かぶれの世界(新)

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高齢者トリオ崩壊の危機

2012-06-06 23:04:14 | 健康・病気

先週、市役所から介護保険証が届いた。母宛ではない、私宛だ。ついに高齢者だと公式に決め付けられる日が来た。予想していたとはいえちょっとショックだった。家内は嫌な顔をする私見て、みんな集めてお祝いをしようといかにも嬉しそうにのたまった。

私自身は高齢者かどうかは体力で決めたいと思う。昨年から今年にかけてガンの疑いで、日々の生活が無意識下で萎縮したせいだと思うが、体力が低下したと実感する。言い換えれば老化した。そこでこのところ週一ペースでジム通い、ジョギング、バドミントン練習を再開し、少しだが体力を回復してきた気がする。

その目安はバドミントン練習ゲームの勝率が3割程度まで戻ったことだ。だが、実は勝率改善には必要にして十分な条件がある。それは、40-50代のまだ元気なパートナーと組み、相手チームには私と同年のYさんか1歳年下のUさんがいることだ。彼等と当る組合せの時が稀な勝つチャンス、ここで勝たなければ他で勝てるチャンスは殆ど無い。相手が女性でもダメ。

ところが4月に帰京してから一度もYさんが練習に顔を出さなくなった。とすればUさんが頼りだが、彼も時々練習を休む。二人がいない日の私は厳しい、勝率は一気に低下し1つか2つしか勝てなくなる。還暦になった頃は相手チームが手抜きしているという感じを受けず、自分の衰えを一々心配しなくても良かった。だが、今度はダメかもしれないと実感した、高齢者トリオ崩壊の危機だ。私一人ではとても頑張れない。

もう一つ気になることがあった。先月、気になって久し振りに血圧を測定すると、150-160台になっていた。経験ではこういう時、寝つきが悪く朝早く起きる。昨秋のガン騒動の少し前から降圧剤の服用を中断していたが、ここにきて睡眠が浅くなって気になっていた。ホームドクターは依然服用していた薬の半分、アムロジピン2.5mgを処方してくれた。

先生はこの程度の血圧で自覚症状はないと言った。それよりも、血圧測定結果を記録したグラフを見て、先生は私が普通と違う症状を示していると言った。過去のカルテを見直して私が高血圧を訴えて診て貰いに来たのはいつも夏だという。普通は逆だそうだ。更に夜よりも朝のほうが血圧が高い傾向があるという。これも逆だと言う。

それを聞いて、もしかしたら夏の高温時のバドミントンやジョギング、更にはかつて登山やバックパッキングが過剰だったかもしれないと思った。若干心当たりを感じた。仮にそういうことなら生活習慣を見直すやりようがあると思った。今年の夏は運動を切り上げるタイミングを少し早めにして様子を見よう。

降圧剤の服用を再開して1週間経過して少しづつ効果が出始めた。私が最初に脱落して高齢者トリオが崩壊したといわれないよう頑張ってみたい。■

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妄想・第三帝国の復讐

2012-06-04 11:48:32 | ニュース

気がめいるほどユーロ圏の危機が延々と続いている。今朝の日経平均は急落し、バブル崩壊後の安値を下回ったと伝えられた。いい加減にしろと言いたい。いまや、ユーロを救うのはドイツしかないと誰の目にも明々白々なのだが、メルケル首相は一向に動こうとしない。その背景にはドイツ国民の6割は自国の税金を使ってユーロを救済するのに反対しているという。

テレビによく出演して意見を求められる浜教授は、東京の税金を使って全国の自治体に交付金をばら撒いて日本が国として成り立っているように、ユーロが存続する為には富裕国が貧乏国(財政危機国)に支援をする仕組が必須だと指摘している。日米等のユーロ危機を深刻に見守る国々の多くの専門家も同じ見方をしている。

ユーロの歴史とドイツ人の特別な関係はそれに先立つ二度の世界大戦を抜きにして語ることは出来ない。二度の大戦を引き起こして欧州を破壊したドイツをユーロの枠組みに入れて、間違ってもドイツが三度目の大戦の原因にならないようにするのがユーロ発足の大きな動機だった。

戦後欧州の政治を担って来た政治家たちの多くは、筋金入りの反ナチ運動の闘士だった。今彼等の多くは表舞台から去り、当時最も若かった20代前後の闘士も80代を迎え最後の役割(名誉職)を終えようとしている。崩壊の危機にあるギリシャのパプリアス大統領はナチス占領時代のレジスタンス闘士であり、挙国一致内閣を成立させ政治混迷を終らせようと不毛の尽力をした。

