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かぶれの世界(新)

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認知症を気にする認知症男

2024-09-10 20:41:15 | 健康・病気
最近の私は自分自身が呆れるほど物忘れが酷くなったと感じる。昨日午前中にバスで久し振りに松山に向かう車中で、瀬戸内海の遠くの島がボケて見えメガネがない事に気づいた。額の上を触りバッグの中を探り、ポケットや座席から床まで探しまくったが何も出てこなかった。

途中で諦めてバスの中で居眠りした。松山市駅に着くと前方のお客がステップに降りながら、車内に向かってメガネが落ちてると声かけがあった。私は直ぐに手をあげ、見ると私のものだった。老人に礼を言って受け取り、メガネをかけると前方の銀天街が良く見えホッとした。

先日、息子が家族を引き連れて松山に来てくれた時に、準備していた現金やお土産がなくなり、未だに行方不明だ。最近はお金や頂き物を無くしたり、買い物に行って必要なものを買い忘れるといったことが頻繁に起こる。

数年前頃から頻尿になり寝不足気味になった。多分それが原因で認知症気味になったと感じている。家内や息子も最近私の物忘れが多くなったと承知しており、一緒に外出や旅行する時に必ず後方にいて私が忘れ物しないかチェックしてくれている。

最初は彼等が私を認知症と疑っているように感じ、嫌な気分になっていた。だが、最近では私自身が認知症が悪化してるかもと疑いを感じるようになり、家内や息子に感謝するようになった。

私は週一で食料を仕入れに行くが、毎回何か一つ買い忘れてしまう。ヨーグルトとか食パンだとか毎日食べるような食物を忘れてしまい、食事が物足りなくなってしまう。スマホに食料を記録するようになり、自分が認知症男になったと気にすることもなくなった。■
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認知症化するやりすぎ男

2024-09-07 16:57:41 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後4時前から例によって思い付き、何時もの堤防沿いをジョギングした。このところ朝夕少しずつ涼しくなったので、ランニング脚力を回復させる良い機会と思って走っている。ところが昨日は折り返し点に着く前から、体が怠くて元気がでず帰りはずっと歩くことになった。

昨春に偽痛風で入院し退院後は全く走れなかったが、最近は少しずつ脚力を回復して片道4キロ走り、少し休みを入れて3キロ走る、合計7キロ程度を走っていた。だが、昨日は何故か帰りの3キロを走る元気がなかった。JR五郎駅辺りでどうして走れなくなったかピンときた。

昨日は午前中に自転車で歯科医に行き治療を受けた後、実家とは逆の西側の市街地に自転車を走らせ大洲橋の手前で左折し、冨士山の裏手の南側を走った。言い換えると実家から走り始めて冨士山の周回コースをサイクリングしたことになる。約2時間足らずの平坦な国道だった。

私は午前中に冨士山一周を自転車で走ったのをすっかり忘れて、何時もの夕方に7キロジョギング4キロ徒歩に出かけた。ところが足が動かず、何で足が動かなくなったのかと悩んだ訳だ。後期高齢者で認知症が進んだせいか、午前中に運動したことを忘れ午後に運動しようとした。

そうでなくとも、私は最近やった記憶のない5日続けてハードなトレーニングをしたことも忘れてた。今月2日11キロ徒歩、3日富久保山自転車、4日高山自転車、5日11キロ山裾歩きをし、昨日冨士山自転車と7キロ走をやろうとした。後期高齢者にとってはやりすぎだった。

先日近所のお婆ちゃんの認知症が悪化しが、足はしっかりして散歩が出来るので、誰も気づかないうちに散歩に出かけて帰宅せず大騒ぎになったと聞いた。彼女はもうすぐ100歳だが、隣の101歳のお婆ちゃんは頭も足もしっかりして一人寂しそうだった。でも私はまだ77歳だ。■
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田舎暮らし雑感2024(14)

