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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

今月の名言2013年8月号~フェイスブック

2013-08-31 | ニュース

Benmattdamonbenaffleck255926_609_88 2013年7月号~好戦的旧左翼はこちら

「学校給食の安全性に対する市民の信頼を揺るがしかねない重大な問題で申し訳ない」

長野県上田市の教育長の発言。給食センターの調理員が、調理室内で調理した酢豚や受水槽の清掃の様子をフェイスブックにアップしたことに対して。
匿名の通報が市教委に寄せられて調査が入ったようだが、この男性調理員は「上田市の学校給食調理のすばらしさを多くの人に知ってほしかった。問題になるとは思わなかった」と話している。

………………うーん、ちょっとわからないな。おそらく背景にはファストフードやコンビニでバイトする店員が、不潔ととられかねない画像をアップしたことがあるんだろう。にしても、これを問題化する意図がよくわからない。例によって日本人のスタンピード体質が爆発し、誰かをやり玉にあげるなら公務員だと“匿名の誰かさん”は考え、行政はとにかく謝罪してしまえと判断した結果か。誰も問題の本質をつかんでいないし(そもそも問題なのか)、ということは単に“騒ぎ”になっておしまいなのだろう。

※どうやらコメントに問題はあったらしい。くわえて調理場への私物の持ち込みも。そっちなら(かろうじて)理解できます。

「調査中で結論は出ておらず、取材には応じられない」

問題続出の大阪市公募校長の発言。児童の母親に私的なメールを送り、体をさわったりした事実は認めている。この4月に赴任したばかりのこの59才の校長の早業はさすが決定が速い民間ならではですか。先日の退職校長と同様、マスコミに対する強気な対応は共通している。このあたりは上田の教育長にも見習ってほしかったかも。

「僕がロビン役をやらないことは確かだけどね」

「マン・オブ・スティール」の続編に登場するバットマン役にベン・アフレックが決定。ネット上で批判がうずまいていることから、親友のマット・デイモンが応援のメッセージとともに。わたしはアフレックでけっこうだと思うけどなあ。にしても、このふたりはいつまでも仲良くていいですな。

2013年9月号~ユーモアと汚染水の国境につづく

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テレビ・トラベラーPART2

2013-08-30 | テレビ番組

Hinosakanaimg01_2 PART1はこちら

「怪奇大作戦」「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」……タケダアワーどまんなかの、現在でも語り継がれる名作を幼いころに文字どおり浴びたことで、CMプランナーでもある血肉は形成されている、と樋口は正直に語っている(彼のCMで有名なのが「第一でナイト!」。いまは電通の部長です)。

ただし、わたしもほぼ同世代だけど、山形の民放はガキのころは日テレ系の山形放送しかなくて、タケダアワーを日曜7時に観てないんだよなあ(泣)。もっとも、夕方の5時ぐらいにオンエアされていたので、タイムラグはあれども親の眼を気にすることなく見ることはできたのだけれど。ウルトラセブンの、あの伝説の最終回も、近所のガキどもといっしょに見てました。

樋口の連載を誰よりも喜んだのは、それまでどんなに心をこめて脚本を書き、演出しても視聴率という尺度でしか評価されなかった作家たちだ。

井上由美子(「白い巨塔」「照柿」!)

渡辺あや(「カーネーション」「火の魚」)

鶴橋康夫(「新車の中の女」「刑事たちの夏」)

など、テレビ村における村人同士では高く評価されるものの、それが世間の評価に(なにしろまだ映画よりも一段下だと思われている業界だ)つながっていない彼らにとって、樋口の連載がどれだけ救いだったか。

テレビ・トラベラー(いまさらですけど「時をかける少女」が原作だった「タイム・トラベラー」のもじりですよ)の連載が終わったいま、さあ番組表を見てみよう。お手軽なバラエティばかりだと眉をひそめる向きもあろうが、しかし評価すべきドラマは常にある。「あまちゃん」や「半沢直樹」「Woman」だけでは決してないはず。いやむしろお手軽なバラエティこそ、きちんとした言葉で語られなければならないのではないか。

そうでもしないと、コンテンツ産業は不滅だと油断しているすきに、テレビジョンというメディアの地位は下降の一途を……。

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「テレビ・トラベラー 昭和・平成テレビドラマ批評大全」樋口尚文著 国書刊行会

2013-08-29 | テレビ番組

71yloeh4lul_aa300_ 映画批評誌「キネマ旬報」に17年間にわたって連載されたテレビ時評。これがどれだけの偉業かというと、なにしろそれまできちんとしたテレビドラマに対する真摯な評論が(単なる印象批評や、ネタとしてテレビを“消費する”コラムはあっても)まったく存在しなかったところへいきなり屹立したあたり。しかも高いレベルを17年間維持し続けたのである。

