事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「戦争と人間 第二部 愛と哀しみの山河」

2018-07-25 | 港座

第一部はこちら

伍代家サーガ第二弾。前作でまだ子どもだった二男の俊介とその友人の吉田が、それぞれ成長して中村勘九郎→北大路欣也、吉田次昭→山本圭(山本学とともに、山本薩夫監督の甥です)で登場。

財閥の御曹司である北大路欣也の恋愛と、プロレタリアートとして特高の拷問に苦しむ山本の物語が縦軸。そこへ、共産軍と連携する朝鮮人、徐在林(地井武男)がからむ。

まだ国共合作が成立していないので、蒋介石の国民党軍と毛沢東・周恩来の共産軍は反目し合っている。そして同じ共産軍でも、朝鮮人であるがゆえに中国人と一枚岩になれず、徐在林は暴走する。ああこういうことってあったんだろうなあ。

山内明が演じる石原莞爾(鶴岡出身)は関東軍の突出をいさめるが、当の関東軍から「最初に突出したのはあなたじゃないですか」と突っこまれて苦い顔をする。ま、それは確かに。

北大路欣也は、兄(高橋悦史)が婚約を破棄し、愛してもいない男(西村晃)と結婚している温子を思慕している。温子もその気持ちに……

いやもうこの温子を演じる佐久間良子が笑ってしまうくらい「よろめく人妻」で、激しく魅力的。欣也でなくてもメロメロになるはずだ。抱きしめられるたびに「いけないわ」とつぶやき、しかし眼はうるみ、身体をよじって……この作品の佐久間良子はほんとうにすごいです。あまりに妖艶なので、可憐な吉永小百合、毅然とした浅丘ルリ子がかすんでしまう。

思想犯への特高の残虐さが連続して描かれる。その図式的な部分をネトウヨは冷笑する。でもそうだろうか。当時の官僚も官憲も、よかれと思って、つまり上を忖度してやっていたんだろう。彼らは自分が悪いことをしているとは微塵も考えていない。その凡庸さが……あ、ハンナ・アーレントの名言が思い起こされる。

「悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る。」

こういう映画ってさすがに近ごろつくられない。確かに、一種の無邪気さはある。でも意義ある作品だったと思う。少なくとも、映像として、ドラマとしてこういうお話は語られるべきだ。そして、それを活劇として描いた山本薩夫はさすがだと思う。

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「戦争と人間 第一部 運命の序曲」

2018-07-24 | 港座

70年代初頭。ほとんど息も絶え絶えだった日活が、いったいどうしてまたこれだけの大作を製作できたのか。小学生のとき、バスにでかでかと派手なポスターが貼ってあったのも覚えているくらい、宣伝も気合いが入っていたのだ。

原作は五味川純平。関東軍の突出と陸軍上層部との軋轢、その経済的背景が書き込まれていることがうかがえます。映画化したのが、既にクミアイが主導権を握りはじめた日活だったことと、監督が旧左翼の重鎮、山本薩夫なのでいかにも左がかったお話になっている。

そのせいでネットでは罵倒の嵐だったりする。でも、とにかくめちゃめちゃに面白いんですよ。やっぱり山本薩夫は活劇体質の人なんだなあ。どう撮っても面白くなってしまうあたり、さすがです。

物語の中心に、新興財閥の伍代家をもってきたのがうまい。三井や住友のような老舗らしい保守的な商売をしていては埋没してしまうので、当主(滝沢修)の弟(芦田伸介)は軍と結託して、というよりむしろ軍を焚きつけて満州進出へ誘導する。

芦田伸介、三國連太郎高橋悦史(長男)が悪役で、かつ好戦的(三國はちょっと色合いが違うけれど)。加藤剛高橋幸治二谷英明が善玉で厭戦的という図式的すぎるぐらいに図式的なのも、時代背景が複雑だから仕方がない……というか山本薩夫の映画はいつもそんな感じだったような気もします(笑)。

浅丘ルリ子高橋英樹石原裕次郎、二谷英明という日活どまんなかのキャストに新劇組を加えて豪華絢爛。ほとんど必然性もないのに女性の裸がやけに出てくるあたりも、なんか日活っぽい。活劇。

第二部につづく

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「海と毒薬」(1986 ヘラルド)

2017-07-08 | 港座

終戦直前に北九州で実際にあった米兵生体解剖事件がモデルになっている。原作は遠藤周作。“海”と“毒薬”が何をシンボライズしているか、きっと読者は生と死、神の存在と不在をからめて考えるようになっているんだと思います(未読です。すみません)。

大学病院に勤務する若き医師に奥田瑛二渡辺謙。良心の呵責に苦しむ勝呂に奥田、なぜ自分は罪を感じないのかといぶかる戸田に渡辺。きっと今なら逆のキャスティングになるでしょう。

