かぶれの世界(新)

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私的残日録

2009-12-29 19:08:07 | 日記・エッセイ・コラム

最後の3分の1

ここ数年間、母の介護をやってきた。その間ずっと「何時か私もこうなる」と心の隅で思いながらやってきた。人生を3つに分けて、最後の3分の1は「死ぬ為の準備」をする時期だと、何かの本で読んだことがある。それを読んだ時、特段何も感じなかった。私は既にそうしてきた。

母が糖尿病との闘いに苦しみ、食欲の亡者のようになり自らの寿命を縮めている姿を見て辛かった。同年輩の友人のご両親の多くも当然その時期にあるが、聞くと元気だった肉親があっという間に亡くなったという話も多い。どちらが良いとも言えない、正に人様々の最後の3分の1だ。

私は、「今朝会った時は元気だったのに夕方突然亡くなった」みたいな死に方が理想だ。死ぬ直前までその気配を見せたくない。その為には健康であることがとても重要だと心がけてきた。昨日、掛かり付け医に診てもらい、一時期悪化していた尿酸値や高血圧がこの1年で理想的に改善したと褒めて貰った。食事や散歩など生活習慣を見直した効果だと思う。

死に方は生き方

突き詰めると、どう死ぬかはどう生きるか、残りの人生をどう生きるか、という事だと思う。健康だけでなく、色々な意味で。今迄の私の最大の目標は、馬鹿みたいだが、私の父や祖父のように自分の母より先に死なないことだった。彼等は母に葬式を出させ、妻を40-50年以上も後家にした。還暦を過ぎ年金を頂く年齢になり、この私の目標はほぼ達成したと思う。

人生なんて一寸先は闇というが、突発事故でもない限りもう10-20年位は生きる可能性がある。少なくともその間、家族・友人や世間様に迷惑をかけたくない。健康的・経済的にも助けを借りることなく生き抜きたい。多分、終末期にはそれすら野心的な目標になるかもしれないが、今から意思を持って頑張れば達成できるかもしれないと思う。その上で、出来るだけ何かを後に残したい。

新たな目標

母の介護で田舎と東京を行き来する私を見て、人はよくやっていると褒めてくれる。親しくなった看護婦さんによれば親を入院させ、その後連絡すら拒否する肉親も珍しくないという。転院させた病院では亡くなった時直ちに引き取る誓約書にサインを求められた。逆説的には、そういう例があるということだろう。その人達にも言えない事情があるのだろうが、私はそういう事情が生じないようにベストを尽くしたい。

正直なところ、母の介護を最初は息子としての義務感で始めたが、母の姿を自分に重ねて何時か必ず来る老いた自分自身の為という気持ちが強くなった。私が最も大事と思うのは、母親をほったらかしにする姿を子供達に見せたくない。親を恥じる思いを自分の子供にさせたくないことだ。

付録の人生

こんなところが、私が必ず後に残すべきと思うことだが、その上で「出来たらやりたいこと」は沢山ある。年の1/3は晴耕雨読の田舎生活、1/3は旅行、残りは東京というプランは身勝手で都合よ過ぎ家族の支持を失いすぐに諦めた。しかし、年100冊本を読むことは続けていきたい。バックパッキングする体力はなくなったが、バドミントンはまだ暫らくやれそうだ。

リーマンショックの後の世界同時不況により、僅かな額とはいえ退職金の一部を使って投資した金融資産が半減した。失望の中で資産回復の為出来る限り内外の情報を収集分析して意思決定した瞬間は、かつて会社勤めで事業責任を負って仕事をした時感じた緊張感が戻り、ある種の懐かしさを感じた。

危機の中で正しい判断をするには運も必要だった。だが、何もしないとか判断を誤れば、まだかなりの損を抱えていたろう。勿論この先どうなるか分からないが。何れにしろ、私はもう老いた。家族を路頭に迷わす恐れのあるような、ある種「贅沢な冒険」をする訳にはいかない。

とはいっても、藤沢周平の「残日録」はセピア色の日記が色付いたようなエピソードで終っている。私の残日録も単色で終らないよう、芸術的とはいかなくても私の色を付けをしていきたい。■

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