6月に頼んだ庭師がやっと来てくれて今朝から庭の手入れを開始してくれた。すっかり忘れていたが、先週末に母が電話で催促したからのようだ。すっかりボケたはずなのに庭や畑のことは妙に記憶力が良い。頼りにならない息子と思っているだろう。
何か刺激があるとスイッチが入ったように母の頭脳が回転し、自ら身体を動かし私に指図する。昨日の夕方は突然庭の草むしりをして上半身汗だらけになった。多分庭師が来るからだらしないと思われたくなかったのだろう。朝、東屋で朝食をとり新聞を読んでいると、庭師に出す缶コーヒーとお菓子を買ってこいという。
何の予定も無いので直ぐ自転車でスーパーに行き買い物をし、いつもの川沿いの道を帰った。途中支流が合流するところに水門があり、この近辺の川や鳥などの様子を見て季節の変わり目を感じる私の定点観測所がある。
6月に田舎に戻った時この水門とその先の堰近辺に十数匹の鯉を見つけた。近所の長老の話では鯉が産卵に上がってくる時期だと数年前聞いたことがある。ところが8月になったのにまだ鯉がうようよいる。一体どういうことだろう。もうとっくに産卵は終ったはずなのに。
この川は長宗我部氏が土佐から追われた時矢落川と命名されたという。幼い頃は底まで透けて見える流れに鮎、ハヤ、モロコなど清流にしか住まない魚がいて、毎日川遊びした。しかし今は川幅一杯に川藻で覆われている。かつて上流に養豚場があり排水を流して以来こうなったと言う。
水門の少し先の橋の上から川面を覗いている真っ黒に日焼けした農夫らしき老人を見かけた。田舎の言葉で「まだ鯉がおるの。もう産卵は終ったんじゃないんかい?」と聞くと、この鯉は1年中この辺に住み着いているという。
彼が言うには川藻が増えたのは水量が減ったからというが、50年前水遊びした頃もこの程度の水量だった気がする。私はやはり養豚場とか生活用水など汚水の為だと思う。いずれにしても水が淀んでいてここにいる鯉なぞ泥臭く、誰も獲って食べようという気にならないそうだ。
5日間くらい生簀(いけす)で飼ってドロをはかせば食えないかと聞いたが、今の鯉はそうする値打ちも無いらしい。スーパーで養殖の鯉を買ってきたほうがよっぽど手間隙かけず美味しい鯉が食えると言う。彼は鯉じゃなくてスッポンが浮いていないか見てたと言った。
と言うことでここは鯉の天国だ。そう思って改めて川面を見ると、川藻の上に乗っかるように背びれを水面から出して身体を大きく揺らしゆったりと泳いでいる鯉が何匹もいた。何の心配もなく悠然と泳いでいる。
昔だったら鯉にとってこんな危険な場所でいられるはずは無かった。水遊びする子供達のヤスの餌食になるか網にすくわれ、その日の夕方の食卓に上るか、運が良ければ数日たらいに飼われ同じ運命を辿ったことだろう。■