かぶれの世界(新)

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マスクあれこれ

2020-04-19 15:28:04 | 日記・エッセイ・コラム
馴染みの川沿いの堤防道を散歩した。堤防道と言っても災害時に避難道路として使う為、優にトラックがすれ違う広さの贅沢な散歩道だ。約4km歩いてすれ違ったのは5組程度だった。東京郊外の遊歩道の混雑とは違った。うち4組はマスクをしていた。マスクをして農作業中の友人も見かけた。

こんな人気のない場所でマスクは不要と思っていた。ところが、午後になってマスクが無いのなら都合すると、上記の友人から電話で申し出があった。言外にマスクせよという圧力を感じた。買物ではするが農道とか堤防を散歩する時までマスクする積りはないと応え、彼はどんな時でも人に出会うかもしれないからマスクせよ主張し譲らなかった。私はWHOとか各国の対応まで持ち出し激論になった。

多分全国でこんな感じで皆がマスクをしてマスク不足になるかもと思った。素人の私だが不必要な場面でマスクをしている例が多いと思う。田舎に来る時の電車や飛行機の中では私も当然のようにマスクをした。周りの目よりそもそも必要だと。ここ田舎では、私から見れば危険な社会的距離は買物の時くらい、ご近所の方に会う時は十分距離をとっている。逆にマスク万能と思い込みの方が怖かった。

15日のFT(ファイナンシャルタイムズ)の記事によると、世界的にはマスク着用は一貫した方針はなく対応は国毎に異なるという。だが、今やNYの街中でマスクなしで歩くと見とがめられるというから世の中変わった。マスクの効果について記事を引用して要約すると私の理解は以下のようになる。

「利点と難点を考え合わせると、医療用マスクの水準に達しないマスクは、どれも着用者を感染から守るほどの効果がないということだ。」・・・「医療用マスクは医療関係者用に確保しておく必要があると訴え続け、同時に手洗いやソーシャルディスタンスの維持が最も重要であることも引き続きしっかりと呼びかけるべきだ。」

こういう認識を彼と共有することは出来なかった。最初は元薬剤師の彼には分って貰えると思ったのだが、彼は執拗に自説を主張し後味の悪い会話だった。世界中どこにいても根拠のない主張を押し付けられると簡単には後に引かないで生きてきた。ただ、彼みたいな人が沢山いるのなら不安を与えないよう心がけないと田舎では暮らしにくいと思った。ちょっと窮屈。■

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