DVDの特典映像では、トレンディドラマでブレイクし、いい気になっていた自分を、徹底的に覚醒させてくれた作品だと監督の熊井啓との対談で奥田は吐露しています。

禁断の生体解剖を行う医師、看護婦たちの、それぞれの事情や動機が、進駐軍の将校(岡田眞澄)の尋問によってあらわになっていく。

執刀する橋本教授は、学内の権力闘争に敗れつつあり、乾坤一擲の機会をうかがっていた。そのあせりが軍部の要請を受け入れる結果につながる。演じているのは田村高広。もちろんこれは、同じように派閥争いを描いた「白い巨塔」において、ひとり良心的な医師・里見を田村が演じたことを意識して起用したのだと思います。ダークサイド・オブ・ザ・白い巨塔ってところですか。巨塔もだいぶ黒いですけど。

脇に成田三樹夫、西田健、岸田今日子、根岸季衣、神山繁。彼らがいることの豊潤を思う。特に、戦前の看護婦がどれだけ医者に虐げられ、同時に看護婦が医師を盲目的に尊敬していたかの描写がむしろ怖いくらいだ。

熊井啓の演出はまことに細かい。病院で死ななかったら空襲で死んでしまう時代におけるモラルとは何かを問う傑作。監督補はなんと原一男(「ゆきゆきて、神軍」の監督。「シン・ゴジラ」では学者のひとりを演じていましたよ)でした。

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「太陽を盗んだ男」ふたたび。

2017-06-07 | 港座

「太陽を盗んだ男」映像証言NO1

すでに一度特集しているけれど、再見したらやはりめちゃめちゃ面白かったのでふたたび。

ご存じのように、この作品は今や「撮らずの巨匠」として有名になってしまった長谷川和彦監督作品。彼はデビュー作「青春の殺人者」、そしてこの「太陽を盗んだ男」の2本しか監督していない。

「青春の殺人者」(主演水谷豊、原田美枝子)をATG(解説がめんどくさいので検索してください)で撮っていきなりキネ旬ベストワン。くわえて、助監督時代に多くの映画人から愛されていたこともあって次がいきなりメジャー東宝の番線一本立て。いかに期待されていたかがわかる。主演は沢田研二と菅原文太。水谷豊と西田敏行がいい味を見せてからむ。豪華キャストである。

ただし、ネタは危ない。理科教師が原爆を自作し、あまつさえ……な話ですから。結果的に興行はふるわず、ソフトも廃盤になって長い間カルト扱いされることになった。

久しぶりに見て気づいたのは、作品全体がおおらかなユーモアで包まれていたことだ。脚本にレナード・シュレイダーがかんでいたことも、アメリカ映画の匂いがする要因だろうか。

皇居前のバスジャック(伊藤雄之助が最高)、プルトニウム収奪、原爆奪還といったアクションのつるべ打ちを、わくわくするようなリズムで撮りきった長谷川和彦の実力はやはり本物。

長谷川本人の特別出演(電車で新聞を広げています)、過激派の写真はなんと今をときめく黒沢清監督のもの(スタッフで参加していたようだ)。アナウンサー役はお決まりの林美雄。戸川京子と森達也の名もエンドロールにあったけれど確認できませんでした。

要するに長谷川がなにかとんでもない映画を撮っているということで、くせ者たちが集合したということだろう。その意味でも贅沢きわまりない作品だ。助監督は相米慎二。井上尭之の音楽も最高。カルメン・マキ&OZがこんなにフューチャーされてたっけとうれしくなる。

オープニングの沢田研二の出勤シーン(すげーおしゃれ)だけでも見ようと思ったら、やはり最後まで見ることになりました。堪能した。ぜひぜひぜひ!

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「妻は告白する」 (1961 大映)

2016-11-21 | 港座

北穂高の岩壁で、三人の男女が一本のザイルでつながっている。いちばん上にいる若い男は製薬会社に勤務する幸田(川口浩)、いちばん下の初老の男は大学助教授の滝川(小沢栄太郎)。そして男ふたりにはさまれているのは滝川の妻、彩子(若尾文子)だ。ふたりの体重をささえて幸田の腕は限界に近い。彼女は夫とつながるザイルを切り、生きのびる。

世間は騒然とする。滝川の死によって彩子は500万円の保険金を受け取ることがわかったからだ。はたして彼女は保険金と、好意を寄せる幸田の双方を手に入れるために夫を殺した悪女なのか……

