事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ローマ人の物語」 Res Gestae Populi Romani 塩野七生著 新潮社刊

2008-11-28 | 事務職員部報

410309614409 「オクタヴィあぬす!」
「ハドリあぬす!」
「トライあぬす!」
「マルクス・アウレリ……しまった、こいつはつかねー」

……馬鹿な田舎の高校生たちにとっては、神君アウグストゥスも五賢帝も単なる尻の穴あつかいだった。罰当たりな話。作家塩野七生が、ローマ帝国の興亡を15年間、一年に一冊のペースで描こうという壮大な試み「ローマ人の物語」はめでたく完結。版元の新潮社にとってもリスキーなチャレンジは見事に当たり、毎年ベストセラーリストにのっているのはご存知のとおり。

このシリーズがこれだけ受け入れられたのは、まずは授業の世界史と違って「面白い」からであり、同時に弱点もそこにあるのだと思う。「面白すぎる」のである。なにしろ登場人物はオールスター。スキピオ、ハンニバル、カエサル、キケロ、クレオパトラ、アグリッパ、ネロ、スパルタカス、加えて例のアヌス組が、塩野の思い入れたっぷりな筆致で描かれるのだ。面白くないわけがない。おまけに、背後にはいつもイエス=キリストの影があり、名も知らぬ悪女が皇帝を操ったりしている。わくわくである。

 でも、保守思想ゴリゴリで、平和ボケ日本の現状をイタリアから撃ち続ける塩野の歴史的人物の評価や叙述は、やはりちょっと恣意的にすぎる。「そりゃー結果論だろや」と突っ込みたくなる点が満載である。歴史の帰趨を人物に求めすぎていないか。英雄の叙述は確かに面白い。でも、それゆえにこぼれ落ちてしまう歴史的真実は多いはず。塩野がほぼ絶賛状態のカエサルよりも、高校時代から怜悧な行政執行者といったおもむきのオクタヴィアヌスのファンだった(本来のローマ帝国の中興の祖ってこいつじゃないか)わたしだからそう思うのかも知れないけれど。

だいたい、故事来歴を使って説教かまそうってヤツにろくなのはいないじゃない?

07年9月21日付事務職員部報「新財務システム⑦」より

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「作家の値段」 出久根達郎著 講談社刊

2008-11-27 | 事務職員部報

51bar8h0ywl  新刊書が売れないなかで、新古書店とよばれる業種だけは絶好調である。代表格ブックオフの値付けのシステムはすこぶる単純で「特A」(発行から三ヶ月以内の新刊→定価の10%)「A」(発行日から一年以内のもの→6%)「B」(本をきれいにする作業が必要な本→4%)「C」(汚れや紙焼けがある本→1%)「D」(廃棄処分)これだけ。

しかし、旧来からの古書店は違う。あの頑固な古本屋の親父たちの値付けこそ、作家・作品への第二の評価なのだ。後世に残すべき作品にはしかるべき値を付け、資料として用をなさない本には捨て値を付けてみせる。それが商売として成立している(悪書には悪書で希少価値を見つけて)現状はやはり豊かだといえるだろう。

古書店を営んでいた出久根は、そのあたりの事情を近代作家のてんこ盛りのエピソードとともに語ってみせる。吉屋信子の父親は足尾銅山の鉱毒問題のときに強制執行を行った郡長であり、田中正造が少女時代の吉屋のおかっぱ頭をなでたことがあるとか、極貧に沈んだ樋口一葉が、意外にはすっぱな女性であったこともこの書で知ることができる。

わたしが好きなのは「銭形平次」を著した野村胡堂の挿話。学費にこまって大学を中退した胡堂は、晩年に財団をつくり、苦学生を助けた。その財団の基金は、胡堂の奥さんの同僚教師の息子、井深大という若者がおこした東京通信工業の窮状を、胡堂が出資して助けたことによって得たもの。その会社こそ、今のソニーなのである。

