4日の午前中に田処まで往復し、夕方足首に痛みを感じた時は大したことないと思っていた。しかし、その夜になって痛みが激痛に変わりトイレに行くのもつらい状態になった。それはまだ良い、階段の上り下りは一歩毎に地獄の痛みとそれに続く下肢の痙攣に見舞われた。
昔風の農家の2階を書斎や客室に改築し、1階の台所や風呂をそのまま利用する造りで、何をするにも階段の上り下りしなければならない。自宅介護の一環で母の為にと思い玄関の段差や階段と風呂に手摺をつけたが、今ではその恩恵を最も受けているのは間違いなく私だ。
それでも最低限の食事やトイレ・風呂に洗濯はやらなければならない。後延ばしできることは全て延期したが、生きて行く為に必要なことはやるしかない。ざっと計算すると、横方向に半径10m、縦方向に3mの立方体に2日間の生活が始まった。2日で済むかどうかは定かでないが。
昨日は痛みと痙攣によるショックで足痛の原因を冷静に考えられなかった。初日の山歩きコースと二日目の山間部の地区(かつての村)のサイクリングで左足首に痛みが出たのか。今朝患部を観察すると1か月前の自動車事故でひざを痛めた時と同じように左足甲が腫れて血管が見えなかった。腫れた皮膚は若干黒ずんでいた。
今日になって少し痛みが和らぎ冷静に考えられるようになった。膝の外側は何ら打撲痕が見えなくなったが、内側に並行して走る血管等の管が完治しておらず二日連続のサイクリングで裂け目が大きくなり液体が足首の方に洩れて溜まったと思った。打撲でなくても山間部のサイクリングで強い圧力が血管等に圧力がかかり完治してない傷を広げたと推測した。
1カ月前は事故後の約2週間後にジョギングして甲の腫れが消えてしまった。明日の症状を見てある程度判断できると期待する。私の推測が正しければ、大元の原因は私のやり過ぎのせいだろう。都合よく考えれば、介護を受ける前に「半径10mの生活」を実体験できた。感想はやなこった。
実家を改築した時に毎年のように蔵の修復とか東屋を作った。その時、母がもう改築には付き合えないといったのを思い出した。母は改築時の対応から始まり2階の各部屋の備品を揃え掃除をしたりするのが大変だったのだろうと、今回初めて母の気持ちになって理解できたように感じた。■
昔風の農家の2階を書斎や客室に改築し、1階の台所や風呂をそのまま利用する造りで、何をするにも階段の上り下りしなければならない。自宅介護の一環で母の為にと思い玄関の段差や階段と風呂に手摺をつけたが、今ではその恩恵を最も受けているのは間違いなく私だ。
それでも最低限の食事やトイレ・風呂に洗濯はやらなければならない。後延ばしできることは全て延期したが、生きて行く為に必要なことはやるしかない。ざっと計算すると、横方向に半径10m、縦方向に3mの立方体に2日間の生活が始まった。2日で済むかどうかは定かでないが。
昨日は痛みと痙攣によるショックで足痛の原因を冷静に考えられなかった。初日の山歩きコースと二日目の山間部の地区(かつての村)のサイクリングで左足首に痛みが出たのか。今朝患部を観察すると1か月前の自動車事故でひざを痛めた時と同じように左足甲が腫れて血管が見えなかった。腫れた皮膚は若干黒ずんでいた。
今日になって少し痛みが和らぎ冷静に考えられるようになった。膝の外側は何ら打撲痕が見えなくなったが、内側に並行して走る血管等の管が完治しておらず二日連続のサイクリングで裂け目が大きくなり液体が足首の方に洩れて溜まったと思った。打撲でなくても山間部のサイクリングで強い圧力が血管等に圧力がかかり完治してない傷を広げたと推測した。
1カ月前は事故後の約2週間後にジョギングして甲の腫れが消えてしまった。明日の症状を見てある程度判断できると期待する。私の推測が正しければ、大元の原因は私のやり過ぎのせいだろう。都合よく考えれば、介護を受ける前に「半径10mの生活」を実体験できた。感想はやなこった。
実家を改築した時に毎年のように蔵の修復とか東屋を作った。その時、母がもう改築には付き合えないといったのを思い出した。母は改築時の対応から始まり2階の各部屋の備品を揃え掃除をしたりするのが大変だったのだろうと、今回初めて母の気持ちになって理解できたように感じた。■