昨年後半からの世界同時不況下で派遣切りなど雇用環境が悪化で、従業員を大切にして簡単に首を切らない雇用慣行が見直され、以前から導入されている成果主義が中々うまく行かない問題を含め日本的経営への回帰が話題になっている。その是非はともかく、日本的経営の職場環境とはどんなものか私の経験から論じてみたい。
揺れる日本的雇用慣行の振り子
90年代後半に三つの過剰の解消のため、日本企業は終に終身雇用と年功序列に代表される日本的雇用慣行に手をつけ、成果主義を導入しリストラを断行した。バブル破裂後あらゆる手を打ったが業績が改善せず、企業は最後の手段として雇用に手をつけた。国内外の経験から言うと当時の日本企業は極めて用心深く、決して安易な決断ではなかった。
というのも雇用慣行の変更は企業の共同体としての性格、即ち、母性社会的性格(河合隼雄氏)を変質させると予想したからだ。それ以前は運動会や職場旅行など仕事以外でも社員同士が濃密な関係で結ばれていた。結婚式も職場の上司や同僚が多数出席し、部長が来賓の挨拶をするといった具合に、職場以外の生活も会社の組織の延長であり市民としての意識は低かった。
ところが数年前から、世の中は逆方向の風が吹き始めた。特に昨年の世界同時不況以後、社員同士や上司とのウェットな関係はドライなものになり、上司は部下をどう指導するか迷い、入社3年内の社員の退社増加、成果主義が機能せず人事制度を見直した会社が報じられている。その端的な例として職場の上司が仲人の結婚式は殆どなくなったという。
世の中後戻りしているのだろうか。後戻りした世界がどういうものか私の経験を紹介する。
「会社ぐるみ」全開の時代
昭和40年代半ばに会社勤めを始めた頃は、水俣病や四日市などの工業地帯の大気汚染などが、経営者と従業員が一体となった会社ぐるみの社会的犯罪として糾弾を受けていた時代だった。この「会社ぐるみ」という言葉は、会社の利益を地域のそれに優先させ、市民の義務を果たさない会社員の姿を今でも連想させる。
もう一つ連想するのが「ぐるみ選挙」だ。ある企業は取引先を含めた従業員を動員して選挙運動し、議員を議会に送り込んで会社の利益を代弁させていた。この選挙スタイルを会社ぐるみの選挙といわれ、保守基盤を支える農村に対して会社勤めのサラリーマンと経営が連携して政治的意思表示するビーイクルとなっていた。
高度成長時代に入り会社と労働者は対立する関係から、連携して共通する利益を守る関係に代わって言った。それは労働組合が企業内組合であり、企業の共同体的性格を反映した「村」を守るための手段であった。公害やぐるみ選挙は批判に晒され見直されていったが、バブル崩壊、失われた10年を経て構造改革までは、下に説明するように本質に変わりは無かった。
会社中心の共同体
この様な時に倫理観を超越する会社への忠誠心は、その後指摘されているように会社組織が「家族」といわれ共同体的な性格を持っていたからだ。圧倒的多数の従業員が道徳よりも会社の利益を優先させた背景は、日本が基本的に母性社会であることを前提に、共同体を維持するため年功序列と終身雇用が右肩上がりの給与と雇用を保証したからだ。
当時、私が勤めた会社は少なくとも表立って公害は出さず政治活動もせず誇りに思ったものだ。他の会社に勤めて活動に動員された友人の話を聞きいていたからだ。だが50年代に入り会社は方針転換し、自治体の議会に会社を代弁する議員を送り込む決定をした。見掛け上は労働組合が立候補した組員を支援する形で、課長以上の管理職は直接には関わらなかった。
私は、主任係長職の組合員だったが、選挙運動は組合ではなく共同体に対する忠誠心テストだと理解した。組合が計画した日程に従って、告示前1-2ヶ月の週末に社員や取引先の自宅を戸別訪問し支持を依頼して回った。心の底では違和感があったが、表向きは何の疑問を呈することも無く、黙々と与えられた役割を果たした。
居心地の良い関係
付き合いの悪い私は仕事のあとまで同僚と付き合うのは積極的ではなかった。若い頃は飲み会は滅多に付き合わず、運動会の日はハイキングなどに行った。一泊二日の職場旅行は折角の週末の休みが潰れて気が重かった。しかし、幹事役が回ってきてバスやホテルを予約し数十人の旅行をプランし、限られた予算で無事旅行を終え最後に決算報告するのは、田舎出身の私には仕事以外の広範な知識が得られ本当に良い経験になった。
管理職になると提案や他の組織と横並び意識で、飲み会や職場旅行からゴルフ大会などを部下に企画させ、又、新人歓迎会のアトラクションや運動会などに積極的に参加していった。余り積極的でなかった私だが、やってみると社員や家族の人達が予想以上に楽しそうに参加し、私自身楽しんでいることに気が付いた。
私自身選択の余地は無いし、悩むことも無かった。結果的にこれらの活動が組織を束ねチームを効果的に機能させる手段として有効であると体験的に学んだ。しかも、私自身決して居心地が悪かったわけではなかった。振り返ると会社という共同体で終身雇用が保証されていたことが、この職場環境成立の前提の一つであったと感じる。
日本的経営のどこに戻るのか
今、日本的経営の雇用慣行が見直され議論されているのは、具体的にはこういう職場環境に戻ることをイメージしているのだろうか。終身雇用の持つ意味は何か、企業風土への効果など広義の考察が必要だと私は思う。同様に成果主義が機能しなかったのはやり方の問題であって、全てを放り投げることは出来ないと私は信じる。次回はその辺のところについて考察してみる。(つづく)■