裁判の行方とこれまでの彩子の過去がカットバックされる。貧しかった彼女は、ほぼ強姦されるように滝川の妻にされ、愛のない生活に疲れ果てている……

彼女の心がどのようなものだったかを、裁判とともに明らかにしていくストーリーだと思っていた。ところがところが、意外な結末が待っていて驚く。

要するにこれは監督の増村保造による、若尾文子をどう美しく(そして怖ろしく)見せるかの実験映画のようなものだったのだろう。

幸田の会社に(いくら雨が降っているとはいっても)ずぶ濡れのまま訪れ、ある行動をする彼女は、よく考えてみれば非常識きわまりない。思いつめ、身体中が濡れている彼女の姿は要するに狂気の具現化だ。

その狂気があまりに美しすぎるので、このドラマでいちばん悪いのはいったい誰なのか、観客はわけがわからなくなる。それまで、庶民のアイドルとしてしか認識されていなかった女優の、突然の変貌がなければおよそ納得できなかったかもしれない結末。若尾文子おそるべし。

増村保造はその後、“大映テレビ”のエース監督として「赤いシリーズ」「不良少女とよばれて」「スチュワーデス物語」などで活躍するんだけど、クレイジーな展開は共通でも、若尾文子の狂気とは、質も美しさも違っていたなあ……

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成田三樹夫。

2016-10-27 | 港座

成田三樹夫……稀代の悪役俳優にしてインテリ、そして反骨の男。

スクリーンに登場しただけでそのすべてをさらってしまう存在感は比類がありません。「仁義なき戦い」「兵隊やくざ」など、一時期の東映や大映は、彼なしにはラインナップを維持できなかったでしょう。

80年代以降はコミカルな味もにじみ出て、その結実が「柳生一族の陰謀」における、公家でありながら壮絶な剣の遣い手、烏丸少将文麿でした。そんな成田はご存知のように酒田出身です(中学高校と歌手の岸洋子と同期)。東大理学部に入学するも「学風が合わない」と酒田に帰ってくるあたり、いかにもという感じ。

かつて彼も通ったであろう港座で、彼の特集をお送りできるのはわたしたちにとって大きな喜びです。映画鑑賞券付き前売券は1000円。当日券は1200円となっています。チケット取扱いは清水屋および台町日吉振興会加盟店、お問い合わせは090-6458-3449岩本までお願いします。

FM山形「シネマアライブ」パーソナリティ、荒井幸博氏による映画トークも予定されていますのでお楽しみに。

成田三樹夫。1990年4月9日没。享年、55。

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酒田台町夜の文化祭 成田三樹夫の世界。

2016-10-26 | 港座

酒田台町夜の文化祭でございますよっ。
上のポスターのとおりでございますっ。
来てね!
飲むぞ見るぞおれは。

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「ガントレット」 The Gauntlet (1977 WB)

2016-10-05 | 港座

イーストウッドの映画は、オープニングからわくわくさせてくれる。観客をうまくのせる呼吸をこの人は生得しているのだろう。

「ガントレット」も憎いぐらいうまい。アリゾナ州フェニックスの夜明け。バーで目覚めたベン・ショックリーは酔ったまま車に乗りこみ、職場に向かう。降りた場所は警察。ベンは刑事だったのである。

しかしこの刑事は車を降りるときにウィスキーのボトルを落として割ってしまい、同僚に「ひげを剃れ、ネクタイをきちんとしろ」と説教される。上司に呼びつけられ、ラスベガスに行って裁判の証人を連れて来いと命じられ……ここまでを一気に描く。うまいなあ。

だらしない刑事役なのは、イーストウッドはこのころ、ダーティハリーのシリーズ化に成功し、監督としても「アウトロー」などで自信を深めていたために役柄を広げようとしたのか。

ちょっと違うみたいだ。

この映画のタイトルは、二列に並んだ兵士の間を、両側からムチで打たれながら走り抜ける軍隊の刑罰を意味している。最後まで駆け抜けることができれば、許されることもあるらしい。

なぜこのタイトルになったかといえば、その証人(「アウトロー」でイーストウッドとできてしまったソンドラ・ロック)をフェニックスまで連れ帰れるかが賭けの対象になっており、賭け率(ふたりの生存率でもある)は1対100まで跳ね上がる。つまり、ショックリーはなめられているのだし、自分が無能だと思われているから護送役に選ばれたのだと知る。

要するにハリー・キャラハンのように強力な人間であっては都合が悪いし、ガントレット(メインストリートを走るバスに両側から弾丸が雨あられのように浴びせられる)を経過することで人間として変わっていくことを描く余地が必要だったのだ。

公開当時は批評家にボロクソに言われてました。あんなに撃たれたのにバスが動くのはありえないとか。違うんだよなあ。ふたりの成長の過程を示すためにバスはゆっくりと動くのだし、弾丸はふたりの恋愛の成就を象徴するライスシャワーのようなものなのに。

