今年の突哨山の対応では、我々NPOメンバーと市職員が一緒に歩いて市職員にクマの足跡などを識別してもらいました。自信を持って判断できる職員が育ち始めています。行政の職員をどう戦力にしていくかが課題です。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/261639

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(5)民族共生象徴空間、施設整備本格化 年間100万人目標観光振興に期待

2018-12-26 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2018/12/25配信
 白老町のポロト湖畔で2020年4月24日に予定する民族共生象徴空間の開設まで500日となった11日、同町で行われたカウントダウンイベント。アイヌ文化復興拠点の誕生を控え、戸田安彦町長は「町民と共に2020年を迎える機運を高めていきたい」と力を込めた。
 政府が同町に象徴空間を開設することを閣議決定したのは14年6月。約10ヘクタールの敷地に国立アイヌ民族博物館を中核にアイヌ文化を伝える施設を整備する計画を立て、国が準備を進めてきた。
 17年に造成工事を開始し、それに伴って従来のアイヌ民族博物館が閉館。開設2年前となった今年4月、国立博物館の建設工事に本格的に乗り出した。地鎮祭で高橋はるみ知事は「道内で初めての国立博物館は道民の誇り」と語り、象徴空間から世界へアイヌ文化を発信していく意気込みを見せた。
 ■施設の建設着々
 ポロト湖畔では国立博物館の他、今春以降、象徴空間を構成する各施設の建設が順次着手された。メインの国立博物館は地上3階建て鉄筋コンクリート造り。幅約130メートル、奥行き約40メートル、高さ約20メートルの巨大な骨組みも立ち上がった。
 館内には、アイヌ民族に関する資料展示室や研究交流室、ポロト湖を一望できるカフェなどを設ける。9月の胆振東部地震の影響もなく工事は順調に進んでおり、11月末時点の工事の進捗(しんちょく)率は44%。来年11月に完成する予定だ。
 国立博物館西側にはエントランス棟、共生公園のエリアには体験交流ホールや体験学習館、工房を整備し、いずれも19年に完成する。アイヌ民族伝統の古式舞踊の見学や手工芸の体験などができる施設群だ。
 湖畔東側の高台には慰霊施設の整備も行われている。祭具イクパスイをモチーフにした高さ30メートルのモニュメントと慰霊施設は完成。アイヌ民族の遺骨を保管する施設の建設工事も着々と進み、来年秋には慰霊エリアの全体が整う。
 ■PR活動の強化を
 11日のカウントダウンイベントでは、一般投票で決まった象徴空間の愛称「ウポポイ」とロゴマークも発表されるなど、開設に向けた動きが加速している。年間100万人の来館者を目標に掲げ、町は地域の観光振興にも大きな期待を寄せている。
 しかし、全道、全国的にも認知度はまだ低く、オープンまで500日を切った中でプロモーション活動の強化が急務だ。国や道はもとより、国内外からの観光客受け入れの環境整備を進める白老町も、町内外へ向けた積極的な情報発信とPRの取り組みが求められている。
(完戸雅美)
https://www.tomamin.co.jp/feature/10kono/1521/

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カジノは「国の光」を輝かせるか? ニュージーランドの観光戦略に見る訴求点を考える

