かぶれの世界(新)

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母の一周忌(終)

2017-09-01 21:36:33 | 日記・エッセイ・コラム
8月30日に「灯上げ」をやって、7月前半の法要から始まった母の一周忌の一連の行事が全て終わった。当日朝7時、何時もの散歩道の橋のたもとに喪主が集まり、灯上げのため灯籠をつるす仮設を作った。実際は喪主の息子世代の若者が殆どで、彼等はよく見かける土木作業の格好で、ポロシャツに半パンの私は場違いだった。 
    
10時から2時間バドミントン練習で汗を流し遅めの昼食後、2時から戸別訪問してきた和尚にお経をあげて頂いた。夕方6時から本番の灯上げ、10分前に提灯と白旗・短冊をもって朝準備した会場に向かった。そこは100人以上いたと思われる喪服を着た人達で一杯だった。

朝土木作業姿の若者も白シャツに喪服、ネクタイまでしてる。私だけ又もや場違いの半パンにポロシャツ(今度は黒色にした)。夕方と言えどもまだ暑かった。フルバージョンの彼に「凄いね、暑くないの?」と聞くと、皆が喪服で来るのに違う格好は出来ないという。なら私は何だということになる。

朝作った竹の仮設には既に15個の灯籠が吊るされ、白旗が立てかけてあった。私は慌てて提灯を吊るそうとしたが適当な場所が見つからなかった。すると和尚の奥さんが適当な場所を見つけてここにしろと言ってくれた。驚いたことに他家は全て3万から6万円余りする立派な灯籠、明らかに我家のみ安っぽく見える提灯だった。

後で顔見知りの喪主に聞くと、彼は最初提灯を買ったが他家がどうするか聞いて別に灯籠も買ったのだそうだ。どうもここは見栄っ張りの人達が多いようだと思った。嫌味な言い方だが、そんなにお金持ちばかりとも思えない。戒名を院号にしないで安価に済ませ、その分灯籠は立派なものにしたいのかも知れない。

今日バドミントン練習の仲間に聞くと、市街地の灯上げは複数のお寺を纏めて2日に分けて実施され夫々に70の灯籠が焼かれたという。そのうち提灯は3個か4個だったというから、この市全体がそんな具合のようだ。農協は生活簡素化と銘打って提灯を勧めたが乗ったのは数人だけ。4万人市民はほぼ見栄っ張りということか。

和尚のお経を終わり参列者が全員線香をあげると、灯籠に火がつけられあっという間に火が燃え上がった。私が吊るした提灯はひらひらが無いので中々燃えず最後まで残った。それを機会に参列者は三三五五帰って行った。木片や竹棒を出来るだけ燃やし後片付けを済ませると喪主の数人だけ、薄暮の西空の空気が澄んで夕やけがやけに綺麗だった。■
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