かぶれの世界(新)

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悲しきデジャヴ

2009-07-02 18:25:23 | 国際・政治

麻生首相は1日閣僚の補充人事を発表した。この内容だけを取り上げれば、至極普通の人事だ。しかし、このところメディアを賑わしていた党役員人事を党内の反対で断念した、求心力の一層の低下が避けられない、というほうが新聞・テレビ報道にとって見ればニュースバリューがあった。

人事や重要政策の観測記事が飛び交い永田町が騒然となるが、その後首相は「そんなこと一言も言った覚えが無い」というインタビューが流れ落着する、メディアは同じ決まり文句「求心力の低下」と論評し次の話題・事件に移る。こんなパターンを繰り返し見せ付けられるとうんざりする。

仮に最終決定が上記の如く常識的なものであっても、その政治決定プロセスが余りにも稚拙だと失望してしまう。オバマ米国大統領は就任以来、国論が分かれる際どい政治的判断もしていると思うが、そのやり方は巧妙で多数派の支持を得る政治手法を心得ているように感じる。

麻生首相は来るべき衆院選に備えて選挙態勢を整えたかったようだが、最大派閥の町村派の反対にあって断念したと伝えられている。その人事の妥当性はさておき、私はかつて自民党の派閥政治が跋扈した時代を思い出した。

派閥の領袖が首相を選び、党の部会を通して政策を決定した。派閥の指示を受けて閣僚が反対し、伝家の宝刀の解散すら出来ないと報じられた事件を記憶している。今回は、弱小派閥の麻生派では最大派閥の反対にあうと手も足も出なかった。先祖帰りしたのか。

麻生内閣誕生の経緯から、支持率が10-20%台に低下した時はこうなるのは必然だった。麻生氏の資質はかなり最初から話題になったが、それをいうならそういう資質の人を選んでしまう自民党もしくは日本のリーダー決定プロセス、それを許す政治風土、が最大の問題だと考える。■

コメント
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