それまでのテレビ評とは、新聞や週刊誌の片すみで、多くが匿名で行われ、しかも質がおそろしく低かった。

いまでもおぼえている。高校の図書館で週刊朝日を閲覧していたら(オヤジくさい高校生だったなあ)、そのころ熱中していた「前略おふくろ様」(日テレ)がとりあげられていて、あの田中絹代が亡くなった(設定でも私生活でも)回に対して

『ドラマの最初から最後まで葬儀に終始している。実際に葬儀に出ている人はどう思っただろう』

なんとバカな。最初から最後まで葬儀に終始するからこそ素晴らしかったのではないか。そんなレベルでしかドラマを語れないのかと生意気な高校生は呆れかえった。ほんと、バカじゃないの。

樋口は語っている。

「昔から局に出入りしているロートルの放送評論家と呼ばれる方々が手掛ける夜郎自大なテレビ論壇というものがあり、作り手は賞をもらうために、彼らに平身低頭するという図式があった。本当にことごとくくだらない。」

しかしそんな未開の地へ樋口は単身殴りこんできた。圧倒的な鑑賞眼と筆力とともに。この17年間のドラマを(リアルタイムだからこそ)渋く、強く、そしてきびしく語っている。

1962年生まれの樋口はこう規定している。50年代末から60年代はじめに生まれた世代は、勃興期の(作り手の熱が伝わる)テレビをあびるほど見た幸福な世代だと。1960年生まれのわたしは完全に同意する。以下次号

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「風立ちぬ」を擁護するPART3

2013-08-28 | アニメ・コミック・ゲーム

Kazetachinuimg03 PART2はこちら

部屋にたちこめる紫煙、灰皿にうず高くたまった吸い殻、自国のタバコが吸えなくて悲しむドイツ人など、空気感、時間の経過、ナチ嫌いの愛国心をそれぞれ描写するテクニックを、単に「たばこはよくない」という現在の理屈で糾弾することの無意味さは、どうやら嫌煙の方々にはわかってもらえないのか。

くわえて、結核患者がいる部屋で吸うとはなにごとかと怒っている人もいる。あのねー、二郎は言っていたじゃないですか

「ぼくたちには時間がない」

と。彼らはいっしょにいられる時間が短いことを誰よりも認識していて、外に出てたばこを吸う時間すら妻も夫も惜しいと思っているぐらいのことがなんで読み取れないんだっ!

……はっ、いかんいかん。ついたばこ問題になると感情的に。嫌煙の方々のことは言えませんね。

今回は、そのシーンに代表されるように、むき出しの愛情表現を作品にぶちこんでいる。夫は新婚初夜に妻を抱くことをためらい、しかし妻は積極的に迎え入れる。妻はくちづけをすることを「(結核が)うつるわ」と拒むが、しかし夫は「かまうもんか」とくちづける。むきだしです。

でもね、愛し合う男女にはそんな時間が確実にある。あるったらある(遠い目)。記号としての涙が多すぎ、とにかく観客はのべつまくなしに泣かされるのでかえって見逃しがちだけど、この映画における「いま、この相手といることが幸福だ。たとえ短い時間でも」というメッセージは強烈。

近い意味のことをカプローニはニッポンの少年に語る。

「創造的人生の持ち時間は10年だ」

ラストで彼は二郎にたずねる。充実した10年だったかと。憔悴した二郎は、妻も、みずからが設計した飛行機もすべて失うが、妻の幻影に救われる。必死で彼は生きてきたし、これからも「生きねば」ならない。しかし二郎の、そして宮崎の創造的人生が果たして終わったか。70をこえた宮崎駿は、自虐的なセリフに小さな自負をこめている。

それにしても、初めてむき出しにセックスを描いた作品のヒロインが、宮崎史上もっとも小さな胸の持ち主だったとはー。

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「風立ちぬ」を擁護するPART2

2013-08-27 | アニメ・コミック・ゲーム

Kazetachinuimg01 PART1はこちら

宮崎駿が声優的演技を嫌うのは、すでにジャパニメーションにおける声優たちが洗練を見せ、しかしその一方で彼らの演技が類型的になっていると判断しているからではないだろうか。喜び、悲しみの表現が、いかに子ども向けからスタートしたメディアとはいえ、あまりにわかりやすすぎるのを敬遠しているのだと思う。

