かぶれの世界(新)

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3ヶ月目

2009-12-17 15:04:14 | 国際・政治

内閣支持率低下がトレンドに

鳩山政権が発足以来、3ヶ月が経過した。新政権の評価を控える猶予期間100日ルールはとっくに無視され拙速な評価もあった。だが、3ヶ月も経つと政権特有の骨格や力関係などが明確になり、新内閣の問題点を指摘しても的外れではなくなってきたと感じる。

一昨日のNHK放送等最近のメディアの世論調査によれば、内閣支持率が初期の70-80%という高支持率を維持できず低落幅が徐々に大きくなる傾向が明らかになってきた。このトレンドが続けば、更に支持率を下げ来年始めには50%を切るのは避けられないようだ。

本当の問題は、内閣支持率低下が続いても不思議ではない材料が揃っていることだ。つまり、鳩山内閣は当初の国民の期待に応えられず、一部に失望感が深まりつつあることだ。その視点から3ヶ月目の鳩山政権の評価分析を私なりにしてみたい。

希望を与えた政策決定プロセス

HowWhatに分けて議論したい。先ずはHowだ。政権の政策決定プロセス、つまりどうやって政策を決めるかのショーケースとして、事業仕分けは国民に大きな期待を与えた。今日でも鳩山政権が50%以上の支持率を保っているのは、この事業仕分けに代表される透明でオープンなプロセスのお陰だ。

そこで国民の聞きたい議論が交わされ新鮮な驚きを与えた。だがその後の展開は必ずしも透明でも国民が望んだものでもなかった。現在までの報道を見る限り、政治主導という政策決定は迷走し、3党連合プラス小沢幹事長が鍵を握っていることが明らかになってきた。少なくとも今の所は。

個別政策は現実に直面して迷走

次はWhat、つまり政策そのものだ。新政権が成し遂げた主要な政策は郵政民営化の見直しとモラトリアム法案だけ、普天間問題で迷走を続け日米関係を傷つけ、マクロ経済政策は皆無で世界から取り残され、謳い文句だった脱官僚は遅々として進まず後退姿勢が目立つ。基本となる政策の優先順位付けが明確でないのが迷走の原因だ。

言い換えれば、民主党に投票した大多数の国民の期待に応える前に、1%前後の国民しか支持しない党の政策を優先して実現しようとしているように私には思える。国民が望んだ長年の自民党政治の垢を取り去るとした約束した、脱官僚・無駄使いの撲滅・子供手当て等は不透明なままだ。党内の色々な立場からの意見を纏めて落としどころを見つける役割がこの政権にはない。

ポイントオブノーリターン

私は先ず公平で透明な政策決定プロセスが確立されれば、多少のギクシャクはあっても長い目で見れば民主党政権に任せるほうが国民にとって良い選択になると考えていた。しかし、今100日も経たないうちにその信頼が揺らいでいると感じる。と言うのは、我国がポイントオブノーリターンの近くまで来ていると思うからだ。

その一つには、普天間基地問題が先送りされこれ以上日米関係が悪化すれば、両国トップの信頼関係に傷を付けた。更に悪化すると、元に戻すことなど出来なくなり、最終的に我が国の安全保障が脅かされることになると懸念するからだ。「トラストミー」と言って翌日それを否定する発言をしたのは最悪で、少なくとも個人的な関係は大きく傷ついたのは間違いない。信用できない男と烙印を押されたも同然だ。これが大統領の任期中ずっと続くと思うと我が国の損失は極めて大きい。

二つ目は、世界から取り残されいまや「民主党不況」とまで言われる日本経済は、国を代表する輸出産業の多くが一斉に海外展開を早めており、一旦雇用が失われるともう元には戻らないからだ。雇用を生み我が国を支えていく輸出企業が逃げ出した上に、新たなリスクに立ち向かう挑戦者を元気付け報いてやる政策がなく、企業家精神を育てる土壌が劣化していく感じだ。

司令塔の役割を果たさないリーダー

未だに司令塔になるべき鳩山首相が一体何を考えているのか分からない。普天間問題や財源問題で発言のブレが目立ち、意思決定できず右往左往する様子が連日報道され、リーダーとしての資質に疑いが生じている。「決めないと言う決断」をしたと揶揄する海外メディアの記事を見て、何でこんなこと言われなきゃいけないのか情けないと思う。

結果として大臣が夫々の省の考えをバラバラに発言し収拾が付かなくなり政治主導が機能しなくなっている。それが又、小沢幹事長待ちの姿勢になり氏の突出振りが目立つという悪循環になっている。鳩山氏を支える官房長官の実力不足も責任の一端がある。このままでは来年度予算を纏め切れるのかと皆が不安を持った時、救世主が何を捨てて何を拾うか提案を持って現われた。

