長かった一週間がやっと終わった...。
さて、本来は昨日書くべきだったことを一つ。
昨日の午前中近所のショッピングモールで買い物をしていたところ、
「××先生―!」
と声をかけられた。
気が付くと、10年前の勤務校の卒業生で、Clのパートリーダーの子(Mさん)だった。
「おー、久しぶり!」
と声をかけて、少しの間談笑。
会うのは何年ぶりだろう。元気そう。
同期の女子たちはかなり結婚して子供もけっこういるそうで、男子も一人最近結婚したとか。
Mさんも3歳になる男の子がいるとかで、10年という月日は決して短くないことを実感。
私は出勤前だったので、「じゃ、また」と言って別れたが、自宅に帰る途中あることを思い出した。
「あれ、今日って5月12日....、そうか、10年前合宿をしていた日だ!」
ちょうど10年前の5月、生徒たちから要望があって、学校の同窓会館で金曜の夜から2泊3日の合宿をしたのだった。
私自身は新入生が入部して間もないこともあり、部員間の親睦を深める機会となるような合宿にするつもりだった。
しかし土曜の午後当時の3年生たちから、「何かだらけている。これじゃあ合宿の意味がない!」という声が聞こえてきて、
それならばと夕食後イベントにに充てるはずだった予定を急遽キャンセルし、生徒だけのミーティングを行うことになった。
私は顔を出さず、廊下に面した扉のガラスから中の様子をうかがっていたのだが、冒頭しゃべり始めた部長が話の途中で泣き出したのが見えた。
え!?と驚いていると、そのあと話し出した3年生たちもどんどん泣き出し、遂にはみんな泣きだしたらしい。
私は廊下からずっと眺めているだけだったが、あの時に部員たちの間で何かが変わったように思えた。
次の日は朝からみんな気合十分で、合宿明けの月曜から朝練にほぼ全員集まるようになり、夏に向けてビックリするほどテンションが上がったのを覚えている。
あのミーティングがちょど10年前の5月12日だったのだ。
その年のコンクール自由曲はリストの『ハンガリー狂詩曲第2番』。
前年までよりいきなり数段レベルの高い作品に挑戦した年だったが、合宿以降見違えるほどやる気に満ちた部員たちは、果敢にチャレンジしてくれた。
あの年地区予選を突破できなかったのは、ひとえに私自身の力不足だったと、未だに悔しく、申し訳なかった思いを抱き続けている。
しかしあの年クラブは一つのハードルを越えたようで、翌年さらなる難曲『吹奏楽のための神話』(大栗裕)に挑み、遂に念願の予選突破を果たしたのだった。
当時の部員たちの頑張りはもちろん、前年度3年生たちの遺産が生きていたのだと、強く実感したことを覚えている。
Mさんと会ったときに、すぐ思い出してこの話をすればよかったなあと思っても後の祭り(苦笑)。
でも思い出の5月12日にMさんと久しぶりの再会を果たせたのは、何か縁があったのかもしれないなとも思う。
ちなみにウチのカミさんの誕生日は「3月12日」(アレの翌日>_<)で、娘の誕生日も「9月12日」(こちらもアレの翌日T_T)。
思い出のミーティングが「5月12日」で、何故か「12日」は特別な日となってしまっているようだ。
PS
Mさんと、当時の3年生たちのことを考えて昔のブログを読んでいたら、色々思い出してしまった。
こちらが10年前の演奏会のプログラム↓
上手ではなかったが、かなり盛り上がった記憶がある。
『ディープ・パープル・メドレー』、またやりたいなw。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【第1部】
■20世紀フォックス・ファンファーレ~K点を越えて
■ハンガリー狂詩曲第2番
■ディスコ・キッド
【第2部】
■プラウド・メアリー
■ジャパニーズ・グラフティ:山口百恵メドレー
■銀の龍の背に乗って(中島みゆき)
■楽器紹介コーナー(パートアンサンブル)
■テキーラ
■合唱~少年時代
■栄光の架橋
■ソーラン・ファンク
(アンコール)