07年9月28日付事務職員部報「日当③」より。

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過去の人

2008-11-27 | 事務職員部報

Abeshinzo01 2007年9月21日付事務職員部報「日当②」より。

この部報が職場に届いているときは、前首相のことなどすっかり忘れ去られているかもしれません。でも、「」は政治家として一種の典型でしたから、考察しておくのも必要な作業でしょう。
 いったい、彼に何が足りなかったのか。

「効率化を徹底し、メリハリをつけ、真に必要な教育予算は財源を確保したい」

「学校の事務処理の外部委託やボランティア活用も考えたい」

「優秀な教員を必要数確保するのは重要だ。一方で、行政改革推進も必要だ」

いずれも五月の彼の発言。首相の座をおりた人間の、過去の答弁として読むと、実は何も言っていないに等しいのがよくわかります。彼の答弁はまことに流暢でした。それは認めます。でも、それがこちらに響いてこないのは、それこそ壮絶に空虚だった前任者以上に内実がともなっていなかったからかも。

 今日(九月十八日)現在、次の首相が誰になるかは決定していませんが(まあ、福田なのでしょう)、広告代理店がしかけたに違いない街頭演説の様子などをみると、あの党に内実を求めること自体がむなしいことなのかと暗澹たる気持ちになります。有権者であるわたしたちの方に求められているのは、冷静に事態を見極める、それこそ選挙民としての内実ではないかと思います。逃げ出した彼を批判し、すっきりして済む話ではないのですから。

……まさか後任の福田まで一年で総理の座をほっぽり出すとは予想もしなかった07年の秋。いやはや。08年冬がこんな具合だと、いまの人の行く末にもどうやら暗雲が……

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09年正月興行を予想する!

2008-11-26 | 映画

Harrypotter6_1_2   予想する、つってもなあ。ほんとうなら今ごろ映画館では「ハリー・ポッターと謎のプリンス」が上映され、出来はどうあれ観客を集めまくっていたはず。次第に興行収入が低下したといっても前作は百億近く稼いでいたのだから。

 今年の洋画トップ「レッドクリフ」でも50億どまりだからハリーは映画界の希望の少年。ところが、配給のワーナーが今年の「ダークナイト」大ヒットの夢よもう一度と、公開予定を11月22日から来年の7月に延期してしまったのである。大騒動。

 あわてふためいた日本支社は代替作品を急きょ用意することになった。で、決定したのがリドリー(エイリアン)スコットが監督し、ディカプリオとラッセル・クロウが主演する「ボディ・オブ・ライズ」……誰もハリポタの代わりになるとは思っちゃいない。

※「ボディ・オブ・ライズ」はなぜか「ワールド・オブ・ライズ」に邦題変更。意味わからん。

興行収入だけ考えれば全世界(アメリカではさほどでもないが)でバカヒットしている007の新作「慰めの報酬」しかないだろうと思うのだがこちらはソニー。素人にはうかがい知れないオトナの事情でもあるのか、こちらは正月第二弾から動く気配もない。かといってアメリカで旋風をまきおこしている「トワイライト~初恋」は、日本では原作の認知度ゼロだから期待はできないもんね。結果として今年の正月興行はその「ボディ~」と「地球が静止する日」(キアヌ・リーブス)、そして「WALL・E / ウォーリー」(ピクサーのCGアニメ)が洋画代表。地味だー。

 対して邦画はパニックもの「252 / 生存者あり」と「私は貝になりたい」、そして「K-20 怪人二十面相・伝」「ゲゲゲの鬼太郎」「特命係長 只野仁」……いやはや。「252」は出来が壮絶に悪いらしいし、他のもなあ。唯一「三丁目の夕日」のスタッフが金城武を起用した(ってことは「リターナー」の雰囲気かな)「怪人~」が期待できるぐらいだ。去年の正月興行を制したのが愚作「アイ・アム・レジェンド」だった悪夢がまたしても。こりゃ、とても期待できる正月ではない。

N0012817_l  洋画の低迷が今年の映画界最大のニュースだった。シネコンの隆盛によって器はできても、肝心の作品がこんな状態では、邦画もふくめて復調はまだまだだろう。本気で心配してるのよ。ってことで今年はわたし「WALL・E/ウォーリー」と「怪人二十面相・伝」を観て、あとは寝正月っす。第一弾は「WALL・E/ウォーリー」以外はいずれも三十億に届かず、結局は「慰めの報酬」が制すると予想!