2018-12-26 | 先住民族関連
トラベルボイス 2018年12月25日

コラム「観光レジェンドからの手紙」(5)
トラベルボイスでは、ツーリズムの活性化に貢献した先人の知見を次代につなぐための企画として、シリーズコラム「観光レジェンドからの手紙」を不定期に設け、2018年6月に逝去された亜細亜大学の元教授・小林天心氏が同大学学内誌に発表した論考を再編したものを掲載しています。
カジノを含む統合型リゾート(IR)整備法案が通常国会で成立し、国内各所で開発構想が動き出しています。ツーリズムへの関りも見込まれるとあって業界でもその是非について話題になりました。果たしてカジノは、日本の観光のあり方にとってどのような意味を持つのでしょうか。
シリーズ第5回目では、同氏が観光素材としての「カジノ」について、同じ島国である日本とニュージーランドにおけるそのあり方をまとめた論考をお届けします。
”Come now, Do more, Come back”
日本とニュージーランド(NZ)は赤道を挟んで対照的な位置にある。南北に長い国土の形も似ているし、四季の移り変わりがはっきりしているところも同じだ。ただし面積においては日本の方がNZより3割がた大きく、さらに人口となると日本はNZのおよそ27倍にもなる。
一方IMF(国際通貨基金)による2016年度のデータで見てみると、国民一人当たりのGDPは日本が世界ランキング22位、NZは23位だから、経済的豊かさの面ではまあまあ双方いい勝負と言えそうだ。
NZの歴史をざっと振り返ってみよう。南太平洋をはるばるカヌーで渡り、先住民のマオリがここにやってきたのはおよそ1000年前。それまでこの地は鳥類の天国であり、人類はおろか哺乳類・爬虫類なども全く住んでいなかった。
19世紀になってここにイギリス人たちの移住が始まるまで、マオリの人口は数十万人を超えていない。しかしほどなく移住白人の数がマオリを圧倒、20世紀初頭になると英国植民地として人口が100万人を超えた。第二次大戦後1947年に英国から独立。その頃人口はようやく200万人となり、1974年に300万人に達する。現在はおよそ470万人。そのうちに占めるマオリの比率は15%ほどだが、この国の歴史文化におけるマオリの存在感と誇りは、他国の先住民族よりけた違いに大きい。
NZは当初からずっと農業国だった。しかし1970年代から観光産業が大きく伸長、目下の産業規模では農業に次ぐ重要な地位を占めている。かつての大英帝国経済圏において、農業・酪農生産を担ってきた歴史的な経緯から、NZの国土全体は自然がほとんど荒れていない。それでNZは自国の山岳、川や海、田園風景などの自然を前面に据え、世界観光市場に向けて「100%PURE New Zealand」という思い切ったメッセージを発している。
さらにNZ観光局は、たんなる物見遊山的観光から一歩踏み込み、「相互交流型観光=Interactive Traveler」という概念を打ち出した。これはNZにおける多様な「体験型観光」のススメ。野外活動体験などによりNZ観光の満足度を最大化する。これによって滞在時間と消費金額の最大化をも志向する。というわけで、”Come now, Do more, Come back”という台詞が、NZ政府観光局の基本戦略を表しているのである。
カジノというよりゲーセン
さてこんなお国柄のNZではあるが、この国にもカジノがある。1994年にクライストチャーチ、1996年にオークランドに、それぞれ民間企業によってつくられた。以後観光地として有名なクィーンズタウンに小規模のものがふたつ、ハミルトンやダニーデンといった地方都市にも同様なものがつくられている。NZ全体のカジノの売り上げは2016年度でざっと500億円。ちなみに日本における最近1年間のパチンコの売り上げ額は23兆円である。それとの比較ではわずか460分の1という、ごくささやかなレベルでしかない。
カジノの規模が最大のオークランドでもカードやルーレット用のテーブルが150、スロットマシンなどゲーム機が2117台。第2位のクライストチャーチでは36卓・500台。最小規模のクィーンズタウンになるとたった6卓・74台だから、これは日本に見るそこらのゲームセンター並みといったところであり、日本のパチンコ店のほうがはるかに規模は大きい。
日本が訴求すべき観光魅力とは
わたしはNZの政府観光局に1998年から8年間勤務した。しかしながらこの間、観光局内部でカジノという単語を聞いたことは一度もない。またこの国の観光マーケティングをうんぬんする際にも、あるいは各地における地域観光局とのやり取りにおいても、カジノが語られたことは皆無である。
もちろんNZ観光局として100%PUREという戦略上、カジノと言う人工的遊技などを持ち出すことはなかったし、NZ国民もカジノが観光政策の中に持ち込まれるなど想像もしなかったに違いない。NZにおける観光的な訴求点は、この国が持つピュアな自然と平和な社会である。これこそNZの世界に対する誇りになっている。
では日本はどうか。同じ島国ながら数千年に及ぶ人間の歴史と深く多彩な文化がある。二万七千という自然湧出の温泉がある。流氷にサンゴ礁があり、平和・安全という観光にとって最も大切な社会環境も今のところ万全に近い。日本は砂漠の真ん中の国でもないし、他にみるべきものも生産手段もない小さな島とも違う。こんな日本独自の恵まれた自然や文化の上にさらなる人工的大規模カジノなど、日本が持つ真の「光」を曇らせてしまうに違いない。
ちなみにガンディーは彼の「7つの社会的大罪」のなかで、「原則なき政治」の次に「労働なき富」を挙げている。どう転がしてみたところで所詮は賭博、ろくなことではないのだ。
【編集部より】
小林氏は1968年から旅行会社で数々の観光マーケティングを実践。1998年から2005年までニュージーランド政府観光局の日本支局長を務めました。また北海道大学では客員教授として教鞭を取られていました。
本記事は生前、ご本人から当編集部に届いた原稿について本人およびご遺族からご承諾をいただき、当編集部で一部編集して掲載するものです。
https://www.travelvoice.jp/20181225-121579

