かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ロック・スケート

2004-09-08 14:33:38 | スポーツ
95年から3年間仕事の都合で米国に単身赴任しシアトル郊外に住んだ。1年の9ヶ月は雨が降るという土地だが、夏は乾燥して過し易く週末になるとハイキングやバックパッキングに出かけた。レニア山は海抜4000mで富士山より一回り大きい裾野に無数のハイキングコースがあり、特に南側にある登山口から8合目あたりのキャンプ・ミュア迄のコースは人気があり通算して20回ぐらい通った。 早朝起きて車で2時間かけて登山口に着き、登り4時間、降り2時間、計6時間かけてハイキング、夕方までに戻り馴染のセラピストと雑談しながらマッサージを受けるのが毎週末の楽しみであった。 

緯度が高いのでハイキング・コースは登山口から雪に覆われているが比較的なだらかで踏み固められて判り易く、2000m以上になると平らな氷河の上に降った雪の上を歩くのでコースを外れない限り難しくない。 富士山と違って車中からも歩き始めてからも景色は素晴らしい。3000mに近づくと空気が薄く息苦しくなるが、少し頑張るともうキャンプ・ミュアである。 これ以上は本格的な登山技術を身につけた人でないと登れない。 ガイドブックは9時間かかるといっているが普段運動をしている人なら6時間程度で往復できる。 私は転勤した最初の2年間は毎週地元の高校の体育館でバドミントンの練習をし、州や市のトーナメントにも参加していたので6時間で往復し、車での移動に4時間かかっても夕方には帰宅することが出来た。 

ある時、出遅れて登り始めたのでセラピストとの約束に間に合わせ様として降りを急いだがバランスがとれず上手く歩けなかった。最初は下り坂で転ばないように踵に体重をかけて歩き滑って後方に転んだ。何度か転ぶうちに、つま先に全体重をかけやや前のめりになりながら滑るように歩くと、雪の上をスケートのように滑りながら歩ける様になった。 後ろを振り返って見ると1~2mの滑った足跡が交互に続いていた。 慣れてくると走る感覚で滑り降りることが出来るようになり、何度か繰り返すうちに熟練してきて1時間あまりで登山口に戻れた。 歩き方だけでなく普段から膝や足を鍛えておき、リュックは軽くしておかないと難しいかもしれない。 当時高校生の娘を連れていった時、登りは私より強かったが、急坂の雪の上を走り下る恐怖感で腰が引け上手くいかなかった。 しかし慣れてくると私はこの「スノウ・スケート」が毎回ハイキングの楽しみとなった。

これには20年以上前の高尾山での経験が元になっている。長雨の後高尾から陣馬まで歩いた時、影信から先の赤土の道が所々ぬかるんでひどく滑りやすくなっており降り坂で何度か尻餅をつき泥だらけになった。 まだ先が長いので色々歩き方を試してみて、滑らないように歩くのではなく逆につま先に体重をかけわざと滑らせて歩くと、体のバランスが取れて滑るけれども転ばない歩き方が出来ることに気が付いた。以降これを「マッド・スケート」と命名して雨の日やぬかるんだ道を気にせず歩けるようになった。 雪と泥の摩擦係数に差はあるものの理屈的には同じ歩き方だったので、基本的な技を身に付けていたのかもしれない。

2年前の夏息子とカナディアン・ロッキーに行った時、予想もしないところでこの技が役に立った。 バンフ市の象徴といわれているランドル山に登った時のことである。 天候が安定していなかったので、登る前にレーンジャー・ステーションに相談したところ、登山許可がでなかった。 ランドル山は3000m弱の険しい山で道具を使わないで登れる限界の山であると説明を受け、過去どのような天候の時どこで遭難が起こったか解説つきの地図で助言を受けた。 翌日天候が回復し許可をもらい早速登り始めた。 2000mを越えたところで急坂になりすぐに森林限界に達し、岩場になりコースが曖昧になった。 所々に小岩を積んだケルンを頼りに登っていくのだが、ドンドン急坂になりどこもかしこも砕石で覆われ、徐々に砕石が大きくなり、その層が深くなり足下が不安定になった。 龍の背と呼ばれているところは尾根が痩せており怖い思いをして恐る恐る登った。はるか下から追いついて来た若いパーティに追い越されるという、私にとってはめったにない屈辱も経験した。 やっとの思いで頂上に立ったとき360度の眺望は素晴らしく、苦労は報われた。登ってきた尾根の反対側はほぼ90度で1000m以上急落している絶壁であった。 バンフ市の象徴言われる所以である。 しかし絶景を楽しみながらも、ザイルも何もなしでどうやって下山するか考えるだけで頭の中は一杯だった。

昼食を済ませ下山を始めるとどこを通ってきたかルートがはっきりせず、一歩踏み出すごとに足下の砕石が崩れ、ズルズル滑っていく。しかし腰を引かず直立していると急坂でも数十センチ滑って止まるので、そこで次の一歩の場所を決めて踏み出すというようにすると楽に歩けることが判った。 その時スノウ・スケートの歩き方を思い出し、つま先に体重をかけ手でバランスを取りながら思い切って急坂に向かって滑るように歩くと見事に決まった。 摩擦係数は雪や泥に比べて大きいが原理は同じである。 及び腰の息子に要領を教えるとすぐにコツを掴み、後は二人でキャーキャー言って楽しみながら下っていった。 何故か龍の背も怖くなかった。 先に下山を始めたパーティも全て抜きさった。 登りの時元気の良かった若い米国人ペアも急坂を用心しながらへっぴり腰で下っており、あっという間に追い抜いていった。 すれ違いの雑談で凄く楽しそうにスケートをしながら降りて来るように見えるとその女性(ちなみに金髪)が言ったので、これは私が発明したロック・スケートだといって年甲斐もなく自慢して説明してしまった。 連れの男性がかなりへっぴり腰だったのも気をよくした。

これが、下り坂の摩擦係数が小さく(滑り易い)、靴底が硬く頑丈な場合の歩き方のコツである。 ロック・スケートは私のオリジナルではないかと思っているのだがどうだろう。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« テロは何故起こるのか | トップ | インテル: 先行指標の役割... »

コメントを投稿

スポーツ」カテゴリの最新記事