事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

国家の罠 PART1

2008-11-25 | 国際・政治

Suzukimuneo02 「反省PART2」はこちら

 ここでクイズ。現在「新党大地」代表として国会に復帰した鈴木宗男は、かつて何の罪で逮捕されたのでしょうか?

 あのころ(02年)、「ムネオハウス」「(田中)真紀子との確執」「疑惑の総合商社」などとマスコミを騒がせ、バッシングを受けた彼が、実際に何をしたか具体的におぼえている人は多くないのではないかと思う。少なくともわたしは、上記のフレーズでしか思い出せないのに極悪人のイメージがぬぐえないでいる……それほどに、当時は日本中が彼を感情的に叩きまくっていたのだ。

 で、クイズの正解は「斡旋収賄罪」「受託収賄罪」「議員証言法違反」「政治資金規正法」

 検証してみよう。まず「ムネオハウス」。誰もこの名前でしか認識していないが正式名称は「日本人とロシア人の友好の家」。いかにも悪徳がつまったような通り名に誤解されがちだけれど、実際のムネオハウスは、ほとんどプレハブに毛が生えた程度のしろものだ(それでも国後島の他の建物よりは立派だというのが泣かせる)。だからここで鈴木に金が流れることがあったとして、はたしてどれだけの額が?量刑として戦後日本の政治家における最長の勾留が必要なほどだったのか?

 田中真紀子との件は、時間が経っただけにわかりやすい構図になっている。かつて小泉純一郎を首相にすえる推進力となり、世間で圧倒的な人気を誇った真紀子と、外務省内に隠然たる勢力が存在した鈴木の衝突は必然だった。特定のNGOを排除したかどうか、こんな問題が些末なのは、当事者たちも十分承知していたはず。

 とにかく、この激突は面白すぎた。

・“お公家さん”の集合体である外務省は、たたき上げの鈴木宗男の“恫喝”に屈し、同時に“政治力”を利用した。
・人間には「家族」か「敵」か「使用人」しかいないというポリシーの真紀子は、「家族」である田中角栄の対中、対露外交を踏襲することを第一義としていた。

……こりゃ、ぶつかるわな。後述する北方領土の四島一括返還二島先行返還論の確執もあったし。おまけに当時の真紀子のエピソードがすごい。

・自分の指輪の紛失を「使用人」である秘書官の責任にして買いに行かせ、公務に遅刻した。
・アーミテージとの会談をたいした理由もないのにドタキャンした。
・同時多発テロの際に、米国務省職員の避難先を記者に話した。
特に最後の部分は真紀子の危機管理能力のなさを示すもので……以下次号

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「反省~私たちはなぜ失敗したのか」PART2

2008-11-25 | 国際・政治

Suzukimuneo01 PART1はこちら

佐藤:当時の外務省のように能力のない者が課長をやっていれば、企画立案ができない状況で、外交ができないですから、秩序は乱れて当然なんです。そこのところでヤキモチに恐怖感がプラスされたから、大きな力になったと思います。私と一緒に仕事をしている連中のなかで幼稚園みたいなことが起きたんですよ。手帳がなくなっちゃうとかノートがなくなっちゃうとかね。

……実は男の方がヤキモチ焼きで、そのやり口も陰惨であることはよく知られている。霞ヶ関のなかで財務省とならんで最もプライドが高い(と言われている)外務省だからこそ、こんな事例は多いのだろう。学校がそんな悪徳と無縁であればいいのだけれど。その霞ヶ関ではこんな常識が……

佐藤:ひと昔前の霞ヶ関では「自殺の大蔵、汚職の通産、そして不倫の外務」といった。ところが今や外務省こそが「自殺者、汚職、不倫の三冠王」です。画期的な事件が、競馬ウマを飼っておられた松尾克俊さんの事件。彼がつまんだおカネは、表に出ただけで5億円はあったんじゃないか。

……出た。松尾克俊。まもなく出所する彼のことは、外務省が必死で守るはずだと2人は読んでいる。彼がすべてを話したら、現在の外務省は吹っ飛んでしまうだろうから。その、松尾とは……