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多元的な言語発展を目指す法律が成立 文化相「母語に誇りを」/台湾

2018-12-26 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾  2018/12/25 19:56

鄭麗君文化部長
(台北 25日 中央社)台湾固有のエスニックグループが使用する自然言語や手話の保存、振興を後押し、各言語の平等化と発展を目指す「国家言語発展法」が25日、立法院(国会)の審議を通過して成立した。鄭麗君文化部長(文化相)は、「台湾の歴史的な瞬間」だと喜ぶとともに政府が全力でサポートすることを約束。全ての国民が誇りを持って自らの母語を使ってほしいと期待を示した。
台湾では昨年6月に「原住民族言語発展法」、今年1月に「改正客家基本法」が公布、施行されており、それぞれに先住民言語と客家語を国家の言語として定めている。国家言語発展法は台湾語をはじめ、この2法に含まれない言語や手話も包括し、伝承の危機にある言語の保存や振興のよりどころとなる。各言語の名称はあえて定めず、実際の使用者が命名権を持つとされた。
同法では、政府が定期的に会議を開き、伝承の危機にある国家の言語について優先的に対策を取ることや、調査体制とデータベースの構築、就学前や小中高就学期間における子どもの言語学習機会の保障などが定められた。
教育部は同法に基づき、小中高の12年間で児童・生徒が1つの言語を選択して学習できるカリキュラム作りと環境を整え、2022年8月1日からの実施を目指す。今後、関係省庁や地方の教育機関によって個々の学習開始年齢や授業数など詳細を話し合い、教員の育成を進めていくとしている。
(鄭景ブン/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201812250010.aspx

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人間の頭蓋骨を掘り起こして飾り立てるボリビアの奇祭 写真23点

