夕方散歩に出掛けると必ずどこかで夕涼み中の後家さんグループに出会う。「チワー」とか「暑いねー」とか適当に挨拶して通り過ぎようとするが、ほぼ毎回呼び止められる。80‐90歳代の後家さん数人で、たまに男の後期高齢者がいる。ここではそこまで生きている男性はごく少ない。
この集落は男は早死にし、後家さんだらけになる。若い女性は都会に出て行き結婚して戻ってこない。結果として集落の主要構成メンバーは、後期高齢者の後家さんと独身の老人手前の男性となる。彼女達の子供や孫は一人もいない。正に日本の少子高齢化の究極のパターンだ。
ここまでは前置き。後家さんグループに出会うと必ず声をかけられ、私は若造扱いされる。長老の次に年配者になってしまった後期高齢者直前の私が若造扱いだ。普通は気候の話だが、たまに冗談でデートに誘われもっと若い娘がいいと返事し、豪快な笑いを取りさっさと通り過ぎる。
笑いの後にむなしさが残る。というのも実際には実家のある集落には未婚既婚を問わず若い女性は一人もいないのだ。私が物心ついた子供の頃に後家さん達は既に大人だった。だから彼女達に若造呼ばわりされるのは当然だ。10年たったら彼女達も私も生きている可能性は限りなく少ない。
今日の日記はここまで、残りは後付け。
いくら典型的な限界集落といってもここは異常だ。数年前は何人かの子供がいた。私が退職して田舎に顔を出すようになってからでも、離婚して母子が出て行くとか、都会の学校に入学して出て行くとか、高校を卒業して都会で働き始めるとかでいなくなった。次の世代を担う若者や子供がいない。
中高年の男性は就職して都会に出て行っても、父親が死んだり病気で後を継ぐために田舎に帰る。だが、女性は帰らない。私より若い中高年の農夫は会社勤めを経験した男性だ。先月日経新聞の記事は若い女性の流出が少子高齢化の真の原因との指摘した。その通りのことが起こっている。
だがそれにしても私の実家のある集落は極端だ。すぐ隣の集落では減ったとはいえ小学校に通う子供の姿を見かける。ということは若い夫婦がいるということだ。散歩の途中に通る川沿いの大きな公園で若い親と子供の姿を見て安心する。
何でも疑問に思って原因を調べる私も、この件については他所の家の夫々のプライベートな事情にまで立ち入ることになるので難しい。もっと若造呼ばわりされて後家さんクラブの会話に参加すればわかるかもしれないが、今のところ勘弁してほしいという気持ちだ。■
この集落は男は早死にし、後家さんだらけになる。若い女性は都会に出て行き結婚して戻ってこない。結果として集落の主要構成メンバーは、後期高齢者の後家さんと独身の老人手前の男性となる。彼女達の子供や孫は一人もいない。正に日本の少子高齢化の究極のパターンだ。
ここまでは前置き。後家さんグループに出会うと必ず声をかけられ、私は若造扱いされる。長老の次に年配者になってしまった後期高齢者直前の私が若造扱いだ。普通は気候の話だが、たまに冗談でデートに誘われもっと若い娘がいいと返事し、豪快な笑いを取りさっさと通り過ぎる。
笑いの後にむなしさが残る。というのも実際には実家のある集落には未婚既婚を問わず若い女性は一人もいないのだ。私が物心ついた子供の頃に後家さん達は既に大人だった。だから彼女達に若造呼ばわりされるのは当然だ。10年たったら彼女達も私も生きている可能性は限りなく少ない。
今日の日記はここまで、残りは後付け。
いくら典型的な限界集落といってもここは異常だ。数年前は何人かの子供がいた。私が退職して田舎に顔を出すようになってからでも、離婚して母子が出て行くとか、都会の学校に入学して出て行くとか、高校を卒業して都会で働き始めるとかでいなくなった。次の世代を担う若者や子供がいない。
中高年の男性は就職して都会に出て行っても、父親が死んだり病気で後を継ぐために田舎に帰る。だが、女性は帰らない。私より若い中高年の農夫は会社勤めを経験した男性だ。先月日経新聞の記事は若い女性の流出が少子高齢化の真の原因との指摘した。その通りのことが起こっている。
だがそれにしても私の実家のある集落は極端だ。すぐ隣の集落では減ったとはいえ小学校に通う子供の姿を見かける。ということは若い夫婦がいるということだ。散歩の途中に通る川沿いの大きな公園で若い親と子供の姿を見て安心する。
何でも疑問に思って原因を調べる私も、この件については他所の家の夫々のプライベートな事情にまで立ち入ることになるので難しい。もっと若造呼ばわりされて後家さんクラブの会話に参加すればわかるかもしれないが、今のところ勘弁してほしいという気持ちだ。■