小沢的手法の見えない怖さ

いまや小沢幹事長が実質上の実権を持ち、更に拡大してく勢いだ。その水平線のかなたに見える黒雲は、彼が政策の一貫性より権力志向が勝っている様に見られることだ。それは新政権の政策決定プロセスの透明化とは相容れず、いつか矛盾が噴出し政局になる可能性があると私は予測する。だが、それでも密室政治の自民党政権時代に比べればまだマシな部分があるのも事実だ。

一部で指摘されている米国から中国へ重点のシフトは、長期的に見て妥当かどうか懸念がある。正直私には分からない。中国の経済力は圧倒的な魅力だが、共産党独裁体制維持が全てに優先する国だ。過ちを犯すことはあっても自由主義という普遍的思想を国是とする米国との関係を悪化させることが、長期的には我が国の価値観を傷つけることにならないだろうか。小沢氏が圧倒的権力を手にした時、どこに向かうのか線引きが曖昧な怖さを感じる。

支持率は下がり、縮小均衡が続く

内閣支持率はジリ貧、今後も下がり続けるだろう。市場について言えば既に信任を失った。世界の主要国が株価を回復した中で、海外の投資家は日本市場から引き上げ、日本の一人負け状態だ。日本を牽引する輸出産業は海外拠点にシフトし始めた。派遣を禁止しても肝心の雇用が減ったままだ。

かつて「経済が悪化し米国の信頼を失った政権は長続きしない」と言われてきた。今回はどうか、却って小沢支配が強まることになるという見方に私も同意する。その究極が、自民党政権時代に最大派閥の意向で首相を次々と交代させ危機を乗り切った構図で、これが復活しそうな勢いだ。3ヶ月間で誰が鳩山氏の代わりになるか見えてきた。

内閣の支持率は低下するが、民主党の支持率は一定値を維持する構図が実現すれば、小沢氏が実権を握り首相を取り替えるお馴染みのパターンが再現することになろう。彼のプライオリティは、選挙に勝ち続ける安定した集票マシーンの構築にあり、その為の政策が優先されることは間違いない。

最後に世界の中での日本はどういう位置付けになるだろうか。民主党政権が4年間続くとして、その間我が国は縮小均衡の傾向が止まらず、経済的なキープレイヤーのポジションを失うのは避けられないだろう。だが、来るべき高齢社会の辿る道としてそれが一概に悪いと言えないかもしれない。先々もっと惨めな思いをする可能性はある、実験はまだ始まったばかりだ。■

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携帯洗濯サバイバル

2009-12-14 22:11:08 | 日記・エッセイ・コラム

前回の「自虐私観」に続いて自虐ネタをもう一つ。我ながらドジと思うことは日常茶飯事のこと、自虐ネタに事欠かない。今度は携帯電話を洗濯してしまった失敗談について。

母が脳梗塞で倒れた時、私への連絡が東京の自宅と田舎の実家の間を行き来して、緊急連絡用携帯の必要性を実感した。取り急ぎ田舎に戻り母の容態が落ち着いたところで、一旦帰京して当座の用事を済ませ再度田舎に向かう時、家族の助言でついに携帯電話を購入した。

息子と一緒にお店に行き、老人用と思われるキーサイズが大きく操作が簡単そうな携帯を選び、最低限の機能だけ選択してランニングコストが最小になる契約で購入した。

ところが田舎で最も長い時間過ごすはずの実家の二階の書斎に、電波が届かない。実家が山裾の谷間にある為か、机の上は圏外表示、部屋の隅で一本バーが立つだけで、携帯が通じない場合があることが分かった。1階は大丈夫なのだが。これでは役に立たない。

それでも、外出や散歩とか書斎以外のところで病院からの連絡を受けた事も何度かあったから、多少の投資効果はあった。

ところが、やってしまった。

その日は早朝散歩から帰って来て、天候が良く空気が乾燥した日になりそうなので、思いついて厚手の乾き難い衣類の洗濯をすることにした。そして洗濯機が回り始めるといつもと違う音が聞えた。もしかしたらと悪い予感がして洗濯機を止め、洗濯物のポケットを探ると携帯が出てきた。

待ち受け画面を表示しておりまだ動いていた。直ぐに電源を切りバッテリーを外してタオルで拭き、入念に水切りをして窓辺において乾燥させた。水分が残ったまま電源を入れると電子回路が壊れる恐れがあると思い、用心して2日間何もしないで乾燥させた。