わたし好みのソンドラ・ロックは、この映画でも盛大に脱いでくれているのでうれしいです。苦い大人の恋愛を描くには、あのヌードは絶対に必要でしたもんね。

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「清作の妻」 (1965 大映)

2016-06-22 | 港座

構図として、きわめてわかりやすい映画だ。

時は明治。貧困のために呉服屋の隠居(殿山泰司!)の妾となっているおかね(若尾文子)は、その境遇に苦しんでいる。しかしある日、隠居が急死し、息子夫婦から手切れ金(かなりの高額)を渡されて縁を切られたおかねは、母とともに生まれた村に帰る。しかし村人は老人の慰み者になっていた(と同時に金持ちになっている)彼女を蔑み、村八分にする。

その村へ、戦功を立てた模範青年である清作(田村高廣)も帰ってくる。彼は軍隊で貯めた金で鐘を買い、毎朝打って起床の合図とする。彼がめざすのは、勤勉でお国のために尽くす村だ。

この、いらつくほど模範的な軍国青年がおかねとできてしまう。まわりの反対をおし切ってふたりは同居を始め、厭世的だったおかねは“生活”を始める。そして日露開戦。ふたたび戦場へ赴く清作をおかねは……

春琴抄の逆バージョン、といえばネタバレになってしまい、阿部定の日露バージョンといえば誤解されそう。おかねは清作の眼をつぶすことで彼を守るが、清作は怒り狂う。鐘をみずからうち捨てた清作は、牢獄から帰ってきたおかねを……。

村はもちろん軍国の象徴で、鐘は健全であることで逆に差別を呼ぶ世間をシンボライズしているのだろう。ふたりで生きていくことを決めたラスト、必死で畑を耕すおかねと、見えない眼で愛する彼女を見やる清作に笑顔はない。このあたりの渋みはいい。

この映画がしかし名画たりえているのは、わかりやすい構図をぶちやぶる凄味が若尾文子にあるからだ。

年寄りによって身体だけは女になってしまったおかねが、模範青年と関係をもつあたりの緊張感は、妖艶さと幼さを同時に演ずることができる若尾文子しか達成できなかったのではないか。再ブーム納得。すごい女優だなあ。もちろん、増村保造の演出もおみごとなのだけれど。

あ、それからこの映画には、頭の弱い親戚という役で小沢昭一が出ているんですけど、それ、絶対にわかんないと思います。あれが小沢昭一ぃ?(笑)

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コンドルは傑作だPART7

2016-06-06 | 港座

THREE DAYS OF THE CONDOR (Masters of Cinema) Original Theatrical Trailer

PART6はこちら

くどいようだけれども、朝のフェイ・ダナウェイの美しいこと!そこへふたたび郵便配達人が急襲。キャシー(写真家らしい手段で)とコンドルはなんとか撃退する。もう、こちらから反撃するしか手はない。コンドルはキャシーの助けを得て、CIA内部を探る……

「コンドル」が傑作たりえた要因はいくつかある。

1 脚本が圧倒的によくできている。書いたのはロレンツォ・センプル・ジュニア。70年代の彼は絶好調で、ほかにも「パララックス・ヴュー」「新・動く標的」など、シャープな脚本をいくつも書いている。まあ、これもくどいようだけれども「キングコング」でちょっとしくじっちゃったんですけど。

2 この脚本はすでに教科書あつかい。だから四十年近くたってから、「ウィンター・ソルジャー」の製作陣が「コンドルのような作品にしたかった」と語るぐらいなのだろう。ロバート・レッドフォードがあの作品に登場したのは、だから必然。

3 CIA内部に、もうひとつのCIA的存在があり、その組織の作戦がコンドルの報告と酷似していたというアイデアは、実はジョン・グリシャムが「ペリカン文書」でいただいていて、ためにグリシャムは作中で「コンドル」へのリスペクトを挿入している件は前にもお伝えしたとおり。エスピオナージュ映画にとって、魅力的な展開だ。

4 レッドフォードといえば、反骨、反体制の人。彼はCIAをある手段で告発するが、しかしそれは確実ではないというラストは、苦味のあるアメリカンニューシネマの残像そのもの。

5 組織にひきずられるコンドルたちと、フリーランスの殺し屋の対比がすばらしい。彼はコンドルがいずれ組織によって抹殺されると予言し(その予言がラストで効いてくる)、むしろヨーロッパで自分のようにならないかとスカウトまでするのだ。

「(殺し屋の生活は)静謐で、平和だ」

「アメリカを離れられない」

……いいですなあ。まさしく、傑作ですコンドル。

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