2018-12-25 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック 2018.12.24

 南米ボリビアの大都市ラパスの中央墓所では、祭りの前日、墓掘り人たちが集団墓地から人間の頭蓋骨を掘り起こしていた。酸性の土をシャベルでかき分けていると、骨に当たる音がした。現れた泥まみれの頭蓋骨は、石造りの棚の上に並べられる。雨の中集まった人々が、そこへコカの葉や炭酸飲料水を供え、上からアルコールを振りかける。朽ちた頭蓋骨の口に火のついたタバコをくわえさせ、頭には花冠を載せる。標高の高いラパスに日が昇ると、祭服を着た司祭が到着し、地面に立てたろうそくの上で祝福の祈りをささげた。
 翌朝、ディア・デ・ラス・ニャティタ(ニャティタの日)のために、数千人の信者が自宅に祭ってある頭蓋骨を箱に入れて墓所へやってきた。「ニャティタ」とは「シシ鼻の者たち」という意味で、人々は頭蓋骨を親しみを込めてニャティタと呼ぶ。そして町の通りを練り歩きながら祈り、歌い、踊る。毎年11月8日に、ボリビア第2の先住民族アイマラはニャティタの日を盛大に祝う。植民地時代以前のインカの信仰とカトリック信仰が融合した祭りで、ニャティタに宿る魂へ感謝をささげる日だ。年に一度墓から掘り起こされるニャティタと、人々が一年中家に飾っておくニャティタが、この日一堂に集められる。
 アイマラ族は、恋愛運から金運、仕事運、安全運まで、人生のあらゆる側面に死者が影響を与えられると信じている。そして、ニャティタを家に飾っておくことは幸運をもたらすと考えられているのだ。
 その「幸運」を誰よりも多く持っているのがエリザベス・「エリ」・ポルトガル・コロネズ・デ・アドゥビリさんだ。なんと、73個のニャティタを家に置いている。そのすべてに名前が縫いこまれたニット帽をかぶせ、家の中で一番上等な部屋に丁寧に安置している。
 エリさんが7歳の時にタバコを吸い始めると、学校の教師はすぐにエリさんに特別な能力があることを見抜いた。タバコを燃やした後の灰を見て、未来を占うことができるというのだ。それ以来、エリさんの精神世界との繋がりは年々強くなっていった。
 現在51歳のエリさんは、旅行で留守にする人や世話ができなくなった人のニャティタまで、自分の家に置いている。
力の源
 問題に立ち向かうための知恵と力を頭蓋骨が運んでくると信じるアンデスの信仰は、インカ帝国以前にラパスを中心に栄えたティワナク文化に起源がありそうだ。古代の伝統の痕跡は、いたるところに見られる。アイマラ族のルーツがあるアンデス高地のチチカカ湖畔には半地下式神殿の遺跡があり、西暦300年頃に彫られた人間の顔が並ぶ砂岩壁と、ピューマの頭をした兵士が片手に剣を、片手に人間の首を持っている彫像が残っている。
 ボリビア国立民族学博物館で、アンデスの人々の抱く死の概念について研究している人類学者のミルトン・アイザグワイヤ氏によると、この風習には単純な理由があるという。「敵の首を手に入れると、その力を手にすることができると信じられています。かつてここに首狩りの風習があったことは、布や陶器などからわかっています」。頭蓋骨は長い間この地方で崇拝の対象となってきたが、現在のニャティタ祭が正確にどのように始まったのかについては明らかではない。「残念なことに、ニャティタの日に関する詳しい情報はないのです」。ニャティタに関する著作があるアイザグワイヤ氏は、スペインの植民地時代以前から続く季節行事に起源があると考えている。
 ティワナク帝国が滅びた後、インカ帝国の支配下にあったアイマラの人々は、秋の種まきの時期になると、インカの死神で地下世界ウクフ・パチャの支配者であるスペイの名を唱えながら畑にアルコールをまいて、豊作と子孫繁栄、そして豊富な鉱物の生産を願った。16世紀にやってきたスペイン人は、これを悪魔崇拝と見なしてやめさせようとしたが、風習は根強く残った。1970年代に入ると、田舎の農民たちが職を求めてラパスへ大量に移住し、風習は広く知られるようになったという。
 墓を掘り起こしたり居間に頭蓋骨を飾ったりする、と聞くとぞっとする人もいると思うが、アイマラ族は死を恐れるのではなく、明るい民族音楽と躍りでニャティタの日を祝い、死と向き合う。近年では商業的要素も濃くなってしまっているものの、アイザグワイヤ氏は「アイマラ族にとって、死とは生を意味するのです」と語る。
 9歳の頃に雷に打たれ、九死に一生を得たケビン・ホアン・シニャニ・カタコラさんは、それ以来透視能力を持つようになったという。現在は20ボリビアーノ(約325円)の占い料とたばこを受け取り、たばこ占いで人々に仕事や法律に関するアドバイスを与える。

 また、300ボリビアーノ(約4800円、ラパスの平均月給の5分の1相当)を払えば、中央墓所に埋葬された死者への供え物と祈りをささげてくれる。
 死者と連絡を取り続けたいと願う文化においては、ケビンさんやエリさんのような別次元とのつながりを持つ精神的リーダーは商売に事欠かない。一方で、町の墓所はスペース不足の問題に直面している。墓は4段にも7段にも積み重ねられている。遺族がお金をどれだけ出せるかで墓の場所が決まるのだ。
「ラパスでは年間1万5000人が死亡し、埋葬されるのは、その3分の1です」と、中央墓所の所長アリエル・コニッツァー氏は言う。残りは、民営や違法の墓に埋葬されている。中央墓所はリース契約で、一定の期間が経過すると遺体は小さな箱に移される。「遺体を曲げるようにして納めます」
 遺族が支払いを滞納すると、遺体は火葬されて集団墓地へと移される。ニャティタ祭のために掘り起こされた頭蓋骨は、この集団墓地に埋葬されていたものなのだ。遺体を移動するときに、墓地の作業員が頭蓋骨を売り飛ばすこともある。また、医療系の学校から頭蓋骨を購入する人もいる。自分の親戚の頭蓋骨を飾る人は少ない。
 どのような経緯があるにせよ、家に置かれた頭蓋骨は年に一度のニャティタ祭で、数千人の感謝を受ける。その一方で、祭りに難色を示す人々もいる。「教会からは、儀式への参加を控えたいと言われました。だから、いつもやっていることをやってくれればいいと言ったのです」と、コニッツァー氏は言う。「別に、ただの頭蓋骨なんですから」
生者と死者
 ニャティタ祭当日、中央墓所教会になだれ込む人々の姿が見えないように、会堂に立つ聖人の像にはブルーシートがかけられていた。信心深い人々が、この日のために着飾ったニャティタを木製やガラス製の箱に入れて運んでくる。口にはたばこをくわえさせ、眼窩を守るためにサングラスをかけたり綿を詰めたりし、頭には花冠を載せている。教会の中央で、司祭がニャティタのために祈りをささげる。
 外では、ケビンさんの仲間が掘り起こされた墓の上に紫色の吹き流しと風船を飾り、家族連れはピクニックシートを敷いて弁当を広げる。昼になると、エリさんの友人たちが羽やスパンコールのドレスを着て踊り始めた。行列は通りに出て行き、通行車両を縫うようにして進んだ。人々はくるくると回り、酒を飲み、物言わぬ頭蓋骨を抱えて夜遅くまで宴会を続ける。一方、墓掘り人たちは花飾りとともに頭蓋骨を元の集団墓地へ戻して土をかけた。また翌年、頭蓋骨は掘り起こされる。
 現代のボリビアを象徴するように、ニャティタの日はカトリック信仰と土着信仰が融合し、頭蓋骨に宿る魂の加護に感謝をささげる日になっている。しかしアイマラ族にとって、生と死の間には一年中変わることのない強い結びつきがある。ケビンさん曰く、「死ぬということは、この世ですべき事柄を終えるというだけのことです」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/18/121900334/