皆に知れ渡り馬鹿にされそうだ、と最初に思った。電話業界に勤める娘だけにこっそり問い合わせのメールを入れたが、生憎彼女は仕事に出ておらず直ぐに返事がなかった。2日後の昨日バッテリーを挿入し恐る恐る電源を入れると、正常に回復した。

製品の防水加工が有効だったのか、私の当座の措置が正しかったか、はたまた単に幸運だったのか、理由はともあれ一件落着した。水に漬ける前のバッテリーは3本バーだったが、再立ち上げ回復後は1本バーになったが、再充電後のバッテリーは今のところ正常なペースで消費している。■

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自虐私観

2009-12-11 23:42:28 | 日記・エッセイ・コラム

母の見舞いで月曜日から田舎に帰っていた妹が、母を見舞った後午後には大阪に戻っていった。又、寂しくなる。短い滞在だったが、2人だけで5日間も実家で過ごし、これだけ話し合ったのは初めてだ。政治や家族、読書、旅行など思いつくまま話した。

妹は人の話を辛抱よく聞く前に、自己を主張する傾向が昔より強くなった気がする。長い人生経験から生まれた信念からか、意見交換して考えを整理するというより「決め付けの交換」をすると言った方がピッタリ来る。彼女も私のことをそう思っているかもしれない。私は、自分では柔軟な考えをすると思っているが、所詮血がつながった兄妹だから似たもの同士なのかも。

コタツや車の中で話題は次から次へと展開した。彼女も読書家で月5-6冊は読むらしい。田舎の市立図書館の蔵書が貧弱だと二人で嘆いた。そのうち、我が家の食費が彼女の家の倍もかかっていることがわかり、両家の家計管理が話題になった。家内が家計管理をうまく出来ないとうっかり口を滑らしたところから、私は迷走し始めた。

妹は家計の切り回しはとてもうまく、少ない予算でも豊かな食事になるよう工夫しているのは前から承知していた。私は食費を話題にしていたのだが結果的に家内をけなしたことに気が咎め、話題を変えた。それから子供達の教育や人付き合いが上手くて助けられた、と思いつく限り家内のプラス面を説明して埋め合わせを始めた。

それでも気が済まず、今度は若い頃の私が仕事第一の亭主関白で、家内には酷いことを何度もしたと具体例を挙げて告白した。更にまだ足りないと考え、今度は私のマイナス面で埋め合わせをしようとした。如何に私が家庭人として駄目だったか自虐的にパーソナル・ヒストリーを続けた。

そこには、相手も「実は私もこんなに酷いことをした」みたいな告白ごっこをして傷を舐め合う展開で終わる期待が私にはあった。ところが、私の期待とは全く違った展開が待っていた。それを聞いて妹はそんなことしてとんでもないと猛烈に私を非難し始めた。私は20-30年前の恥を紹介しただけで、今更関係ない彼女に非難される筋合いはない、と言って話を打ち切った。

全く違う性格だと思っていたのに、彼女も家内も同じ反応をしたのには、いささか驚いた。相手が昔酷いことをしたと反省し告白しているのにおっ被せて非難し、一方で自らのマイナス面は認めず(少なくとも言葉では)謝らない。それを指摘したら喧嘩になるので私は口をつぐむ。彼女達は自分の欠点を分析して説明したくない、度量がない・・・様に感じる。

たった二人の似た反応で、「そもそも女は・・・」と論じるのはいささか乱暴だが、妹の反応を見てアラカン(アラウンド60)女性の特徴かなーと思った。比べてみると、確かに私は自分の弱点や失敗を分析して解説する。まるでかつての戦後知識人の自虐史観のように。もしかしたら、それが自慢げに聞え相手は反省をしてないと感じているのかもしれない、これを書きながら思った。

だが最後にこれを追加したい。私が自虐「私」観を開陳すると、同年代の男性の友人は同様な夫婦間の問題を披露して共有してくれる。そして、「やっぱりそうか、どこも同じだな。」といって、何の問題もなくスムーズに傷の舐めあいモードに入ったことを白状する。■

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田舎暮し雑感09冬(1)

2009-12-08 23:34:50 | 日記・エッセイ・コラム

月曜に妹が大阪から来てくれて田舎暮しの孤独感が少し薄まった。米国に4年間単身赴任した時は、ある意味孤独を覚悟していた。時には日本人同僚や彼らの奥さん達が気を遣ってくれた。だが、日本語は通じるが主人を失った田舎の家に住む方が却って辛く感じる時もある。

