卒業式のシーズンも終わりに近くなりました。聞くところに依ると昨今の卒業式では殆どの学校で、蛍の光も仰げば尊しも歌わないそうです。
内容が現在にマッチしないのと、意味が分からないのが原因だそうです。
我が師の恩など死語に近いのだそうです。思えばいととしの意味が分かる人もいないようです。いと疾しと書けば少しは分かるのでしょうが、疾風以外にはこの早いという意味の字も使われることはないようです。
そういえば詩情あふれる童謡も忘れられつつあるようです。
兎が美味しいというのは極端にしても、兎を追うことは皆無の世の中だし、赤トンボも追われてではなく、おんぶされて(負われて)見ることもないようです。
木の実の落ちるお背戸(家のうしろ)と言っても何のこっちゃです。田圃や川の何処にでもいた目高は絶滅危惧種、菫や蓮華の花にささやきかけた小川は汚染されてしまいました。
私のではなく、渡しの船頭さんは今年60ですから未だ59ですが既に年をとったお爺さんです。ということはまだ若い積もりでも60代後半の我らの世代はどうなのか、レッキとした大お爺さんというところでしょうか、正に今昔の感ありです。
内容が現在にマッチしないのと、意味が分からないのが原因だそうです。
我が師の恩など死語に近いのだそうです。思えばいととしの意味が分かる人もいないようです。いと疾しと書けば少しは分かるのでしょうが、疾風以外にはこの早いという意味の字も使われることはないようです。
そういえば詩情あふれる童謡も忘れられつつあるようです。
兎が美味しいというのは極端にしても、兎を追うことは皆無の世の中だし、赤トンボも追われてではなく、おんぶされて(負われて)見ることもないようです。
木の実の落ちるお背戸(家のうしろ)と言っても何のこっちゃです。田圃や川の何処にでもいた目高は絶滅危惧種、菫や蓮華の花にささやきかけた小川は汚染されてしまいました。
私のではなく、渡しの船頭さんは今年60ですから未だ59ですが既に年をとったお爺さんです。ということはまだ若い積もりでも60代後半の我らの世代はどうなのか、レッキとした大お爺さんというところでしょうか、正に今昔の感ありです。