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天邪鬼・筑紫哲也寸評

2008-11-11 21:31:05 | ニュース

筑紫哲也氏が亡くなったというニュースを聞いた時、やっぱりそうかと思った。彼を知る人は誰もが予想し覚悟していたと思う。今では珍しくなくなったが、氏もまた癌になったことを公表し不治の病と戦う姿勢を露にしていた。残念ながら何時かは負ける運命の戦いだった。

筑紫氏はこの30年間日本で最もよく知られたジャーナリストだったと思う。それは雑誌編集長からテレビのニュースキャスターに転じ、毎日お茶の間で見られる真の報道人(所謂テレビ評論家と一線を画する存在として)になったからだ。

露出の多さが筑紫氏のニュースキャスターとしての成功の重要な条件だったが、それだけではなかった。彼はキャスターとして独自のスタイルを作り上げた。彼の知的な容貌や喋り方とあいまって「ブレが無い、深い洞察力」と評価される視点が、その時代のテレビの枠にピッタリはまった。

筑紫氏が尊敬するという米国の伝説的なジャーナリスト、ウォルター・クロンカイトも、話し始めた瞬間に視聴者は彼と分かり耳をそばだてて聞く、独自のスタイルをもっていた(全盛期はラジオ時代だった)。

意識したかどうか分からないが、筑紫氏はクロンカイトに習ったのではないだろうか。米国のネットワークの報道番組を見ると、夫々に特徴を持ったキャスターがいて、彼らの評価が即お金(視聴率)につながる厳しさの中で競争し鍛えられている。私の勘違いだったかもしれないが、一時期の筑紫氏には同じ存在感があった。

筑紫氏が作り出したスタイルは、その後に続くニュースキャスターに強い影響力を与えたように感じる。この2、3日民放のバラエティ(ニュース)番組は競って筑紫氏を偲んで報じたのは、彼がテレビの世界で生きた人だったということだろう。今ちょうど追悼番組が流れているはずだ。

しかし、今までのテレビ報道を見ると故人を「べた褒め」する内容ばかりで、気持ち悪くて最後まで見ていられなかった。今はそれが故人に対する敬意なのかもしれないが、私はどうも苦手だ。

彼のジャーナリストとしてのスタイルはさておき、皆が褒めるなら天邪鬼の私なりの形で偲びたい。私はだいぶ前から筑紫氏の言うことが違うんじゃないかと思うようになった。それは拉致事件が表面化する過程での、氏の北朝鮮を擁護するかのような発言より前だった気がする。

自民党政治家の番記者だったそうだが、何故か私には筑紫氏に社会党の臭いを感じた。

私から見ると、彼の“深い洞察力”は、何かが起こった時、又は起こる時、その裏に隠されている問題を探し出すことに使われた。それは高度成長時代には、人々を立ち止まらせ目線を上げて考えさせる重要な役割を果たした。そこには弱者に対する暖かい思いやりがあった。

高度成長時代に一定の役割を果たしたが、村山政権を経て社会党の存在理由が消滅したように、筑紫氏のぶれない姿勢はバックファイアーしたように感じる。バブル後の長く停滞する時代、人々が光を求めて苦難の道を歩んでいる時、筑紫氏の陰を探す姿勢がまるで遠くの光を消してまわっているという風に私は感じた。もうこの人の役割は終ったというように。

筑紫氏ほどの洞察力を持つ人も持たない人も、同じスタイルの報道人又はそのまねをする人達ばかりになったことだ。その意味では和製クロンカイトになったと言える。だが、陰を探し隠れた弱者をいたわる一方で、光を求め突き進む勇者を讃える者がいなければ人々に希望を与えられない。

そういう意味では、筑紫氏も日本の中だけでしか通用しないジャーナリストだった。彼の東京発の記事とか論説が世界で引用されるといった、ユニークだが理解でき普遍的なものが無かったのではないだろうか、というのが私の印象だ。

私の勝手な思い込みが何であれ、筑紫哲也氏のご冥福をお祈りします。■

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