だからと言うわけでも無いが、散歩などの時誰かに出会うと、良く知らない人でもちゅうちょ無く声をかける様になった。先日散歩の帰りに通りで雑談しているお婆さん達の会話が耳に入った。近くの旧街道沿いの商店が次々と閉店し、元々少なかったお店が半減しているという。

道幅が狭く駐車場も無いので客足が遠のき商売にならなったからだと思ったが、話を聞くと殆どは跡取りがいないのが閉店の理由らしい。今老夫婦がやっているお店も、数年後には閉店する羽目になるはずだ。そのうち近所に住む老人達の歩いて行けるお店がない事態が来るだろう。

私には地元のバドミントン・クラブが孤独を忘れる大事な機会だ。米国駐在の時と同じようにそれ以上の関係にはならないが。それはそうとして、日曜日に隣町の内子町の山奥にある体育館でバドミントン大会があり、急遽参加させて貰って楽しむことが出来た。その日限りの急増ペアで試合は惨憺たる結果だったが、最後の試合頃には呼吸が合い結構楽しめた。

会場は、40分ばかり川沿いの谷間の道を走り、突如山の中腹に見えてくる場違いに見事な体育館だった。体育館だけでなくテニスコートや遊園地がある総合運動公園で、何億もかかった所謂ハコモノだろう。とても立派なものだが、日曜日というのに子供が3人長い滑り台で遊んでいるだけだった。

例の事業仕分け以来この手の建造物を見ると、どんなお金が使われたのか気になる。試合が終り付近を歩くと森林保護或は事業とかなんとかの基金で作られたという看板をみた。体育館の管理室にいたボランティア風の留守番役のオバさん達に聞くと、何も知らなかった。

実際は森林事業が体育館に化ける論理がここでも展開されたと見て間違いない。この種の話が日本中に溢れている。それは農業だったり、教育だったりするが、色々な分野で同種の論理で体育館とか博物館とか作られた。田舎の場違いに立派な建物は怪しんだ方が良い。

無駄使いというと、寒村の住民は体育館が無くて良いのかという正論が出て来る。だが、これを全国規模でやっては国がもたないな、と思いながら殆ど対向車の無い立派な道を爽快にぶっ飛ばし帰途に着いた。■

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沖縄は大事だけど、日本は大事じゃないの

2009-12-07 23:05:32 | 国際・政治

妹が母の見舞いで大阪から来てくれた。病院に立ち寄った後、家主のいなくなった実家に向かった。私と妹だけの実家というのは、多分初めてのことだろう。ひとしきり母の病状について話し合った後、話題は自然と政権交代後の政治に移った。

彼女は最近の鳩山内閣の迷走振りを嘆いた。血のつながった妹とはいえ、私と同じ懸念を共有しているのを聞いて、私は膝を打つ思いだった。特に印象的だったのは掲題の問い掛けだった。これほど新政権の問題を的確に表現した言葉はないと思った。

「沖縄は大事だけど、日本は大事じゃないのか」

今、国民の間に鳩山内閣に対する漠然とした不安が急速に広がっているのは、この質問に対して明確なポリシーが返って来ないからだ。しかもこの問いかけは応用が利く、普遍性を持っている。沖縄の代わりに置き換える言葉は、民主党の新政策の中にいくつもある。

この1週間の新聞記事を読めば、外交と安全保障、経済と雇用など、多くの分野で同じ構図の問題が提起されている。既に多くの日本企業の海外生産への移行のように、一旦出てしまえば元に戻らない変化が音を立てて起こり始めている。派遣禁止以前に雇用が喪失する恐れがある。

資金繰りに困った弱い企業だけ救済すれば、日本経済が回復し世界と競争できるとでも勘違いしている連中の声ばかりが聞こえる。韓国ハイテック企業が何故日本の家電メーカーを抜きトップに立ったのか知らないようだ。日本の代表的な会社に勤めた経験も役に立たないらしい。

大元に個別の問題を全体像の中で位置づけて考えられない鳩山政権の弱点がある。労組とか社会党の遺伝子が混じった政権の成り立ちとか、首相自身の問題かもしれない。理由はともあれ、これでは前政権を非難した縦割り政治の形を変え、新たな支持団体の権益擁護になっただけだ。

参院での多数派を構成する為の妥協で身動きが取れないのも事実だろう。それに対しても上記の質問は極めて本質を突いていると思う。今、その判断をせず問題先送りしたのでは、果たして日本を率いるリーダーと言えるのか。様子見では済まない国民の比率は着実に増えているように私には感じる。■

コメント (2)
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