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アイヌ民族政策20年照準に 政府、五輪機に発信強化 継続支援、認知度向上が課題

2018-12-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/24 05:00
 政府が東京五輪・パラリンピックの開かれる2020年を見据え、アイヌ民族に関する政策を加速させている。民族の遺骨を地域の団体に返還する手順を示すガイドラインを策定したのに続き、来年は先住民族と明記する新法の成立を目指す。五輪直前の20年4月には胆振管内白老町にアイヌ文化の復興拠点「民族共生象徴空間」(ウポポイ)を開設し、発信を強める考え。国際的に「共生社会の実現」を示す狙いだが、息の長い支援や認知度向上につなげられるかが課題になりそうだ。
 「アイヌ民族の人々の誇りが尊重される社会を実現することは極めて重要。新法整備を急いでほしい」。安倍晋三首相は21日の閣議でこう述べ、石井啓一国土交通相を来年1月召集の通常国会に提出する新法案の担当閣僚に任命した。この閣議で決定した19年度予算案では、新千歳空港国際線コンコースにアイヌ民族の装飾を施すための経費や、海外で開く日本博でアイヌ民族の文化を広める事業を盛り込んだ。
 政府は東京五輪の開会式で、アイヌ民族の舞踊を披露する調整に入っている。北欧の先住民族サーミは1994年のリレハンメル冬季五輪開会式で伝統音楽を披露し、認知度を高めた。政府が2020年を照準に据えるのは「多様な価値観が共生する活力ある日本を訴える、またとない好機」(官邸筋)とみるからだ。
 政府高官はアイヌ民族の認知度向上が「インバウンド(訪日外国人客)に与える影響も大きい」と話す。道内を訪れる外国人が「その土地でしか知り得ない文化資源」として、アイヌ民族関連の博物館などを訪れている実態もある。
 ただ、国際社会では先住民族の土地権や自治権などを認める動きもある中、経済への影響を重視する政府の姿勢には不安も残る。道東のアイヌ民族関係者は「注目度が高まることは喜ばしいことだが、イベントだけの『打ち上げ花火』にはしてほしくない。差別の実態など負の歴史にも目を向け、継続的な支援をお願いしたい」と求めている。(古田夏也)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/261500

