北朝鮮の陸海空軍による大規模軍事演習。国の威信をかけたこの行事で、桂東月(ケ・ドンウォル)大佐は潜水艦による日本への亡命を決行した。しかも、拉致被害者の女性を連れて--。だが、そんな彼らを朝鮮人民軍が逃すはずがない。特殊部隊、爆撃機、魚雷艇、対潜ヘリ、コルベット艦、そして……。息つく間もなく送り込まれる殲滅隊の攻撃をくぐり抜け、東月達は日本に辿り着けるか? 極限状況ゆえに生まれる感涙の人間ドラマ。超弩級エンターテインメント!(Amazonより)
もしも北朝鮮の軍人が、横田めぐみさんを再び拉致し、潜水艦に連れ込んで日本に亡命を図ったら……かつて北朝鮮に拉致されたのと逆コースをたどる逃避行。徹底的に現実のシミュレーションを重ねた作品だろう。
「機龍警察」の月村だからこそ描ける白熱の潜水艦チェイス。そこに日本の海上保安庁がどうからむか(あるいはからまないか)など、政治状況もからめてうまい。なぜ拉致被害者を連れていくかといえば、そうすることで日本が自分たちを受け入れるであろうという読み。
主人公を北朝鮮人にしたので、あの国の現状を微細に描くことができる。誰も本気で金正恩を尊敬などしておらず、ひたすら体制に絶望している。拉致を行った人間たちがどうなったかも興味深い。また、北朝鮮側から言えば、自国は「共和国」であり、韓国は「南鮮」、日本海は「朝鮮東海」になる。お勉強になります。
潜水艦はきわめて映画的な素材で「U・ボート」「眼下の敵」「深く静かに潜航せよ」「クリムゾン・タイド」そしてわが「ローレライ」など、枚挙にいとまがない。政治的に微妙な題材ではあるけれど(北朝鮮に遠慮するのではなく、北朝鮮憎しを助長するかもしれないので)映画化を考える商売人はいないだろうか。
っていうかなぜ機龍警察は映画化されないのだろう。CGアニメにあれほど最適な作品はないはずだが。実写だともっとうれしい。
海岸通 風
Vol.59「一生懸命な人」はこちら。
30年以上一緒に生活した妻が家を出ていきました。結婚後1年で実家に戻っていた娘と孫も一緒に、です。幼いころからかんしゃく持ちの自分に「もうこれ以上我慢できない」と言われました。この年になっての1人暮らしは寂しくてたまりません。何度謝っても「信用できない」の繰り返しです。関係を修復する手だてについてご指南いただければ幸いです。(60代・男性)
……これについては離婚をくり返した高橋源一郎が絶妙の回答を。
やるべきことは一つだけ、ひとりで生きる術(すべ)を身につけることです。あるときわたしも頑張ってやってみました。たいへんですけど。すべての夫はやるべきです。あなたは、どのくらい家事ができますか? 朝起きる、歯を磨く、顔を洗う。それはできますね。朝食を作りましょう。きちんと栄養を考えて。それから、昼食、夕食のメニューも考える。買い物にも行かなきゃならない。掃除をして、洗濯もする。ごみを出すのはいつでしょう。その他いろいろ。生活は些事(さじ)の集まりです。でも、どの一つが欠けてもうまくいかない。
たいていの家では、妻がみんなやっていて、夫は、ただ待っているだけ。だから、ぜんぶやってください。ただ生きてゆくことがどんなにたいへんなのかわかります。そして、家族と暮らすことの意味も。なにもかもひとりでできるようになったら(すべては無理でも)、ほんとうの孤独もわかるでしょう。そのとき初めて、妻や娘に謝罪することができるのです。あなたにはまだ謝る権利もありませんよ。(作家)
結婚後1年で実家に帰ってきた娘に、あなたがどんな態度をとったかは容易に想像できる。30年以上連れ添った(という認識ではないんでしょうが)奥さんが出ていったことにあなたは“理不尽だ”と思っているんですよね?かんしゃく持ちなのは幼い頃からだから仕方がないと思っているのではないか。
しかしこの人生相談には得がたい点があって、それは本当に自分が何をすればいいのかさっぱりわかっていないということです。もちろん自己防御にすぎない話は多いんですけど(人生相談に投書した時点で、たいがいの人は正解にたどりついている)、この人は本当に途方にくれている。逆に言えば、どれだけ罪深いのかって話です。
あなたにはまだ謝る権利もない。高橋源一郎の至言だと思います。え、わたしがじゃあどれだけ家事をやっている?えーと……
Vol.61「家庭菜園」につづく。
本日の1曲は風の「海岸通」。妹のままでいた方がよかったかもしれない……連れてけよ彼女を。船に乗せろよ。確かに、電車での別れは警告音が鳴る(君の唇がさようならと動く危険性はある)。飛行機の場合はやたらにめんどくさい。でも船はテープが切れるだけなのかあ。
同じ磯山晶企画&宮藤官九郎脚本の「俺の家の話」のあまりの展開に、やっぱりクドカンはすごい、と再認識。勢いでこのドラマのDVDも借りまくり。
さて、大ファンの宮藤官九郎作品なのになぜオンエア時に見ていなかったかというと……はて、どうしてだったろう。
見始めて思い出した。これ、女囚ものなんだよね。だから登場人物のほとんどが犯罪者。それはかまわないにしても、展開として暗そうじゃない?