ドイツはその期待に誠実に応え、一方で経済復興に全力を注入した。ドイツは戦争責任を全てナチスに押し付け、ユーロの前身のEC時代から戦後のドイツは別の国の様に振舞ってきた。奇跡の復興を遂げたドイツは長く世界第3位の経済大国だったが、政治的には低姿勢を貫き物言わぬ優等生の役割を果してきた。

いつの間にか気が付くとドイツは財政危機国を抱える半身不随のEUの命運を握っていた。だが、ドイツの人達はユーロ市民である前に、千年も続くゲルマン魂溢れるドイツ国民のようだ。ましてや、二度も悲惨な戦争を引き起こして欧州を破壊した札付きの危険な国というコンプレックスなど無くなったようだ。

ここから先が私の妄想だ。

誰もそう言わないが、南欧諸国民は心の底でドイツはまだ借りを返していない、許してもらったのに偉そうなこと言うな、という声が私には聞こえる。それに対して、ドイツ国民の一部に心の底で秘かに第三帝国の復讐の時が来たと思っているのではないだろうか。そんな説は聞いたことも無い、「妄想」に違いないと思う。だが、天邪鬼の私にはそんな気持の人達が絶対いると妄想する。

参考までに、ウィキペディアによれば第二次世界大戦時代にナチスは過去の栄光と自らを結びつける為に、ドイツ統一の歴史を第一帝国(神聖ローマ帝国)、第二帝国(ドイツ帝国:プロイセン王国)、第三帝国(ナチの時代)と称し、正統化の道具立てにしたという。■

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覚悟の無い原発反対(続々々)

2012-06-01 18:07:21 | 国際・政治

大飯原発再稼動が事実上決定した。来週には政府が正式決定、関西電力は再稼動に向けて具体的に動き始めることになった。7月の電力需要が跳ね上がる時期に何とか間に合いそうだという。関西広域連合は再稼動反対と振り上げたコブシの下ろし処を失い、政府の判断に委ねるという取り繕いようの無い惨敗を喫した。

私は橋下大阪市長や関西の知事が再稼動反対の声を上げた時、住民の生活に責任を持つ首長が所謂「原理主義的な原発反対運動」みたいな反対の仕方に不安を感じて、3月30日に記事「覚悟の無い原発反対」)を投稿した。どうにも覚悟の程が感じられなかった。

記事の一部抜粋を紹介させて頂く。「自治体の長などのリーダーの原発再稼動反対の言いっ放しは無責任だ。その結果起こりうることにも抜かりなくしっかり対処しなければ住民に対し責任を果たしたことにならない。」 

その後二度にわたって記事を投稿し、原発抜きでこの夏が最悪ケースでも乗り切る節電プランを早く作り住民に徹底し、原発抜きのトータルコストを試算しそれだけの国富を失うと認識した上での判断であることを住民に理解させる必要性を説いた。

私から見ると、橋下市長や知事達はこの最低限の情報とか認識が無かったように感じる。彼等は馬鹿ではないはず、何でそんな愚かな原理主義っぽい反対の声を上げたのか疑問に思った。住民の安全を守るのは何も千年に一度の地震だけではない、確実に電力が失われるこの夏の住民の生活も首長の責任だし、その為には病院や企業活動を守ることも必要条件なのである。

何故このような当たり前の判断をしなかったのだろうか。国や関電への不信感があったのは事実だろうし、原発反対の「テレビ世論」に惑わされた可能性も感じる。この間頻繁にテレビ出演した自治体顧問の元官僚や原発反対論者達が根拠の乏しい楽観論でミスリードしたのかもしれない。

古い言葉だが「自分で火をつけ、火事だと大騒ぎして、火消しする」、所謂「マッチポンプ」的な騒動だったように思う。今回、マッチポンプの主役は関西広域連合なのか、それともテレビだったのか。私にはテレビ的浅薄さ、不真面目さのほうが印象に残った。底流にある将来のエネルギー論、原子力規制をどうするのかという根本的な問題の議論は全く深まらなかった。

