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大震災10周年の教訓(2)悲しい現実

2021-03-12 17:06:25 | 社会・経済
被災地の声も出なくなるような惨状を見た後、最初に救われたと思ったのは全国からボランティアが東北に集結して個人レベルで復興の手助けをしたことだ。一瞬だが、「日本は大した国だ、何とかなる」と思った。だが、10年経ってその考えは甘かったと思う。

テレビが報じたのはボランティアに助けられる被災者、特に老人ばかり目立った。彼ら自ら生活を立て直す力(自助)を失い、最も助けを必要とする人々だった。無償の至急の助けが必要だった。ボランティアは菅首相の基本政策の一つである「自助・共助・公助」の共助をタイムリーにやった。

この後被災地の復興の主役は一貫して老人だった。私はもうすぐ後期高齢者になる老人なので遠慮せずに言うと、彼等は経済的には生産効率の悪い人達で被災地への貢献は限られていた。被災地は少子高齢化で人口減少が進行する地域で、大震災で人口減少が更に加速すると予想された。

だがそれは被災地だけの問題ではない、日本全体の問題だった。大震災で明らかになった問題が国レベルで解決されてなかったことが、その後も何度も続いた自然災害や今回のコロナ禍で明らかになった。前回紹介したトヨタのサプライチェーン改革の成功は例外だった。

今朝の日本経済新聞を引用すると「東日本大震災という未曽有の災害を経験しても、医療や教育の現場は現状に安住し、改革は進まなかった。…日本の医療界はディジタル化の流れに尻込みし、逆らってきた。…地方では高齢の医師が高齢の患者を診る「老老医療」の状況が拡がり…

私の実家がある四国の地方都市でも同じ状況が進んでいる。地方では医師不足が進み、民間医院では高齢の医師が高齢の患者を診て、民間医院が健康保険を財源に終末医療をする介護施設化するところまで進んでいる。コロナ禍で世界的に豊富なはずの医療資源が役に立たなかった。

残念ながら教育の世界でもディジタル化が遅れ、世界的に最低水準に沈んでしまった。文科省の環境整備は遅々として進まなかった。東北の自治体が震災時の教育の継続の為ディジタル化を推進した例外はあるが、全国的にはベテラン教員の多くは教育のディジタル化をやる熱意に欠けていた。

医療や教育の世界で大震災は重要な問題を提起したが、被災地以外の殆どは自分の事として捉えなかった。いつの間にか国民の間に「自助の精神」が失われたように感じる。例外もある。大震災の後も異常気象による豪雨被害が毎年続き、避難指示を待たず自らの判断で行動するよう学習し始めた。

今日見たバラエティショーではコロナ感染対応の判断の為の具体的な基準を示せ、という芸能人コメンテーターの声が流れた。国や自治体の関係者は毎日同じ警告を繰り返しているにも拘らずだ。私にはコロナも教育もボランティア頼りで、自己判断と自己責任が足りないと感じる。

その大元の原因はつくづく日本人の老化ではないかと考える。今や日本が世界でトップクラスなのは平均寿命だけ、自ら考えて世界をリードしていく様な精神や物を作りだすことが難しくなった。大震災はこの悲しい現実を明らかにし、この10年間スピードアップしたと考える。■

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