もちろん日本の声優レベルは世界トップクラスだ。日本語という言語に守られ、洋画のシェアが他国ほど大きくない日本において、吹替技術も他を圧倒する。だから妙なタレントを連れてくると、そのレベルの差が如実にあらわれる(何度も例にとってもうしわけないが、去年の「プロメテウス」における剛力彩芽は無惨だった)。

しかしたとえば小津の「東京物語」を日本の達者な声優たちが吹き替えたとしたら……宮崎の懸念もわかってもらえるのではないか。宮崎が求めるのは達者な感情表現ではなくて、あくまでリアルなつぶやきのはず。その意味で庵野は正解だったろう(実はわたしもちょっと不安だったけれど、最初のセリフを聞いてすぐに安堵しました)。

くわえて、いかに声優が数多いとはいっても、やはり俳優たちのバリエーションとはケタが違う。キャラクターに、文字どおり性格演技をさせたいと考えれば俳優の選択はやはりありだ。初井言栄以外のドーラや、神木隆之介以外のマルクルが想像できないように、アニメの感情表現の幅を宮崎駿が広げていることは(批判も多いとはいえ)確かなことではないか。

神木など、ほんのわずかの例外をのぞけば、宮崎が同じ役者をふたたび起用することがないのがその証左。この作品でも、西村雅彦の黒川と國村隼の服部のかけあいは味があるし、野村萬斎の「ニッポンの少年よ!」は、確かにこの人でなければならなかったと思う。

③喫煙
嫌煙団体が喫煙シーンの多さにクレームをつけたと聞いて、ああやはりそんな性格の集まりなのかと得心した。この映画において本庄(西島秀俊)が何度も「タバコないか」と堀越にリクエストするシーンで、お互いが遠慮のない関係であることを端的に示す技なのだぐらいのことも許せないのか。それに……以下次号

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「風立ちぬ」を擁護するPART1

2013-08-26 | アニメ・コミック・ゲーム

Kazetachinuimg02 日本がまだ貧しく、西欧列強よりも二十年は遅れていた時代。しかも関東大震災によって首都は壊滅的な打撃を受けるが、“どこかと戦うために”日本は(具体的には三菱は)優秀な戦闘機を欲していた。

こどもの頃から飛行機乗りにあこがれていた二郎は、しかし目が悪いためにその夢を必死でおさえこんでいた。彼の夢の中に、イタリアの飛行機製作者カプローニがあらわれ、戦争に対してシニカルな見方をする彼と、日本の少年は夢を共有する。

……貧しい国であることを反映し、「日本の少年よ」と大人になってからも呼びかけられる堀越二郎に教えをさずけるのはふたりの外国人が中心。カプローニと、謎のドイツ人カストルプだ。彼らのことばによって二郎は積年の夢である優秀な戦闘機(それは敵を倒すだけでなく、搭乗者の命をもことごとく奪った)零式を生み出すことに成功する。

この映画には批判が多い。曰く、

①好戦的である

②主人公の声が“演技をしていない”

③結核患者の部屋でたばこを吸うシーンが許しがたい

……なんと馬鹿な。だからこそすばらしいのに。検証してみよう。

①好戦的
この映画が「紅の豚」の変奏曲なのは誰でも気づくと思う。あの映画で飛行機乗りたちが不可逆的に死に向かっていったように、この作品においても(戦死は一度も描かれないが)飛行機はすべて消えゆく運命にあると結論づけられている。あのユーモラスでありながら美しい複葉機の時代から、先鋭的な(堀越の設計した戦闘機はアヴァンギャルドと形容される)零式に至っても、その運命は変わらないどころかますます悲劇的色彩を帯びていく。宮崎駿は確かに好戦的な作家だが、その運命を甘受したうえで、なおかつ飛行機を、戦争を愛しているという矛盾をはらんでいる。単純に好戦反戦の二元論で語れるほど単純なタマではない。

声優的なるものの否定
堀越二郎を演じたのはなんと庵野秀明。エヴァンゲリオンのあの監督だ。訥々としたセリフ回しと明確なエロキューションがすばらしい。「となりのトトロ」における糸井重里をほうふつとさせる。宮崎の声優嫌いは有名な話で……ああ長くなりそうだ。以下次号

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八重の桜~第三十四話「帰ってきた男」

2013-08-25 | テレビ番組

Honjoimg01 第三十三話「尚之助との再会」はこちら

前回の視聴率は予想をはるかに超えて15.9%。みんな、ラブストーリーが好きなのである。実はわたしも絶望的な籠城戦は息苦しくて……

今回からラブコメ全開。無器用なふたりをまわりがやきもきするという、往時の日テレ恋愛ドラマのよう。もっとも、ヒロインはよくわからない理由で離婚しており、男の方は同じ日曜日のドラマの視聴率で惨敗した過去をもっているけどね。

