かぶれの世界(新)

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田舎暮し雑感09冬(1)

2009-12-08 23:34:50 | 日記・エッセイ・コラム

月曜に妹が大阪から来てくれて田舎暮しの孤独感が少し薄まった。米国に4年間単身赴任した時は、ある意味孤独を覚悟していた。時には日本人同僚や彼らの奥さん達が気を遣ってくれた。だが、日本語は通じるが主人を失った田舎の家に住む方が却って辛く感じる時もある。

だからと言うわけでも無いが、散歩などの時誰かに出会うと、良く知らない人でもちゅうちょ無く声をかける様になった。先日散歩の帰りに通りで雑談しているお婆さん達の会話が耳に入った。近くの旧街道沿いの商店が次々と閉店し、元々少なかったお店が半減しているという。

道幅が狭く駐車場も無いので客足が遠のき商売にならなったからだと思ったが、話を聞くと殆どは跡取りがいないのが閉店の理由らしい。今老夫婦がやっているお店も、数年後には閉店する羽目になるはずだ。そのうち近所に住む老人達の歩いて行けるお店がない事態が来るだろう。

私には地元のバドミントン・クラブが孤独を忘れる大事な機会だ。米国駐在の時と同じようにそれ以上の関係にはならないが。それはそうとして、日曜日に隣町の内子町の山奥にある体育館でバドミントン大会があり、急遽参加させて貰って楽しむことが出来た。その日限りの急増ペアで試合は惨憺たる結果だったが、最後の試合頃には呼吸が合い結構楽しめた。

会場は、40分ばかり川沿いの谷間の道を走り、突如山の中腹に見えてくる場違いに見事な体育館だった。体育館だけでなくテニスコートや遊園地がある総合運動公園で、何億もかかった所謂ハコモノだろう。とても立派なものだが、日曜日というのに子供が3人長い滑り台で遊んでいるだけだった。

例の事業仕分け以来この手の建造物を見ると、どんなお金が使われたのか気になる。試合が終り付近を歩くと森林保護或は事業とかなんとかの基金で作られたという看板をみた。体育館の管理室にいたボランティア風の留守番役のオバさん達に聞くと、何も知らなかった。

実際は森林事業が体育館に化ける論理がここでも展開されたと見て間違いない。この種の話が日本中に溢れている。それは農業だったり、教育だったりするが、色々な分野で同種の論理で体育館とか博物館とか作られた。田舎の場違いに立派な建物は怪しんだ方が良い。

無駄使いというと、寒村の住民は体育館が無くて良いのかという正論が出て来る。だが、これを全国規模でやっては国がもたないな、と思いながら殆ど対向車の無い立派な道を爽快にぶっ飛ばし帰途に着いた。■

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