まあ、それは老人介護をあつかった「俺の家の話」も、校舎を燃やしてしまった(と思い込んでいる)教師が主人公の「ごめんね青春!」も、ゆとり世代のあせりを描いた「ゆとりですがなにか」も同様のことだった。
基本的にクドカンの作品は暗いので(その究極が敗者の物語だった「いだてん」だ)、よほどコメディタッチでパッケージングされていないときついのである。
あれま、よほどのコメディタッチでパッケージングされてました。
小泉今日子、坂井真紀、森下愛子、菅野美穂が女囚。そこへ社長令嬢である夏帆が殺人教唆の罪で入所してくる。きびしい看守は満島ひかり。
悪役の伊勢谷友介がいい。出所したおばさんたちに拉致され、突き出されたカンペを読まされるが「わたしは誘拐犯に誘拐され」を
「わたしはおばさんたちに誘拐され」
と読む。激高するおばさんたち。
「なんで誘拐犯をおばさんって読むのよ。あんた運命をさだめ、って読むタイプ?」
「だって誘拐犯に誘拐され、じゃかぶってるだろ!」
あははは。笑ったなあ。
クドカンの特徴である時制のコントロールと、猛然とした伏線の刈り込みが遺憾なく発揮された傑作。女性刑務所のルールもきっちり描かれて役に立った。いや別に入るつもりはないんですけどね。だいたいわたし男だし。
第18回「壇ノ浦で舞った男」はこちら。
義経側から見ても頼朝側から見てもしんどい回。この兄弟がどうして争わなければならなかったか。あからさまに後白河法皇(西田敏行)の意向だということになっている。三谷幸喜の見立てはある程度は当たっているんだと思う。
鬼神のように強い義経と戦うことを怖れる武者たち。それは坂東武者たちだからこそわかることだったろう。
あ、そうなのかと気づく。
政治の天才である源頼朝(大泉洋)と戦の天才である源義経(菅田将暉)が組んでしまえば、また平清盛が出現してしまうと懸念した後白河法皇は、下手な芝居までうって義経を京都に縛り付ける。
わたしはこの史観に全面的に同意するものではないけれど(そんな教養はない)、勝者の意向が歴史に反映することが否定できないのに、頼朝がこんなに人気がないのはもっとくだらない理由だったのではないかと思う。北条家との関係とか?
わたしはなんと今ごろまた「池袋ウエストゲートパーク」を見返している。今見るとすんごい豪華キャストだけど、当時は長瀬智也と渡辺謙以外はまったく注目もされていなかった役者のオンパレード。そのなかにはチンピラ役で小栗旬もいたのでした。ていうか高橋一生も妻夫木聡も佐藤隆太も窪塚洋介も山下智久も酒井若菜もいたの!加藤あいはなにやってるんだろう。
この大河からもたくさんのスターが生まれるに違いない。っていうかさあ。静御前が「夜空はいつでも最高密度の青色だ」の石橋静河で、義経の本妻が「ドライブ・マイ・カー」の三浦透子って、これはやっぱりちょっとすごい。
産科医たちのお話。漫画原作で医療ものとくれば思い出すのは「JIN 仁」。とにかくひたすら泣かせてくれたっけ。どうも医療漫画とドラマは相性がいいらしく、他にも「医龍」「Dr.コトー」「ブラックジャックによろしく」など、数多くドラマ化されている。で、どうやらどれも盛大に泣かせられそうなので敬遠しております。
しかも、わたしは妊娠や出産に関していい思い出があまりないので(いろいろあったんですよ)、およそ見たいと思わせる要素はなかったはずなのに……
「MIU404」のせいです。あの刑事ドラマが面白かったものだから、同じ綾野剛と星野源が組んだドラマなら何かしらあるんじゃないかと。
ありすぎです。
「不妊治療」
「高齢出産」
「切迫早産」
「死産」
……うわあ思い出したくないっ!
