かぶれの世界(新)

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33年ぶりのカラオケ

2022-04-03 11:08:16 | 音楽
昨日家族が世田谷の祖師谷に集まって孫の誕生日と小学校入学を祝って食事会をし、その後近くの店でカラオケパーティを行った。山形牛を使ったボロネーゼが美味しかった。最後にお祝いのケーキに家内の名前を見て、彼女の誕生日でもあったと思い出した。すっかり忘れてて謝るしかなかった。

私の家系は遡っても音楽家の血筋ではなく、誰も好んで歌を唄う姿を見たことがないので冥途の土産にと思いカラオケパーティに行こうと提案した。33年前に職場の責任者になった頃に女の子を誘ってカラオケに行ったのが最後だった。取引先との付き合いは食事かゴルフがメインで、カラオケはたまに先輩同僚に誘われていく程度だった。歌もうまい方じゃなかった。

予約してくれたカラオケの部屋に入って音楽が入ると最初はその音量の大きさに圧倒された。昔はそうでもなかった気がする。子供達が尻込みする中で息子が大音量の歌を何曲か唄って先陣を切ってくれ、そのあと少しずつ子供達や親も歌い始めた。息子のありようを伺い知った気がした。

だが、私が聞いたことがあるのは数曲だったと思う。言葉が詰まっていて間をあけず忙しい、昔の抒情的な歌など何処にもなかった。Yoasobiとかの名前は知っていたが、殆ど聞いたこともない。しかし、息子の嫁によると紅白にも出た歌手だと聞き記憶力の劣化を思い知らされた。

大きな画面の字幕に出て来る歌詞の内容は、凄くまともである意味社会的な鋭い突っ込みのようなものを感じ、それを年端も行かない小学生が歌うのを見て二度驚いた。彼等は唄っている内容を理解しているのか聞くと、嫁は一番年上の小学6年になる孫は理解しているという。

長男が襟裳岬を選曲して唄い始めると、やっと私の出番が来たと昔を思い出してマイクを持った。ついでにと嫁に頼んで五番街のマリーを選曲して貰い、昔十八番だった森進一の物まねで唄って私もカラオケパーティに参加出来た。結局、家内と下の息子は1曲も歌わなかった。

これで、今回の東京での予定もほぼ終わった。孫や息子との雲取山登山は先送りになった。次に行く力が残っているか自信はない。証券会社の担当と話し合い私がいつまで適切な判断が出来るか、そのの資産管理をどうするか話し合いを開始した。提案を聞いて2週間後田舎に行く予定だ。■

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