「オクタヴィあぬす!」
「ハドリあぬす!」
「トライあぬす!」
「マルクス・アウレリ……しまった、こいつはつかねー」
……馬鹿な田舎の高校生たちにとっては、神君アウグストゥスも五賢帝も単なる尻の穴あつかいだった。罰当たりな話。作家塩野七生が、ローマ帝国の興亡を15年間、一年に一冊のペースで描こうという壮大な試み「ローマ人の物語」はめでたく完結。版元の新潮社にとってもリスキーなチャレンジは見事に当たり、毎年ベストセラーリストにのっているのはご存知のとおり。
このシリーズがこれだけ受け入れられたのは、まずは授業の世界史と違って「面白い」からであり、同時に弱点もそこにあるのだと思う。「面白すぎる」のである。なにしろ登場人物はオールスター。スキピオ、ハンニバル、カエサル、キケロ、クレオパトラ、アグリッパ、ネロ、スパルタカス、加えて例のアヌス組が、塩野の思い入れたっぷりな筆致で描かれるのだ。面白くないわけがない。おまけに、背後にはいつもイエス=キリストの影があり、名も知らぬ悪女が皇帝を操ったりしている。わくわくである。
でも、保守思想ゴリゴリで、平和ボケ日本の現状をイタリアから撃ち続ける塩野の歴史的人物の評価や叙述は、やはりちょっと恣意的にすぎる。「そりゃー結果論だろや」と突っ込みたくなる点が満載である。歴史の帰趨を人物に求めすぎていないか。英雄の叙述は確かに面白い。でも、それゆえにこぼれ落ちてしまう歴史的真実は多いはず。塩野がほぼ絶賛状態のカエサルよりも、高校時代から怜悧な行政執行者といったおもむきのオクタヴィアヌスのファンだった(本来のローマ帝国の中興の祖ってこいつじゃないか)わたしだからそう思うのかも知れないけれど。
だいたい、故事来歴を使って説教かまそうってヤツにろくなのはいないじゃない?
07年9月21日付事務職員部報「新財務システム⑦」より
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