2024-09-05 16:49:24 | 日記・エッセイ・コラム
朝晩が涼しくなり3日前からエアコンの使用をやめた。夜は暑くて中々眠れないが、朝はブルブル震えるくらい寒い。温度変化に対して体の調整能力が低くなった。私の温度調整は、ベッドにタオルケットと夏布団を縦に畳んでおき夜中に目が覚めた時に使い分けている。

最終的に温度調整が上手く行った時は、何時もより遅く目が覚め気分良くすっきり目が覚める。なんでもデータに基づいて判断したがる私は、このすっきり気分を数字で表したい。今のところ参考にしているのは、中国製スマート時計の睡眠時間表示が5時間前後を記録している時だ。

ここ大洲盆地は360度山に囲まれている。子供の頃祖母に連れられて行った出石寺が一番高く、20年前頃に母が買ってくれたマウンテンバイクで登ったが、今は無理。次に高い慶雲寺山は3年前の入院以前は自転車で行った。その次に高い神南山は若い頃父と登ったのを思い出す。高山はそれ程高くないが、先日思いついて挑戦したが「地獄の峠越え」で失敗したと投稿した。

高山は標高600m弱の低山だが、市内の何処からでも見える象徴的な山だ。一度失敗すると何度も挑戦したくなるのが私で、昨日はパソコンの地図で登山ルートを確認し、登り口の南久米の方々に聞きながら自転車を進めた。登山口からずっとガードレールが続く広い道で、所々に住宅があった。このルートは阿蔵地区のしっかりした自動車道だったが、想定以上に激坂だった。

登り口から激坂の連続で途中休憩できる緩やかな坂がなく中腹まで行って体力が尽きた。実家から見える山の2/3程度の中腹に見える家までは行きたかった。悔しかったが、11月に東京に戻るまでに何度か挑戦して見る積りだ。昨日は昼食後2時過ぎに出発したのでUVカットのシャツを着て出た。思ったより上半身は涼しくもう9月だと感じた。なので失敗の言い訳にならない。

実家に戻ったのは5時頃だったが、珍しく101歳のお婆ちゃんと元地区長の姿が見えた。もうこの時間帯では集落は殆ど日陰になっており、涼風が吹いていた。地区長に聞くともう一人の100歳近くのお婆ちゃんは認知症が進み、近所の人の名前が出てこなくなったという。まだ足は元気なので一人で散歩に出かけ行方不明になったという。今は介護施設の世話になってるらしい。

この3日間で、月曜は11キロ徒歩、火曜と水曜は恋木と高山の激坂サイクリングに挑戦した。歩けなくなったらお終いと母に言われたのが頭の隅にある。私も歩けなくなる事態は避けたいが、途中で道が分からなくなり行方不明になって近所の人に迷惑をかけたくもない。■
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思いやりのない天邪鬼男の考え(2)

2024-09-03 15:21:59 | 社会・経済
福島原発の処理水を理由に、中国から水産物の輸入禁止を受けた。地元漁連の反対にもかかわらず海洋放出が実施されたが、海水や魚のトリチウム濃度に異常は見られてないという。漁連が恐れた風評被害もないというが、依然として中国の輸入禁止は続いている。例によって思いやりのない天邪鬼の私に同情はない。

私の考えは根拠があろうとなかろうと中国はそんな理不尽なことをやる国だ、福島県漁連は海産物の中国輸出のリスクを分かって判断したはずと思った。言い換えると同情する気持ちに計算済みだった。今迄にオーストラリアのワインとかフィリピンのバナナを政治的な理由で輸入禁止した例はいくつもある。もう少し頭を使って仕事をすべきだったというより、分かっててやったと思う。

経営が悪化するような量の輸出を中国にすれば、何時か中国に都合の良いタイミングで輸入禁止を駆け引き道具になる。それが中国という国だ。被害が大きかったのは北海道産の貝の輸出だったが、彼等のクレームは何故かあまり聞かれない。海産物に限らずそういう例は沢山あるはずだが、この手のリスクをマスコミが報じないのも不思議だ。中国に対する遠慮があるようだ。