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アイヌ遺骨に返還ルール 政府「確実な埋葬」など審査

2018-12-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/24 05:00
 政府は、研究目的でかつて収集され、今も北大などに保管されているアイヌ民族の遺骨について、身元不明でも、出土した地域のアイヌ民族団体に返還するとした新方針に基づき、返還手順を示したガイドラインを策定した。「地域返還」を申請した団体に対し、確実に埋葬できるかなどを審査し、反対意見や競合申請がなければ返還に応じるなどの内容で、年内にも公表する。
 返還を申請できる対象は、遺骨の出土地域に住む複数人のアイヌ民族で構成する団体。国は、返還を求める団体から構成員の情報や、埋葬・慰霊の規模などを記した申請書類の提出を受けた上で、この団体が確実に埋葬でき、かつ遺骨を継続的に維持管理できるかなどの観点から、専門家による第三者委員会の意見を踏まえ、判断する。
 申請団体が要件を満たしていると判断されると、関係市町村や地元のアイヌ協会などを通じ、申請があったことを6カ月間をめどに周知する。他のアイヌ民族の団体からの競合申請や反対意見がある場合は当事者間で協議の場を持ち、合意に至れば返還する。必要に応じて、国が仲介するという。
 返還申請がない遺骨は、2020年に胆振管内白老町に開設される民族共生象徴空間(ウポポイ)の慰霊施設に集約する方針。集約後の返還も可能とする。
 政府は13年、身元が特定された遺骨を遺族に限って返還し、それ以外は象徴空間に集約する方針を示した。ただ、身元が分かる遺骨はわずかな上、「遺骨が出土した元の土地に戻すことが尊厳ある慰霊だ」として各地のアイヌ民族団体などが返還を求め、相次ぎ提訴した。
 その後、和解で返還が実現した経緯などを踏まえ、政府は昨年3月、遺族に加え、地域返還を認める方針に転換した。
 政府は来年度、アイヌ文化に基づく地域振興、産業振興に取り組む自治体を対象に新たな交付金を創設する方針。地域返還に向け、納骨堂などを含む複合施設をアイヌ民族と連携して整備する自治体に対し、交付金を適用することを検討している。
(斉藤千絵、尾張めぐみ)
 <ことば>アイヌ民族研究と遺骨 欧米の研究者らが19世紀後半から、「アイヌ民族は白人」という当時の学説の検証などを目的に、道内や樺太の墓地から埋葬されていた遺骨を掘り起こすなどして収集。明治時代から1970年代にかけ、北大や東大、京大など国内の研究者も行った。遺骨は今も全国の大学や博物館に計1600体以上が保管され、海外に持ち出された遺骨も確認されている。2007年に国連が採択した「先住民の権利に関する宣言」に遺骨返還が盛り込まれ、国際的にも人権の観点から返還の流れが強まっている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/261508

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高校教師の与那嶺緑さん 米国で辺野古移設を授業に

2018-12-24 | ウチナー・沖縄
ニコニコニュース 2018/12/23 06:00琉球新報

米オレゴン州ポートランドの高校で社会科の教員をし、生徒たちに沖縄の歴史や基地問題の現状も教えている与那嶺緑(もえ)さん
 米オレゴン州ポートランド在住で、高校の社会科教員をしている与那嶺緑(もえ)さん(40)=那覇市出身=は、教科書やマスメディアに取り上げられない沖縄の歴史や米軍基地の現状を生徒たちに伝えたり、ウェブ上に記事を発信したりしている。「ウチナーンチュの知恵と抵抗の歴史を若い人たちに伝え、世界の将来をどう変えていけるのか、一緒に考えていきたい」と、冬休み中に、名護市辺野古の新基地建設問題についてのカリキュラムも作り、他の教員らと共有して教えていこうと取り組んでいる。
 与那嶺さんは7歳の時、母の大学院進学に伴って米国へ移り住んだ。毎年、夏休みには沖縄に帰り、弁護士の祖父、茂才(もさい)さんから沖縄戦の悲惨さや亡くなった親族の話、米統治下の様子などを聞いて育った。
 勤務先では米国の歴史を教える。多様な人種、ルーツの生徒が集まる「国連のような教室」で、先住民族の土地や権利などの話とともに沖縄の話をすると、黒人やヒスパニック、ネーティブアメリカン、太平洋諸島にルーツのある生徒たちから「自分たちと似ている」と声が上がるという。
 今年8月には、長女海椰(かいや)さん(16)と辺野古ゲート前の抗議活動に参加した。炎天下で抗議を続ける戦争体験者のお年寄りたちが、機動隊に排除されていく。その前をトラックが次々と基地内に入っていく光景に涙が込み上げた。お年寄りがそっと寄り添い、「ここでは泣かないよ。おばあも、おうち帰ってから泣くから今は頑張ろうね」と与那嶺さんの手をぎゅっと握りしめた。
 「悲惨な戦争を経験したお年寄りたちが命を懸けて座り込んでいる。ウチナーンチュは、ちゅーばー(強い)。まだまだ頑張れる。一緒に闘い、世界に見てほしい」
 政府の土砂投入に、胸がかきむしられる思いだが、「私たちのような普通の人たちが立ち上がることで、政治を、社会を変えていける」と話す。(座波幸代ワシントン特派員)
https://news.yahoo.co.jp/

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