佐藤:彼は最初、外務省のなかで評判がよかったんです。本当に仕事に打ち込むタイプで、高卒の初級職員だけど外交実務のことをいろいろ勉強した。部下たちの面倒見もよく、自腹を切って焼鳥屋とか分相応のところで食わせていた。(略)自分のカネを注ぎ込んでも仕事をするという病気の人が、外務省にはときどきいるんです。自腹を切るのは立派なことだという風潮がある。私は、逮捕され、檻に入ってから、そのようなかたちの滅私奉公が間違っていたことに気づいたんです。
Satoyu01  確かに、「私」のおカネを「公」のところに使うのは、誰からも文句は出ない。しかし、論理的に考えると、実は公私の線を越えているんですよ。逆向きの公私混同ですから、どこか浸透膜がおかしくなっちゃう。そのうちに公金がたくさん入ってくると、かつて私の線を越えたから、少し返してもらっても文句なかろうとなる。

……完璧に正しいと思う。学校徴収金を立て替えることを、自ら厳に戒めているのは、わたしもこんな傾向があるのを如実に感じるから。まあ、学校事務職員に多額の公金が降りそそぐことはめったにないわけだが。いや、なりふり構わなければあり得るわけだ。そんな事例、後を絶たないからなあ。反省反省。

神学者としての、そして国際政治を語る人間として佐藤(彼はまだ外務省の職員だ!)の評価はうなぎのぼり。検察とマスコミへの復讐戦は、着々と勝利への道を歩んでいる。

国家の罠につづく!

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「反省~私たちはなぜ失敗したのか」

2008-11-25 | 国際・政治

20080220_478925 結局、鈴木宗男のいったい何が悪かったのだろう。田中真紀子との確執、ムネオハウス、小狡そうなルックス、いかにもプチ田中角栄な政治手法?……“あの頃”の狂騒が過ぎてしまえば、どうもよくわからないのが正直なところではないだろうか。

 鈴木と、彼と同時に世間に糾弾された外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優(意外なことに神学者でもある)の共著である「反省~私たちはなぜ失敗したのか」は、反省の名を借りて(およそ反省なんてしていない)、外務省、検察、マスコミ、そして国民への呪詛を叩きつけた書。彼らでなければ語れないエピソードがてんこ盛りなので紹介しよう。

鈴木(宗男):東京拘置所でとれる新聞は朝日か読売、どっちかの選択ですから。
佐藤(優):とれたんですか?わたしは「極悪人」だから、新聞はダメだと言われた。半年たったところで、弁護士が差し入れる「日刊スポーツ」だけOKとなりました。わたしはスポーツに関心がないので、芸能欄と社会面だけ読んでいました、だから当時、連日話題になっていた「タマちゃん」についてはとても詳しくなりました(笑)。
鈴木:私は捜査が終わってから、ちょうど拘留3ヶ月後には新聞をとれましたよ。スポーツ紙もとりました。「日刊スポーツ」の指定でしたね。

……被疑者に新聞を読ませないというのは法律的にどうなのだろう。スポーツ紙が日刊スポーツだけというのは、東京拘置所に宅配する新聞店がASAだから?(笑)

鈴木:小泉政権のときは、情報について非常にきちんとコントロールされていたと思います。なかには鈴木宗男をパージしたいと思う人もいるわけです。すると情報を持っている権力側は、ある情報は出しある情報は伏せというコントロールをして、マスコミを動かす。
 政権中枢にいてそれをやったのは、私は当時官房長官だった福田康夫さんだったと思っています。もう総理になることもないから、名前を出していいかと思うけれども。

……この本の発行は2007年6月19日。福田総理の目はないとふんだ鈴木の読みは大外れだったわけだ。このあたりも反省材料ですかね。

佐藤:鈴木さんは、(政治部)記者のオフレコメモを定期的に郵便で送ってもらうようなシステムを作っていませんでした?オフレコのメモというのは、政治家のコミュニケーションの裏のやりとりに大活躍するんですよね。政治家が記者たちに語るオフレコ話が、いかにスカスカで筒抜けかという証左でもある。
鈴木:ありました、ありました。お小遣いも少し渡していました。今となっては深く反省しています。

……驚愕の事実。こんなことで驚いていてはいけない世界なのだろうか。政治家と新聞記者の関係性、記者クラブという存在、そしてぶら下がり、夜討ち朝駆けの訪問などの取材方法など、やはりマスコミには問題てんこ盛りだ。PART2に続きます。

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