しかも、中国は相手を見てこの手を使う。米国に対してはこのようなアコギな手は使わない。もっと大きい仕返しが返ってくるからだ。一方、日本にはこの手を使っても大丈夫だと考えている。日本はそういう国ではないし、武力行使の恐れもない、米国もそこまで踏み込んで支援しないと。

日本にも中国が欲しい先端技術はあるが、海産物と引き換えに取引きするようなバカなマネはしない。一方で、対応策として海産物の輸出先を広げて中国の脅しの力を薄める効果が出て来たとのニュースも聞く。中国は輸出先を多様化できる機会を与えてくれたとも言える。■
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思いやりのない天邪鬼男の考え

2024-09-02 20:22:03 | 社会・経済
台風10号は各地から水害や強風等の被害が連日報じられた。この記事は昔ながらの水害に遭われた方に対して私の思いやりのないコメントだ。申し訳ないけど、思いやりがない記事だけど放置できないと思い投稿させてもらった。

台風10号は移動速度がかつてない程に遅いため広範囲に水害が広がる状況と報じられて驚くばかりだ。長い人生でも聞いたことがない。水害を受けた人達の状況の写真を見て、何でここに家を建てたのかと良く思う。昔田畑だった所に建てた家で何度も水害を受けた歴史があるはずだと。

私が育った田舎(大洲盆地)では70年前の子供の頃、新谷地区から若宮地区まで約4キロは田畑のみで、毎年台風シーズンになると一二度は川の水が溢れ浸水していた。今では、国道沿いに家が立ち並ぶ。その矢落川は一級河川となり堤防が補強されたが、西日本豪雨で越流が起こり数千の家屋が水害を受けた。将来更に厳しい水害が発生する恐れがあると一般論としてマスコミは報じる。

にもかかわらず全国的に何故低地に家を建てるのか私は理解できない。私が子供の頃には農家はほぼ100パーセント山裾に建てられ、平地は農地ばかりだった。宅地はほんの少し高い土地にあった。その結果、水害があると農地は浸水したが宅地は大丈夫だった。だが、今ではかつての農地は商業地・宅地から工場まで立ち並び何年か何十年に一度水没する。多分、昔より多くなった。

それは決して愛媛県の田舎だけではない、岡山県や広島県出身の友人でも同じような水害が起こったが昔からの農家は無事だったと聞く。東京郊外に住む自宅でも同じような状況にある。私が昭和40年代中頃に引っ越した時、河岸段丘沿いに上側(ハケ上)は宅地で下側(ハケ下)は田畑だった。父の友人の不動産屋の調べで私はハケ上に家を建て、ハケ下の道を通り工場に通った。

同じ頃から、ハケ下に競馬場や工場から公園や学校が造られ、更に宅地がドンドン建てられていった。今でもハケ下に建てられたあらゆる公共の建物には多摩川が氾濫した時にどこまで水位が上がるか警告表示がある。例えば競馬場とか交番は1m、体育館だと2m以上の水位表示がある。私はその表示を見る度に、これを見てハケ下に家を建て住む人達はどう思ってるのか気になる。

不動産屋はお客に水害リスクをきちんと説明しているのだろうか、説明責任を法制化すべきではないかと私は思う。私が見る限り田舎でも東京でも事情は変わらないように感じるがどうだろう。今回の前例のない規模の台風の報道を見て法制化が必要だと思った。私の田舎の実家は先祖の知恵、東京郊外の自宅は父の友人が土地の歴史を調べて宅地を決めてくれた。

台風10号で大変な被害を受けてもマスコミ報道等でこんな指摘がないのは何故なのか。被害者からもそういう声が聞こえないのはどういうことなのだろうか。天邪鬼な私の余計なお世話だろうか。■
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