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国家の罠 PART3

2008-11-26 | 国際・政治

Satou6 PART2はこちら

外務省において主にインテリジェンス(諜報活動)を担当し、鈴木代議士(および外務省のある派閥)は四島一括返還から後退した意味で二島先行返還をかかげたわけではないとする佐藤の、なぜ鈴木は逮捕されたかの考察は二点にまとめられる。

・内政上の「公平配分モデル」から「傾斜配分モデル」への転換

小泉内閣治世下、官から民への権限委譲・規制緩和が進んだ。これは鈴木宗男に代表される『経済的に弱い地域の声を汲み上げ、政治に反映させて公平配分を担保する』タイプの政治家(利権型)を退場させ、『強者をもっと強くすることで機関車の役割を果たさせ、客車である弱者を牽引させる』タイプの政治家(強権型)が主流となることを意味する。この流れに鈴木は押し出された。

・外交上の「地政学的国際協調主義」から「排外主義的ナショナリズム」への転換

橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の三総理は、排外主義が国益を毀損することを理解していた。しかし小泉総理となって(より過激な主張がより正しいとされる)ナショナリズムに外交指針がぶれ、二島返還論の象徴としての鈴木宗男はこの意味でも排除された。

……説得力がある。日本の外交が排外的、愛国的になったことで北朝鮮問題は泥沼化するであろうと小泉訪朝の段階で佐藤は既に指摘しているし。橋本、小渕はともかく、清和会の森喜朗にそれだけの頭があったかは疑問だけど。

 しかしこの鈴木宗男騒動において、国策捜査を行った側にとって最も計算違いだったのは、この佐藤という外交官の存在だったろう。彼は五百数十日に及ぶ勾留の間、取り調べ、裁判に臨むと同時に独房のなかで哲学を学習し、出獄後「国家の罠」「獄中記」の出版、そしてベストセラー化という形で一種の逆襲に転じたのだ。外務省のラスプーチンとマスコミから、世間から唾棄された男の内面が、まさしくキリスト者だったことの意外さと、狂的とすら思える学習意欲こそが、この男を歴史に残すはず。その意味で必読。

 しかしね、やっぱり官僚を“恫喝”して操ろうというムネオ手法には、役人のひとりとして嫌悪は感じる。鈴木宗男が、これから政界でどんな存在となっていくのか、“遠くから”(入れ込まないでね)見ておこうとだけ、最後に書き添えておく。

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国家の罠 PART2

2008-11-26 | 国際・政治

Kokkanowana01_2  PART1はこちら

 今回のテキストは鈴木宗男とのからみで「背任」と「偽計業務妨害」というわけのわからない罪状で逮捕された、ノンキャリア外交官である佐藤優の「国家の罠」(新潮社)および「獄中記」(岩波書店)。だから鈴木サイドの言い分ではないか、とある程度割り引いて聞いてもらう必要はあるかも。

 佐藤によれば、外相時代に職員から陰で「ばあさん」と呼ばれ、なによりも秘密が守れないトップであることで忌避され続けた真紀子は、外務省における鈴木宗男の影響力にいらついていた。背景にあったのは……

・かつて鉄の結束を誇った田中派を、竹下登が角栄を裏切る形で(と真紀子は信じている)乗っ取ったことに対する私怨(鈴木宗男の国会議員への道を開いたのは金丸信であり、野中広務を尊敬していると広言してはばからない)。

・角栄の首相時代(73年)、ブレジネフとの首脳会談で日ソ共同声明が発表され、角栄がブレジネフに「(声明にある)未解決の諸問題には北方四島問題が含まれるか」と念を押したところ、ブレジネフは「ダー、ダー(そうだ、そうだ)」と答えた。しかしその後、冷戦の継続からこの事実はソ連から否定される。真紀子がこの会談を日露関係の基礎にすると主張したことで、ロシア側に警戒感が生まれたと外務省のある派閥が判断し、その派閥こそが鈴木宗男を後ろ盾としていた事実。

