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大学共通テスト改革の議論は一体何の為だった?

2019-12-23 21:15:18 | ニュース
2か月前に萩生田文科相の「身の丈発言」から始まった大学入学共通テストの改革問題が、英語の民間試験活用と国語・数学の記述式問題の導入見送りという尻切れトンボで決着した。我が国の将来を決めることになる(多分?)最も重要な改革がこんなことになって凄く失望している。

見送りになったテスト項目は以前から我国の大学卒業生に欠けていると指摘されてきた能力なのだが、果してどうあるべきか、見送りにしても良いものか、殆ど議論されなかった。例によってマスコミ批判をする。知性も能力もない芸人等が大臣の失言や試験の手続きばかり指摘し本質に迫らなかった印象がある。

問題の本質は一体何だったのか。誤解を恐れずに言うと萩生田文科相の「身の丈発言」は我国の現実だと思う。田舎と東京を行き来して子供の教育を見聞きしていると、都会の子供の方が小さい時から塾や進学校に通い難関大学入学を目指し、教育に投資できる裕福な家庭の方が明らかに有利なのだ。

政治家は現実がどうかより建前を言わなければならないとしても、何年もかけて検討した実施直前の入試改革が大臣の本音発言で脆くも見送りになった展開には驚いた。逆に言うと報道で指摘された問題は、文科省の進めて来た改革が酷くお粗末だったということだ。この指摘は前々からあったと聞いて二度驚いた。

そこからの展開が低レベルな政治論議だけで、あるべき教育の姿を求める議論に向かわなかったのは本当に残念だ。だが、あるべき教育の姿は大学入学共通テストを変えるだけで実現するだろうか。個々の高校や大学によって独自の考えで学生を選び何年もかけて教育して育てる方が現実的だと思う。

多くの高校や大学は少子化に対応して如何に生徒や学生を集め収入を得るか、存続の危機に立たされているという経営問題がある。一方、大学入学を目指す為の教育だけで、国際的に競争できる若者を育てられるのか。生徒や学生のレベルにあった現実的な教育も必要だ。

地方と都市の教育格差、経済格差が生む教育格差、これも又、建前では語れない深刻な現実だ。現実を言ったと非難して格差解消を待っているうちに世界から取り残されたら何にもならない。「身の丈発言」から始まった騒動は、全く何の為にもならない無意味な議論のまま終わろうとしている。分かっている親はそんな事は無視して子供の教育に投資している。■

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