しっかりした状況認識に基づく状況判断がいつも出来るか、これはリーダーが常に心しなければならないことだ。初めは出来てもいつの間にか現実から浮き上がってしまい、大きな判断ミスをする。今回、猪瀬副知事が計画停電した時の影響の大きさを助言されて始めて橋下市長は正気に戻ったという。他の知事連中は経済界や自治体首長からの強い突き上げを受けたという。

そういう話を聞いて、いつか妙な取り巻きに誘導されて暴走する橋下市長の怖さを感じた。以前投稿したように、大阪市長の責任の範囲でやってくれるのはいいが、国政レベルを同じ感覚でやられたら「えらいことになる」という怖さだ。現在の取り巻き陣のレベルで実行される政治に危うさを感じる。彼の政治スタイルがスタッフ陣を充実させる制約・限界になりそうな予感がする。■ 

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周回遅れの読書録12春

2012-06-01 11:24:29 | 本と雑誌

いつもとは少し違った観点から先ず二つの本の読書をお勧めしたい。それは「新平等社会」(山田昌弘)と「日本経済 見捨てられる私たち」(山家悠紀夫)だ。この2冊はほぼ同じテーマだが具体的な統計データを使っているのに、全く異なった結論を導いている。

夫々に説得力があり内容がもっともらしいけど、(自分のシナリオに)都合の良いデータを選んで論理を展開して異なる結論を得ている。世の中何でもどっちが正しいという答えがある訳ではない。このような本をどう読み見分けるか、最適の反面教師として2冊並べての読書を勧める。

テレビ等マスコミで散々議論され一時期政治イシューとなったテーマなので記憶に新しい方もいるはずだ。私は山田氏の方がより真実に迫っていると評価する。このような議論の一部をツマミ食いして政治的に「為にする」議論に利用する人達が、浅薄な議論を交した。自ら頭を使って考え抜いた結果でない中身の乏しい議論は淘汰され殆ど記憶に残っていない。

二つ目の観点からお勧めする本は、世の中では当たり前だとして見逃されている偏見とか伝説に異を唱えたもので、私の頭の中のモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。その2冊の本は「弱者が強者を駆逐する時代」(曽野綾子)と「ネットワーク社会の神話と真実」(池田信夫)だ。

多分人気が無く余り売れなかっただろうと推測する。世の中には大勢とは違った見方をする少数の人がいる、だが、読んでみるとそっちの方が正しく感じる、そういう印象を与えてくれる本だ。私は一読を勧めたい。世の中の大勢の動きとは違ったところに真実を見出す喜びを与えてくれる。

その外に「経済危機のルーツ」(野口悠紀雄)がお勧めだ。70年以降の経済史、世界と日本がどう変化し変化しなかったか、を俯瞰して大局を理解する上で良い参考書になる。依然としてモノづくりの固執する日本の弱みの限界を鋭く指摘している。

2.0ソロスは警告する 2009 Gソロス 2009 講談社 リーマンショック直前に深い洞察力で深刻な展開を予告した「ソロスは警告する」の後日談。注目すべきはポールソン財務長官がリーマンを倒産・AIGを救済した一貫性の無さを酷評しているところだ。内容が散漫で前書と一緒に読んで1冊の本という感じ。

2.5-経済危機のルーツ 野口悠紀雄 2010 東洋経済新報社 70年代初めのニクソン・ショック(金ドル交換停止)によるブレトンウッズ体制崩壊から始めて、石油ショック、サッチャー・レーガン改革、ソ連崩壊、ITと金融革新、リーマンショックまで、著者の経験を織り交ぜて変化の本質を経済史的に解説した佳作。変貌する米国の活力を高く評価する著者の視点は私は同意する。

2.5新平等社会 山田昌弘 2006 文芸春秋 深刻化する格差社会はニューエコノミー(生産性の二極化、専門家と定型作業者)が本格的に社会に影響を及ぼし始めた9898年頃からと説く。政治的な問題の捉え方(搾取など)ではなく、経済進歩過程で起こった必然と日本社会・家族・教育の組み合わせで格差を分析し、格差が社会問題化しない社会を提案を提案する佳作。

2.0日本経済 見捨てられる私たち 山家悠紀夫 2008 青灯社 統計データを駆使して98年を転換点にして構造改革が日本の景気を悪化させ格差を拡大させた、「小さな政府」にしなくとも財政再建は可能、実質上「大きな政府」にすべきと説くもの。少子高齢化社会での社会保障や安全保障の受益と負担を議論せず財政は維持可能と説き、都合の良い海外データのみつまみ食いした論理の典型である。その意味で参考になる。