などがあった。ちなみに、この外務省を真紀子は伏魔殿と呼んだが、なかなかに興味深い組織なので紹介しておこう。
 外務省には、いわゆる学閥は存在しない。代わりに「スクール」と呼ばれる研修語学別の派閥が存在する。大別して

・アメリカスクール(英米派)
・チャイナスクール(中国派)
・ジャーマンスクール(ドイツ派)
・ロシアスクール(ロシア派)

となっている。ちなみに、加藤紘一はもちろんチャイナスクール。なにしろ外交官時代に香港副領事だったしね。それぞれのスクールは一枚岩ではなく、入り乱れた派閥の抗争が鈴木宗男逮捕、田中真紀子更迭の裏にはあったと佐藤は主張している。以下次号

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国家の罠 PART1

2008-11-25 | 国際・政治

Suzukimuneo02 「反省PART2」はこちら

 ここでクイズ。現在「新党大地」代表として国会に復帰した鈴木宗男は、かつて何の罪で逮捕されたのでしょうか?

 あのころ(02年)、「ムネオハウス」「(田中)真紀子との確執」「疑惑の総合商社」などとマスコミを騒がせ、バッシングを受けた彼が、実際に何をしたか具体的におぼえている人は多くないのではないかと思う。少なくともわたしは、上記のフレーズでしか思い出せないのに極悪人のイメージがぬぐえないでいる……それほどに、当時は日本中が彼を感情的に叩きまくっていたのだ。

 で、クイズの正解は「斡旋収賄罪」「受託収賄罪」「議員証言法違反」「政治資金規正法」

 検証してみよう。まず「ムネオハウス」。誰もこの名前でしか認識していないが正式名称は「日本人とロシア人の友好の家」。いかにも悪徳がつまったような通り名に誤解されがちだけれど、実際のムネオハウスは、ほとんどプレハブに毛が生えた程度のしろものだ(それでも国後島の他の建物よりは立派だというのが泣かせる)。だからここで鈴木に金が流れることがあったとして、はたしてどれだけの額が?量刑として戦後日本の政治家における最長の勾留が必要なほどだったのか?

 田中真紀子との件は、時間が経っただけにわかりやすい構図になっている。かつて小泉純一郎を首相にすえる推進力となり、世間で圧倒的な人気を誇った真紀子と、外務省内に隠然たる勢力が存在した鈴木の衝突は必然だった。特定のNGOを排除したかどうか、こんな問題が些末なのは、当事者たちも十分承知していたはず。

 とにかく、この激突は面白すぎた。

・“お公家さん”の集合体である外務省は、たたき上げの鈴木宗男の“恫喝”に屈し、同時に“政治力”を利用した。
・人間には「家族」か「敵」か「使用人」しかいないというポリシーの真紀子は、「家族」である田中角栄の対中、対露外交を踏襲することを第一義としていた。

……こりゃ、ぶつかるわな。後述する北方領土の四島一括返還二島先行返還論の確執もあったし。おまけに当時の真紀子のエピソードがすごい。

・自分の指輪の紛失を「使用人」である秘書官の責任にして買いに行かせ、公務に遅刻した。
・アーミテージとの会談をたいした理由もないのにドタキャンした。
・同時多発テロの際に、米国務省職員の避難先を記者に話した。
特に最後の部分は真紀子の危機管理能力のなさを示すもので……以下次号

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「反省~私たちはなぜ失敗したのか」PART2

2008-11-25 | 国際・政治

Suzukimuneo01 PART1はこちら

佐藤:当時の外務省のように能力のない者が課長をやっていれば、企画立案ができない状況で、外交ができないですから、秩序は乱れて当然なんです。そこのところでヤキモチに恐怖感がプラスされたから、大きな力になったと思います。私と一緒に仕事をしている連中のなかで幼稚園みたいなことが起きたんですよ。手帳がなくなっちゃうとかノートがなくなっちゃうとかね。

……実は男の方がヤキモチ焼きで、そのやり口も陰惨であることはよく知られている。霞ヶ関のなかで財務省とならんで最もプライドが高い(と言われている)外務省だからこそ、こんな事例は多いのだろう。学校がそんな悪徳と無縁であればいいのだけれど。その霞ヶ関ではこんな常識が……

