同窓会に出席の為に田舎に戻ってきた義弟と食事をした時、彼の実家は八幡浜市の伊方原子力発電所から20km圏内にあることが話題になった。地図で調べると私の実家も24-5kmにあることが分かった。放射能汚染を他人事のように感じていたのに急に身近に感じた。
彼によると、1号機は福島原発と同じ型であり、東日本大震災のような巨大津波が来れば同様の事故が起こったかもしれないという。既に四国電力は20km圏内の家庭訪問を開始し、地震対策を説明し不安解消に努めているという。
テレビが伝えた家庭訪問用のパンフレットと同じものが、20km圏外の私の実家にも配布されてきた。パンフレットによれば、発電所は海抜10mのところにあるから福島とそう変わらない。福島では耐震構造は機能して原子炉は止まったが、津波でその後の冷却機能が失われたという理解で対策が打たれている。しかし、一旦不安になった住民は容易に理解しないだろう。
今回の事故を受けて、電源確保(32mの高台に電源車4台を配備、配電線2ルート化)、冷却水確保(同じ高台に消防車配備、予備海水ポンプと仮説ポンプ配備)、浸水対策(建屋の扉を水密扉に)などの対策をとり、更に追加対策を計画中という。直ぐ出来る事はやられていると思うが、それで住民や自治体が運転再開を了解するかここ四国でも成り行きは微妙だ。
3段階アプローチが雨で流れる
3週間前頃から帰京の準備を徐々に開始した。ところが今年の梅雨は雨が降り続き、手こずっている。雨間を狙って庭の手入れはほぼ終った。だが、畑は2-3日間続けて雨が止まないと土が乾かずトラクターで耕しても意味がない(と言われている)。この3週間は1日くらいしか雨が止まず、前回投稿した3段階の最初の段階にすら入れなかった。
一昨日決心して小雨混じりの夕方、傾斜地の小さい畑だけ鍬で耕した。もう時間がない、やらないよりましだと。まだ柔らかい土だから桑は簡単に入るけど、表土から20cm下から水が出てきた。畑の8割方残して暗くなり始めたのでギブアップ。昨日の朝も小雨だったが、午後から雨の天気予報を見てコスモスの種まきを強行した。
その後雨が本格的に降り始めた中、10坪もない家庭菜園をついでに耕して同じ種をまいた。3ヵ月後にどうなっているか全く予想がつかない。大草で廃墟みたいになった昨夏よりはマシにしたい。だが、広めの畑は何も出来なかった。私が帰京後の天気の良い日を待って、近所の専業農家の方に機械で耕してもらい、ついでに種まきもお願いすることにした。
挨拶を兼ねてお願いに行くと、母と同じ年配の老農婦二人が何か話していた。私が挨拶すると寂しくなる、特に夕方私の家の明りが見えなくなるのが寂しいと言われた。この二人は毎日のように農作業に出るので良く見かけ、私が田舎で最も多く会話する人達だ。私もそんな気分になったが、早く東京に戻り家族の元気な顔を見たいとも思った。■