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昔の女

2019-01-21 17:28:03 | 日記
昔の女と言っても私が40代最後の頃に知り合った女性の思い出だ。NHKのドラマ「モンローが死んだ日」の登場人物と同じ年齢の頃だが、草刈正雄と全く逆のイケてない男の思い出だ。

先日Youtubeを何気なく見ていると見覚えのある名前の美人ユーチューバーに目が留まった。見かけは若くて美人だが、私が記憶している女性とは顔つきが違った。だが特徴のあるイタリア系の名前なので目に留まり、30年近く前に仕事上の知り合いだった八頭身美人を思い出した。

そして、91年にサンフランシスコで約1週間一緒に仕事したことを思い出した。当時の写真を収めたアルバムを引っ張り出し、長身の彼女と一緒に屋上で撮った写真を見て懐かしく思った。彼女のことは2014年5月14日に投稿した記事「西海岸の偽寅さん(追加)」で紹介したことがある。いざとなるとオタオタして何も言い出せなくなった私を「偽寅さん」と喩えた。

その中では彼女のことを"L”と紹介したが、正しくは“R”だった。何故間違えたのだろうか。もしかしたら少し後ろめたい気持ちがあってわざと間違えたかも知れない。だが、私の人生もそう長くはない、間違いは訂正しておきたいと思う。最初に断っておくが、彼女とは何もなかった。

米国のお金持ちの家に生まれ高等教育を受けた彼女がチンチクリンな日本人男性に興味を持った。何故私に興味を持ったのかは未だによく分からない。彼女は当時京都に住み仕事がある時だけ上京して会議に出て私と知り合った。仕事上の会話しかしなかったと記憶している。

彼女がサンフランシスコ会議に参加することは知らなかった。彼女は私の勤める会社と世界的なデザイン会社の仲介役をやった。私はフィッシャーマンズワーフ近くの「ホリデイイン」宿泊し、彼女は実家から通って会議に参加した。工業デザインに専門外の私は会議で無責任で自由奔放に振る舞った。それが良かったのか約1週間の会議で彼女と気が合い急に親しくなった気がする。

彼女は私を個人的にも気に入ってくれたのだと思う。日本では職場の親しい女性といっても一緒に食事し馬鹿を言い合う程度だった私には、彼女がアプローチして来たのを知って驚き困惑した。そして嬉しかった。会議の途中3日目頃から好意を感じ記念写真撮影のあと、彼女から二人だけの写真を求められ体を密着された時の柔らかい感触が普通でない様に感じた。

だが、その後の会議や帰国後も私は何事も無かったように事務的な反応をした。プライベートなカードを貰っても取引先からの挨拶と同じ扱いをした。今から思えば彼女からのアプローチに対して冷た過ぎた。だが、私は3人の子持ちで家庭があった。相手が日本人でも同じことをしたと思う。

白状すると、この辺から私の仕事環境はどんどん変わり、私も変わって行った。会社が部品やユニットを調達する際に技術的な評価をして仕様書を作り承認する部署の責任者になった私には、内外からの過剰な接待が待っていた。それまでの一杯飲み屋から銀座や赤坂などの料亭に場所を変えて連日の接待を受け、眠っていた私の助平心が突然目を覚ましたのだろう。

振り返ると、“R”のアプローチ以降は全てビジネス上の付き合いで、幸か不幸かドキッとして心が乱れるような事態になったことはない。私は元のチンチクリンな田舎者に戻った、というより正しくはずっと田舎者だった。但し、重い後遺症で厭らしい「助平ジーサン」になった。30年近く前の写真を見てあの時のドキドキ感を懐かしく感じた。■
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