かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

本物の山裾歩きを再開

2021-08-30 21:11:18 | 日記・エッセイ・コラム
このところバドミントンが出来ず、ジョギングや山裾歩きも痛風や打撲による足裏の皮むけで軽い散歩しか出来ず、欲求不満が溜まっていた。そして足の痛みが少し良くなってきた瞬間、昨日の午後山歩き再開を決断した。早い決断だ。何か体を動かしてないとイライラしてくるのだ。

それ以外にも理由がある。6月頃にワークマンで買い揃えたUVカット仕様の長袖シャツ、Tシャツ、ズボンに帽子の効果を、真夏の山裾歩きで試してみたかった。もう一つ、ほぼ歩き倒した大洲盆地の山裾道の中で中久保から下山せず、更に北西に歩き余家(よけ)まで足を延ばしてみたかった。

モチロン、加えて私の脚力の衰えを感じて老化の具合を測りたかった。酷暑の中を全身黒っぽいワークマンスタイルで歩くのは思ったより効果があったと思う。具体的な数値はないが、直接太陽光に肌を露出する半袖シャツ姿で歩くより「気持ち」涼しかった。

真夏の現場で仕事する作業員の為という極めて実用的な作業服から出発したワークマンの衣服はしっかり効果があったと思う。小学校の裏から山に入った時、手押し車を押す老農夫を見かけワークマン作業服の効果とお店まで教える「営業」をやってしまった。少なくとも彼は感謝してくれた。

だが、それから坂道にかかると私の足が思ったより衰えていた。今年の春に歩いた時はたかだか標高200-300メートル程度の集落に向かう車道なんて大した坂じゃなかった。だが、歩き始めると長々続く緩い坂道は息が上がる程ではないが結構きつかった。

岡野ファームの先にある十字路を左(西)に向かい山腹の平坦な道を中久保に向かった。途中の三差路の目の前で軽トラが止まり私を待った。いつかは会えるだろうと思っていた同級生のO君だ。今迄に聞いていた彼の噂を伝えると、それはこういうことだと全て解説してくれた。

それから始まったのは二人の健康ネタ、如何に自分が老いたか嘆いた。私は自ら認めるお喋りだが、昨日は聞き役に回ることにした。多分、話し相手がいないのだろう。しかし、彼は何度も奥さんの話を引用してたのできっと仲が良いと思った。互いに再会を期待して別れた。

それから先は誰にも会わず集落を過ぎ、彼の助言に従って徐々に下り道を通り余家(だと思う)に行った。見た範囲ではたった2軒の集落だが、生活臭はあった。O君が間違えるなと警告した下り道を何とか見つけ、急坂を下って行った。長くキツイゴツゴツした下り坂は膝に堪えた。

やっと広い通りに出たと思ったら工事中で通行止め、T字路の反対側に出て田舎には似つかない洋風の家の前に出た。庭に子連れの奥さんを見かけ、ここ何処ですかと馬鹿みたいな質問をした。答えはJR五郎駅に出る積りが、1キロ弱遠回りして免許証の教習所に出たことを知った。

そこから約2キロ歩いて実家に戻った。約2万歩、14キロの道のりだった。今回の山裾歩きの目的の余家はたった2軒の集落で何の感慨もなかった。しいて言えば、大洲盆地の隅から隅まで歩くワンステップだった。そして今日はかなりの腰痛でしっかり老化を実感した。

昨年までなら絶対平気だった程度の山裾歩きだったはずなのに。山裾歩き再開といったものの、もしかしたら最後かもしれない。今日の夕方爽やかな風を受けながら散歩道を歩いた。友人は相変わらずのやり過ぎだという。多分正しい。だが、やり過ぎかどうか、先ずは腰痛の具合を見てみよう。■

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母が辿った道を歩く(続) | トップ | 意味不明なアメリカの世界 »

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事