かぶれの世界(新)

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歌詞が先か、曲が先か

2012-10-12 21:50:18 | 音楽

向きジャズ・カントリーのファンだという私の音楽の軽口です。「歌詞が先か、曲が先か」、といっても曲が出来るまでのプロセスの話ではない。私はそんな話題をする音楽のレベルにない。柄でも無いし。私がどんな風に音楽を楽しんでいるか、チョット書いてみただけのごく軽い駄文です。

義弟は筋金入りの音楽ファンだ。若い時から分不相応に高額なステレオセットで、優れた録音品質の名演奏を聴いてきたプロ級の耳を持った音楽の理解者と自称する。彼は一流の音楽のみ認める。一流を聞き分ける耳を持つかのように、時間をかけて名演奏を「聞き込む」と良く表現する。彼のレベルに達しないメカ・音源(録音)・楽曲を辛らつに評する。

彼の揃えてくれたステレオセットでCDを毎日聞いている。だが私の本音は、その時その時心地よいと感じる音楽をジャンルに関係なく理屈もなくただズルズルと聴く。音質は良いに越したことはないが絶対条件ではない。退職後、独りで過ごすことが多くなり色んな音楽を聴くようになった。その中でも、パソコンを操作しながらBGMとして音楽を聴くことが圧倒的に多い。

となると、クラシック以外はパソコンを経由して音楽を聴くことが多い。スピーカーもアンプも一級品とは程遠い。しかし、世界中で今どういう音楽が支持されているか分かり、一方で若い頃ヒットした曲が映像とともに懐かしく聞けるYoutubeを重宝している。そこで私が改めて心に沁みるのは音質より歌詞だ。歌詞が表示されるYoutubeはその点でも便利だ。

情的で懐古調の曲を近年好んで聞くようになった。Youtubeのお陰でかつてボーカルも楽器を含めて一つの“音”として聞いていた歌詞の意味が分かるようになり、その内容に触れて新鮮に感じ好きになった曲がある。元々詩が若い頃を思い出させる松田聖子の「蒼いフォトグラフ」とか森高千里「渡良瀬橋」みたいなのも好きだったが、義弟にそう言うにはいささか躊躇う。言うとすれば若干気取ってジャズやカントリーとかラフマニノフだ。それが冒頭の表向きの理由だ。

3.11後私の好みが更に感傷的な方向に向かったと自覚している。中でも嵌まったのが以前投稿したように70年代に吟遊詩人といわれ活躍したダン・フォーゲルバーグで、今でも時々思い出したように聞く。好きなのはLonger, Run for the roses, Leader of the band, Same old lang syneなど。メロディも良いが特に歌詞がいい。彼の曲はどれも聞く者を優しい気持ちにさせてくれる。特に傷ついた人の心には響くのではと思った。最後の曲など聞くたびにウルウルしてくる。

去年大阪の義弟のうちに泊まった時、彼のパソコンを開いてこの曲を紹介した。すると彼は「感傷的で甘っちょろい」と酷評し、私は全ての音楽性を否定されたようで二の句が継げなかった。勿論、彼に悪気は無いし深い音楽の知識があっての発言だと分かっている。その言葉は今も頭の隅に残っている。彼とは音楽性を議論する積もりはないしその知識もない。ただ教わるだけだ。それはそれとして、これからも歌詞のもつ意味を良く噛みしめた楽しみ方を止めるつもりはない。

歌詞の意味を考えるようになって、今まで敬遠していたJ-POPのかなりが人生の応援ソングだと気がついた。多くの人に受け入れられるのは歌詞の持つ力があるからと思う。私には先入観があって唯の騒々しい流行の歌みたいに思っていたところがある。そう思えば好みじゃないと思っていた演歌もそう悪くないかもしれない。最後に音楽性を云々する積もりは全くない、あくまでも自分の好みを言ったまで、この件で議論する気はありません。■

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