■ディープ・パープル・メドレー
さて、本来は昨日書くべきだったことを一つ。
昨日の午前中近所のショッピングモールで買い物をしていたところ、
「××先生―!」
と声をかけられた。
気が付くと、10年前の勤務校の卒業生で、Clのパートリーダーの子(Mさん)だった。
「おー、久しぶり!」
と声をかけて、少しの間談笑。
会うのは何年ぶりだろう。元気そう。
同期の女子たちはかなり結婚して子供もけっこういるそうで、男子も一人最近結婚したとか。
Mさんも3歳になる男の子がいるとかで、10年という月日は決して短くないことを実感。
私は出勤前だったので、「じゃ、また」と言って別れたが、自宅に帰る途中あることを思い出した。
「あれ、今日って5月12日....、そうか、10年前合宿をしていた日だ!」
ちょうど10年前の5月、生徒たちから要望があって、学校の同窓会館で金曜の夜から2泊3日の合宿をしたのだった。
私自身は新入生が入部して間もないこともあり、部員間の親睦を深める機会となるような合宿にするつもりだった。
しかし土曜の午後当時の3年生たちから、「何かだらけている。これじゃあ合宿の意味がない!」という声が聞こえてきて、
それならばと夕食後イベントにに充てるはずだった予定を急遽キャンセルし、生徒だけのミーティングを行うことになった。
私は顔を出さず、廊下に面した扉のガラスから中の様子をうかがっていたのだが、冒頭しゃべり始めた部長が話の途中で泣き出したのが見えた。
え!?と驚いていると、そのあと話し出した3年生たちもどんどん泣き出し、遂にはみんな泣きだしたらしい。
私は廊下からずっと眺めているだけだったが、あの時に部員たちの間で何かが変わったように思えた。
次の日は朝からみんな気合十分で、合宿明けの月曜から朝練にほぼ全員集まるようになり、夏に向けてビックリするほどテンションが上がったのを覚えている。
あのミーティングがちょど10年前の5月12日だったのだ。
その年のコンクール自由曲はリストの『ハンガリー狂詩曲第2番』。
前年までよりいきなり数段レベルの高い作品に挑戦した年だったが、合宿以降見違えるほどやる気に満ちた部員たちは、果敢にチャレンジしてくれた。
あの年地区予選を突破できなかったのは、ひとえに私自身の力不足だったと、未だに悔しく、申し訳なかった思いを抱き続けている。
しかしあの年クラブは一つのハードルを越えたようで、翌年さらなる難曲『吹奏楽のための神話』(大栗裕)に挑み、遂に念願の予選突破を果たしたのだった。
当時の部員たちの頑張りはもちろん、前年度3年生たちの遺産が生きていたのだと、強く実感したことを覚えている。
Mさんと会ったときに、すぐ思い出してこの話をすればよかったなあと思っても後の祭り(苦笑)。
でも思い出の5月12日にMさんと久しぶりの再会を果たせたのは、何か縁があったのかもしれないなとも思う。
ちなみにウチのカミさんの誕生日は「3月12日」(アレの翌日>_<)で、娘の誕生日も「9月12日」(こちらもアレの翌日T_T)。
思い出のミーティングが「5月12日」で、何故か「12日」は特別な日となってしまっているようだ。
PS
Mさんと、当時の3年生たちのことを考えて昔のブログを読んでいたら、色々思い出してしまった。
こちらが10年前の演奏会のプログラム↓
上手ではなかったが、かなり盛り上がった記憶がある。
『ディープ・パープル・メドレー』、またやりたいなw。
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【第1部】
■20世紀フォックス・ファンファーレ~K点を越えて
■ハンガリー狂詩曲第2番
■ディスコ・キッド
【第2部】
■プラウド・メアリー
■ジャパニーズ・グラフティ:山口百恵メドレー
■銀の龍の背に乗って(中島みゆき)
■楽器紹介コーナー(パートアンサンブル)
■テキーラ
■合唱~少年時代
■栄光の架橋
■ソーラン・ファンク
(アンコール)
■ディープ・パープル・メドレー