しかしこのドラマは、主人公が気鋭のピアニストでもあり(BABYという名がふるっている)、家族に恵まれなかったがゆえに産科医を志したという、それってどうなのという設定のおかげでドラマとしてグイグイすすむ。BABYがコウノトリ先生と同一人物であることを最初に見抜くのが、全盲の少女であるあたりも周到だ。
実は労多くして報われることの少ない産科医の志望者は減少傾向にあるという。子どもを産むときにまず苦労するのが産院捜しだという日本の現状がこのままでいいはずがない。予想どおりボロ泣きしながら見終えたわたしは、がんばれ産科医、とつくづく思ったのでした。いやー泣いた泣いた。
矢野顕子 - Mizuumi no Fumoto de Neko to Kurashite Iru (DOWN BY THE LAKE,LIVING WITH MY CAT)
まず謝罪しておきます。なんでおれが謝るのかよくわかんないけど。
わたしのFacebookの知り合いが、なんかの都合で変なのにつかまったらしい。
「乗っ取り」
とかいうらしいです。
乗っ取られないように、わたしとも知り合いにならない方がいいんじゃね?
確かに、わたしと知り合いになってもいいことなんかひとつもないもんなあ(確実)
本日の1曲は「湖のふもとで猫と暮らしている」これは矢野顕子の名曲だ。とくれば明日は……
もちろん、わたしのブログは金をかけてクリーンナップしていることは自慢していいっしょ。
矢野顕子 SUPER FOLK SONG
PART5「沈没」はこちら。
糸井:本人は自分のことをかっこいいっていう歌を歌うのってけっこう難しいんだよ。
木村:ああー、はいはい(笑)。
糸井:そういう部分をなんとか、本人が恥ずかしくないように、かっこよくしなきゃなっていうのがぼくの仕事なんで。さっきもちらっと名前が出たけど、谷川俊太郎さんって、俺、成人してない気がするんだよね。
木村:あー。
糸井:成人してないつもりで生きてるような気がする。いま谷川さんと木村くんが会ったらおもしろいよ、きっと。
木村:あ、ヤバいっすね。
糸井:そういう人間っているんだよ、やっぱり。昔、吉本隆明さんところに行ったの、憶えてる?
木村:はいはい、ばななさんのお父さん。会ってるんですよ、糸井さんの紹介で。
糸井:吉本隆明と木村拓哉、会ってるんですよ。そのふたりを会わせたのは、俺、いいことしたなぁと思ってるんだよね(笑)。ああいう人を見せといたっていうのはね。
……木村拓哉と吉本隆明が会ってたんだ!木村拓哉の最新アルバムに詞を提供した糸井重里の、実は最良の仕事かもしれません。久しぶりにほぼ日刊イトイ新聞から引用。
吉本隆明に会う……わたしの世代だと気が遠くなるような体験だが、そうかキムタクだとばななさんのお父さんなんだ。どうやらキムタクのドラマの視聴率が悪いことをマスコミは例によって得々と語っている。わたしは早いこと原尞の探偵沢崎を彼にやってほしいと思ってるんだけどなあ。「教場」以上の当たり役になるような気がするんだけど。
本日の1曲は糸井重里作詞の矢野顕子「SUPER FOLK SONG」この人のピアノの味は比類がない。
豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意を…。(公式HPより)
最初にフランスの映画会社パテのマークが出たので、これってフランス映画だったのと驚く。実際はフランス映画「エール!」のリメイクだった関係のようだ。
劇中にデビッド・ボウイやクラッシュ、マービン・ゲイなどの名曲が使われ、そしてジョニ・ミッチェルの名曲「青春の光と影」で泣かされる。しかし決して感動を強要する感じでもない。
聾唖者の日常が(音を意識しないから)きわめてノイジーだったり、障がい者だから引っ込み思案だろうという思いこみをひっくり返されたり(「インキンタムシだからセックスはひかえてください」と医者に言われ「どのくらい?」「二週間」に夫婦そろって「無理!」と手話であわてふためくあたり、笑ったなあ)、なるほど考えてある。そしてその手話がきわめて映画的な存在であることを「ドライブ・マイ・カー」につづいて認識させられた。
ストーリーの根幹は、若者が東海岸の大学に旅立つという、「アメリカン・グラフィティ」などでおなじみのものだが、主人公が住んでいるのがすでにマンチェスターなの(笑)。彼女の才能を信じる高校の音楽教師がいい味だしてます。
ドラマ「コウノドリ」にも似た設定の回があり、聾唖者である夫婦に生まれた子が健聴者であったことで夫婦は喜ぶが、しかし医師たちはこれから彼らはたいへんだと予測する。その18年後のお話だと思っていい。
この映画で母を演じたマーリー・マトリンは娘に
「あなたが耳が聞こえると知ったとき、哀しかった……心を通わせられないと思って」
と告げる。すばらしい脚本と演出。アカデミー賞作品賞にきっちりと値する映画だ。