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変わることの難しさ-NEC・レノボPC連合

2011-02-02 12:05:44 | 社会・経済

市場インパクトがなかった提携劇

NECと中国レノボが共同出資して、パソコン事業の合弁会社を6月に発足させると先月末に報じられた。日中パソコンのトップシェア・メーカーの連合が誕生する。だが、そんな華やかさを全く感じさせないほろ苦い提携劇だった。実際、市場は何事も無かったように反応しなかった。

一般の消費者にとってNECといえばパソコンをイメージする看板事業だった。長らくITビジネスに関ってきた私にもパソコンは特別なものだが、2009年にNECが海外市場から撤退を決断した時に残された国内事業の運命は決まったも同然だった。遂にその日が来たかという感慨がある。

Too Slow & Too Little to Prevail

パソコン事業の切離しは専門家の間では何年も前から指摘されてきた経営課題だった。かつて、NECを代表する花形事業で稼ぎ頭だった半導体・パソコン・携帯電話の不振が足を引っ張り、ヒト・モノ・カネを収益の上がる主力事業に集中できず、経営改善が進まないと指摘されていた。

同社と同じビジネス領域にある他の電機・情報通信会社は、世界同時恐慌から回復し10‐12月期の好業績を報じられている。エコポイントや新興国ビジネスが貢献したという。一方、NECだけが取り残され10年4‐12月の連結決算が535億円の赤字になると報じられ、株価はどん底に低迷している。

NECとしては異例の若さで遠藤社長が任命されたのは、この苦境から抜け出すため思い切った経営改革断行を期待されてのことだと推測する。新聞報道によるとレノボとの提携は社内の反対が強かったという。粘り強く説得して一時は頓挫しかけた取引をやっと成立させた。だが、それでも完全売却とはいかずブランドと雇用維持した合弁会社が落としどころになった。

予見されていた負のスパイラル

不振の3事業には共通するパターンがある。何れも過去に成功体験のある事業だ。国内市場でシェアトップを取り、一度は利益の源泉となった花形事業だった。先ず国内市場でトップをとり海外進出する典型的な日本企業の戦略だった。最初に海外に出た半導体事業は一度は世界トップになった。次に世界進出したパソコンは挫折、最後の携帯電話事業は海外進出も出来なかった。

背景にあるのは商品のコモディティ化と市場のグローバル化が進行する中で価格競争について行けなくなった。加えて他事業の経営環境も悪化して体力が続かなくなり海外撤退を強いられた。だが海外で戦えなければ、国内でも同じ理由で戦えなくなるのは時間の問題だった。予想通り収縮する国内市場でジリ貧になった。この時にすべきだった経営判断が先送りされた。

この負のスパイラルはかなり早い時点で社内外で認識されていたと思われる。大前研一氏が2年前に再建策として半導体子会社の株式売却、携帯電話事業のモトローラと統合、パソコン事業のエイサー売却で3事業を整理、ITとネットワーク・ソリューションに集中せよと提案している。ほぼ今日のNECの有様を予見したものだった。

成功体験が変化を遅らせた

お抱えでない外部コンサルタントがこの程度の認識を持っていたということは、NECにはもっと早期にかつ正確に状況を把握し経営改革プランを考えた人達がいたはずだ。私の知る限り同社は優秀な経営企画部スタッフを多数抱えていた。遠藤社長もその一人だったと報じられている。

だが、成功体験があった故に思い切った外科手術に躊躇する意見が有力だったようだ。今回もその影響を受けた意思決定、まだ不十分と懸念する声がある。冒頭に書いたように今回の提携劇は個人的には真に感慨深い。まだ現役の知人も関っていると思うと胸が痛む。筆も進まない。

だが、投資家の眼で冷静に見るとこの経営判断はToo Late & Too Little to Prevail、今となっては中途半端で手遅れの感がある。今回に限らず体質的な弱みと感じる。海外から撤退した時予見された不可避の道を辿るだろう。それも織り込み済みの巧妙な決定かもしれない。ともあれ決定は決定、通信とITサービスの主力事業に集中し全力をあげて業績回復に取り組んで欲しい。■

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