佐藤:ひと昔前の霞ヶ関では「自殺の大蔵、汚職の通産、そして不倫の外務」といった。ところが今や外務省こそが「自殺者、汚職、不倫の三冠王」です。画期的な事件が、競馬ウマを飼っておられた松尾克俊さんの事件。彼がつまんだおカネは、表に出ただけで5億円はあったんじゃないか。

……出た。松尾克俊。まもなく出所する彼のことは、外務省が必死で守るはずだと2人は読んでいる。彼がすべてを話したら、現在の外務省は吹っ飛んでしまうだろうから。その、松尾とは……

佐藤:彼は最初、外務省のなかで評判がよかったんです。本当に仕事に打ち込むタイプで、高卒の初級職員だけど外交実務のことをいろいろ勉強した。部下たちの面倒見もよく、自腹を切って焼鳥屋とか分相応のところで食わせていた。(略)自分のカネを注ぎ込んでも仕事をするという病気の人が、外務省にはときどきいるんです。自腹を切るのは立派なことだという風潮がある。私は、逮捕され、檻に入ってから、そのようなかたちの滅私奉公が間違っていたことに気づいたんです。
Satoyu01  確かに、「私」のおカネを「公」のところに使うのは、誰からも文句は出ない。しかし、論理的に考えると、実は公私の線を越えているんですよ。逆向きの公私混同ですから、どこか浸透膜がおかしくなっちゃう。そのうちに公金がたくさん入ってくると、かつて私の線を越えたから、少し返してもらっても文句なかろうとなる。

……完璧に正しいと思う。学校徴収金を立て替えることを、自ら厳に戒めているのは、わたしもこんな傾向があるのを如実に感じるから。まあ、学校事務職員に多額の公金が降りそそぐことはめったにないわけだが。いや、なりふり構わなければあり得るわけだ。そんな事例、後を絶たないからなあ。反省反省。

神学者としての、そして国際政治を語る人間として佐藤(彼はまだ外務省の職員だ!)の評価はうなぎのぼり。検察とマスコミへの復讐戦は、着々と勝利への道を歩んでいる。

国家の罠につづく!

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「反省~私たちはなぜ失敗したのか」

2008-11-25 | 国際・政治

20080220_478925 結局、鈴木宗男のいったい何が悪かったのだろう。田中真紀子との確執、ムネオハウス、小狡そうなルックス、いかにもプチ田中角栄な政治手法?……“あの頃”の狂騒が過ぎてしまえば、どうもよくわからないのが正直なところではないだろうか。

 鈴木と、彼と同時に世間に糾弾された外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優(意外なことに神学者でもある)の共著である「反省~私たちはなぜ失敗したのか」は、反省の名を借りて(およそ反省なんてしていない)、外務省、検察、マスコミ、そして国民への呪詛を叩きつけた書。彼らでなければ語れないエピソードがてんこ盛りなので紹介しよう。

鈴木(宗男):東京拘置所でとれる新聞は朝日か読売、どっちかの選択ですから。
佐藤(優):とれたんですか?わたしは「極悪人」だから、新聞はダメだと言われた。半年たったところで、弁護士が差し入れる「日刊スポーツ」だけOKとなりました。わたしはスポーツに関心がないので、芸能欄と社会面だけ読んでいました、だから当時、連日話題になっていた「タマちゃん」についてはとても詳しくなりました(笑)。
鈴木:私は捜査が終わってから、ちょうど拘留3ヶ月後には新聞をとれましたよ。スポーツ紙もとりました。「日刊スポーツ」の指定でしたね。

……被疑者に新聞を読ませないというのは法律的にどうなのだろう。スポーツ紙が日刊スポーツだけというのは、東京拘置所に宅配する新聞店がASAだから?(笑)