(2.0)富裕層の財布 三浦展 2007 プレジデント社 日本人の1%を占める富裕層を世代・職業・性などに層別して、夫々のお金の使い方から考え方の特徴を描いたもの。生まれた時代背景からシニア・団塊・団塊ジュニア世代ごとに異なる消費性向を示し手いるのが面白い。2005年まで10年間で準富裕層以下のアッパーマスとマス層の比率が増えている意外な発見があった。

2.5+弱者が強者を駆逐する時代 曽野綾子 009 WAC出版 題名が良い、題名通り世の中の出来事をバッサバッサと鋭く切り捨てる。その精神は苦境を嘆く自称弱者達を甘えるなと自助自立を求める、まるで私を代弁してくれる。キリスト教を背景とした著者の小説という思い込みがあって忌避していたが、この月刊誌に投稿されたエッセー集を読んで嵌った。

2.5+)ネットワーク社会の神話と現実 池田信夫 2003 東洋経済 脈絡の無い話題を著者の過剰気味な博学を発揮して多様なテーマを切っていくのが心地よい。地デジ憎しの拘りや音楽ネット配信など的外れも多いが、ネットワークとグローバリゼーションを巧に関係付けて近未来を予測したり、ピント外れの個人情報保護の指摘等、正否問わずロジックが何故か清々しい。多分、私とケミストリが合うのだろう。

2.0団塊世代を総括する 三浦展 2005 牧野出版 団塊世代の人口が突出して多いが為に生じたトレンドを年代順に描いている。団塊世代にとって数が多いだけで起こった社会現象に責任を問われても困るが、論理に大きな誤りはない。負の部分だけ強調しているきらいがある。若干こじつけの分析もあるが、副題「彼らが時代を食いつぶした」が想起させる悪意をは感じないのが救い。

2.0ノーム・チョムスキー 2002 (監)鶴見俊輔 リトル・モア 著名な言語学者であり思想家の著者が9.11後の講演集とインタビューで、米国自体が世界最大のテロ国家であると説く。指摘が脈絡なく断片的の事柄として出てくるので主張の信憑性が私には分からない。中にはもっともらしい指摘もある、例えば歴史を振り返ると時々の「世界最強国が最大のテロ国家であった」など。

2.5検証戦争責任Ⅱ 読売新聞戦争責任検証委員会 2006 中央公論 『検証戦争責任Ⅰ』の後編で、前半200ページで満州事変から戦後の東京裁判までの歴史をレビューし、残り70ページが本書の胆となる戦争責任の検証結果を報告している。満州事変から日中戦争、三国同盟、日米開戦とその継続、特攻・玉砕、原爆まで節々での責任を指摘している。リーダーの責任に比べ制度的な問題指摘が少なく、新聞・報道の問題が申し訳程度にしか触れてないのが残念。陸海軍の官僚たちの責任を明確にし、現在も維持されていることを示唆しているのは目新しい。

*.*密謀(上・下) 藤沢周平 1985 新潮文庫 信長暗殺から家康の天下取りまで日本が揺れ動いた時代に、上杉景勝と直江兼続の田舎者の主従コンビがどう動き機を失ったか、三成と兼続の友情を絡めて描いたもの。その歴史上の群像の裏で忍者集団の暗躍で味付けし虚実織り交ぜた歴史娯楽小説。藤沢作品の中では下記の2作品のような短編時代小説のほうが好みだ。

*.*隠し剣孤影抄 藤沢周平 2004 文春文庫 必殺の秘剣の持ち主だが他にとりえの無い中下級武士が、意図せざる事態に追い込まれ秘術を使い、夫々の運命に身を委ねていく姿を描いた短編集。運命に逆らわない剣の達人の爽やかさが読んでいて清清しい。

*.*たそがれ清兵衛 藤沢周平 1981 新潮文庫 剣の使い手だが普段は冴えない中下級武士が藩内抗争に巻き込まれ愁眉を開く短編集。普段は変わった癖がある個性溢れた存在で、周囲に侮られた主人公が剣を持つと変身する様が気持ちいい。私の好きなパターンの筋書きだ。

今回も読書欲促進の触媒に藤沢周平作品を読んだ。私は氏の歴史小説(密謀)より、短編の時代小説の方が好みだ、特に触媒としては。■

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