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東映京都撮影所が独特なのは、かつての時代劇全盛、日本映画全盛のころに、徹底的にスター中心の撮影システムを採り入れたからだ。片岡千恵蔵が「山の御大」(京都の山の手に住んでいたから)、市川右太衛門が「北大路の御大」(同じく、北大路に住んでいたから。息子の欣也の芸名はここから来ている)と呼ばれ、この両巨頭の権威は絶対的。おかげで中村錦之助はいつまでも「若」と呼ばれるハメになった。その若が、「柳生一族の陰謀」で13年ぶりに東映京都撮影所に帰ってきたときは、入口に撮影所長以下二百名が総出でお迎えをするという徹底ぶり。なんか、すごく異常な世界。
そのプライドは他者を排除する方向にどうしても向かってしまう。松竹の女優だった松坂慶子が「人生劇場」(‘83)に出演したときの“結髪”と呼ばれるスタッフとのエピソード……
「前髪をもう少し小さくしてください」と松坂さん。
「出来まへん」
「何で!?半分にしてって言ってるんじゃないの。ほんの少しだけって言ってるの」
「そんなことしたら先輩らに笑われますわ。この時代の前髪の大きさは、もっと大きいんですわ。これでも小さい方どす」
「わたしは額が小さい方だから、こんな大きな前髪だと、ますます額が狭く見えて嫌なの」
「この時代の娘さんらは額を小そうに小そうに見せようと思てたんどす」
「それは解ります。でも私には似合わないんだから」
女優・松坂慶子さんと、結髪の部屋頭・白鳥さんとの対決である。
「ほんの少し前髪を小さくするくらい、何でここでは出来ないんですか」
「そう、ここでは出来まへん。ここは松竹とは違います。東映京都どす。ここにはここの遣り方がおます」
深作欣二監督までやってきて「大正時代のお袖(慶子さんの役名)じゃないんだ。松坂慶子さんのお袖なんだから彼女が納得できて、似合うようにしてください」
撮影現場では水戸弁でまくしたてる監督が、解りやすい標準語で諄々と説く。一言も発せず黙って聞いていた白鳥さん。すっと立ち上がると慶子さんに近づき手早く鬘を頭からはずし、それを檜で出来た鬘台に被せて作業を始めた。直してくれるんだ。一同ほっと胸をなでおろした次の瞬間。白鳥さん、鬼の形相で元結を鋏で次から次へと切っていく。綺麗に結い上げられていた七分の鬘はザンバラ。周りを取り巻く一同に衝撃が走った。何ていうことをしてくれたんだ……
……こっわー。いまや「篤姫」で怖いところを見せる松坂慶子相手に、こりゃたいしたツッパリだ。しかしお分かりだろうか。東映京都撮影所が異色なのは、そのまま京都という街の異色さなのだと。少なくともわたしは、京都をそんな街だと思てたんどす。迷惑?
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