鈴木:小泉政権のときは、情報について非常にきちんとコントロールされていたと思います。なかには鈴木宗男をパージしたいと思う人もいるわけです。すると情報を持っている権力側は、ある情報は出しある情報は伏せというコントロールをして、マスコミを動かす。
 政権中枢にいてそれをやったのは、私は当時官房長官だった福田康夫さんだったと思っています。もう総理になることもないから、名前を出していいかと思うけれども。

……この本の発行は2007年6月19日。福田総理の目はないとふんだ鈴木の読みは大外れだったわけだ。このあたりも反省材料ですかね。

佐藤:鈴木さんは、(政治部)記者のオフレコメモを定期的に郵便で送ってもらうようなシステムを作っていませんでした?オフレコのメモというのは、政治家のコミュニケーションの裏のやりとりに大活躍するんですよね。政治家が記者たちに語るオフレコ話が、いかにスカスカで筒抜けかという証左でもある。
鈴木:ありました、ありました。お小遣いも少し渡していました。今となっては深く反省しています。

……驚愕の事実。こんなことで驚いていてはいけない世界なのだろうか。政治家と新聞記者の関係性、記者クラブという存在、そしてぶら下がり、夜討ち朝駆けの訪問などの取材方法など、やはりマスコミには問題てんこ盛りだ。PART2に続きます。

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東映京都撮影所 PART2

2008-11-24 | 芸能ネタ

Jinseigekijoh PART1はこちら

 東映京都撮影所が独特なのは、かつての時代劇全盛、日本映画全盛のころに、徹底的にスター中心の撮影システムを採り入れたからだ。片岡千恵蔵が「山の御大」(京都の山の手に住んでいたから)、市川右太衛門が「北大路の御大」(同じく、北大路に住んでいたから。息子の欣也の芸名はここから来ている)と呼ばれ、この両巨頭の権威は絶対的。おかげで中村錦之助はいつまでも「」と呼ばれるハメになった。その若が、「柳生一族の陰謀」で13年ぶりに東映京都撮影所に帰ってきたときは、入口に撮影所長以下二百名が総出でお迎えをするという徹底ぶり。なんか、すごく異常な世界。

 そのプライドは他者を排除する方向にどうしても向かってしまう。松竹の女優だった松坂慶子が「人生劇場」(‘83)に出演したときの“結髪”と呼ばれるスタッフとのエピソード……

「前髪をもう少し小さくしてください」と松坂さん。
出来まへん
「何で!?半分にしてって言ってるんじゃないの。ほんの少しだけって言ってるの」
「そんなことしたら先輩らに笑われますわ。この時代の前髪の大きさは、もっと大きいんですわ。これでも小さい方どす」
「わたしは額が小さい方だから、こんな大きな前髪だと、ますます額が狭く見えて嫌なの」
「この時代の娘さんらは額を小そうに小そうに見せようと思てたんどす」
「それは解ります。でも私には似合わないんだから」

女優・松坂慶子さんと、結髪の部屋頭・白鳥さんとの対決である。

「ほんの少し前髪を小さくするくらい、何でここでは出来ないんですか」
「そう、ここでは出来まへん。ここは松竹とは違います。東映京都どす。ここにはここの遣り方がおます」
深作欣二監督までやってきて「大正時代のお袖(慶子さんの役名)じゃないんだ。松坂慶子さんのお袖なんだから彼女が納得できて、似合うようにしてください」

撮影現場では水戸弁でまくしたてる監督が、解りやすい標準語で諄々と説く。一言も発せず黙って聞いていた白鳥さん。すっと立ち上がると慶子さんに近づき手早く鬘を頭からはずし、それを檜で出来た鬘台に被せて作業を始めた。直してくれるんだ。一同ほっと胸をなでおろした次の瞬間。白鳥さん、鬼の形相で元結を鋏で次から次へと切っていく。綺麗に結い上げられていた七分の鬘はザンバラ。周りを取り巻く一同に衝撃が走った。何ていうことをしてくれたんだ……

……こっわー。いまや「篤姫」で怖いところを見せる松坂慶子相手に、こりゃたいしたツッパリだ。しかしお分かりだろうか。東映京都撮影所が異色なのは、そのまま京都という街の異色さなのだと。少なくともわたしは、京都をそんな街だと思てたんどす。迷惑?

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