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言葉について(土井卓美)

2012年05月05日 12時36分38秒 | Weblog

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つい先日花と蘂が相半ばしていた窓の桜が陽光に美しい緑の葉を輝かせています。
降り注ぐ日差しを浴びながら雀たちが藁や枯れ草を咥えて営巣に励んでいます。
朝から文字通りの五月晴れとなって、薫風と新緑の中Gゴルフ(+喫茶)をして来ました。
この五月晴れは元々は陰暦の五月(さつき)の頃の雨即ち梅雨の晴間を意味する言葉でしたが、現在では梅雨前の陽暦五月のさわやかな好天の意味に使われるのが普通になっています。
誤用が定着して普通になってきている例はこの他にも一所懸命が一生懸命に、細君が妻君に、情緒(じょうしょ)が情緒(じょうちょ)に、発会(ほっかい)、発足(ほっそく)が発会(はっかい)発足(はっそく)というように枚挙に暇がありません。
我々の子供の頃には載っていなかったのに今では辞書にも明記されています。

時代と共に文字や表現が変っていくのは仕方のないことだとは思いますが全てが単調になったり、変な言葉が生み出されて一般的になるのはあまり気持のいいものではありません。
例えばTVのレポーターは何事につけても「スゴーイ」を連発し、若いタレントが「エーッ」と異口同音に驚きを表します。
ヒーローインタビューの「応援よろしくお願いします」の決まり文句も芸が無さ過ぎではないでしょうか。
今でもよく使われているかどうか知りませんが「関係ネー」、「ウザイ」等も頂けません。
英語の1人称が私(I)だけなのに対して日本語は僕、私をはじめ数え切れない位多様な表現があります。
情緒豊かな美しい日本語が出来るだけ長くその長所を保っていけるように願わずには居れません。