この展開は、カップルを視聴者も応援する態勢にもっていかなかれば意味がないわけで、蛇の目傘を静かにたたむ所作が美しい綾瀬はるかと、税関(さすがにパスポートももうあったんですねえ)で「こんにちわ」と日本人らしくないあいさつを放つオダギリジョーは資格十分かと。

特にオダギリジョーは、敬虔なクリスチャンでありながら、どこかとぼけた味わいがにじんでいてとてもいい。時代劇なのに髪型がいつもの彼よりずっと普通なのもいい(笑)

尚之助も新島襄も、八重とかかわりあう男性はどこか生活感がなくて、たとえば今回にしても、新島の父母が当然でてきていい設定なのにそうはならない。会津の過去をひとりで背負っているかのような八重との対比がうまい。

エンディングで紹介されたのは函館に立つ新島襄のブロンズ像。旅行したときにガイドさんが

「ぇここが新島襄が、ぇアメリカに密航した場所でございまして、ぇ新島は~」

と説明してくれていた。函館生まれの妻が、その事実を全然知らなかったのには呆然。

覚馬が八重の耶蘇教の教えを学ぶように指示したのは、その会津の過去とどう折り合いをつけるか、兄として心配していた結果だという運びもいい。八重の眉間の青筋も、次第にうすれています。

山本むつみの脚本も、次第にゲゲゲな感じになっている。実は今日「風立ちぬ」を一家で見てきたので、西島秀俊の声がとても耳になじむ。ついでなので言っておくと、「風立ちぬ」は大傑作でした。喫煙云々で文句をつけた連中は、無粋にもほどというものが。

視聴率的には今回はしんどいでしょう。裏で黄色いTシャツが乱舞しているからね。でも14%は堅持するかと。

第三十五話「襄のプロポーズ」につづく

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「フライ・バイ・ワイヤ」 石持浅海著 東京創元社

2013-08-24 | ミステリ

2710 映画「真夏の方程式」を観た人なら、この殺人におけるキーとなった部分で「ははーん」と思ったかもしれない。病気の女の子の意志によって遠隔操作されるロボット。そのロボットに襲いかかる目的が、ロボット破壊なのか女の子への殺意なのか……よくもまあこんな殺人を思いつくなあ。そしてまたまた強引なハッピーエンド。こうなるとひとつの芸ですな。師匠、次も無茶なやつをよろしくお願いします

フライ・バイ・ワイヤ フライ・バイ・ワイヤ
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山椒大夫を検証するPART6

2013-08-23 | 映画

Sanshothebailiffimg05 PART5はこちら

「山椒大夫」のラストはこう展開される。

海岸をとぼとぼと歩く厨子王。村人が海藻を干している。この村の人間はほとんどが津波にやられてしまったと聞き、呆然とする厨子王。そこへ、歌。

ひきずられるように声の主に向かう厨子王の前に現れた女は、もちろん母親。彼女は白髪となり、盲目で、遊女宿で脱出できないように脚の腱を斬られている。

「お母様」

と呼ぶ声に

「また嬲りに来たか」

と真に受けない。彼女のこれまでの生活がいかに悲惨なものだったかがうかがえる。厨子王は父親の形見である観音像を母に握らせ、息子であることを示す。喜ぶ母。しかし彼女の次の言葉は厨子王にとって苦しいものだった。

「お前……ひとりですか?安寿もいっしょなのでしょう?安寿はどこにおります」

「安寿は、お父様のそばへ参りました」

「お父様は、お元気ですか」

「もう、お母様と厨子王と、二人きりになってしまいました。わたしは国守の身分でお母様を迎えにまいりましたが、お父様の教えを守るために、その身分を捨ててしまいました。お許しください」

「……なにを言うのです。お前が何をしたか知りませんが、お父様のお言いつけを守ったから、こうして会うことができたのかもしれません」

なんと悲劇的なやりとり。そしてカメラはゆっくりとパンする。海岸ではなにごともなかったように村人が海藻干しをつづけている。親子の苦渋と喜びを、彼は知らない。

……ちょっと信じられないくらい流麗なカメラワーク。一種の悟り、というより諦念を感じさせる田中絹代の演技。いやーいいものを見せていただきました。悲劇も哀しさを突き抜けると感動がやってくるという典型。このラストをそのままいただいたのがゴダールの「気狂いピエロ」のラストなのは有名。あっちは主人公が自爆するという流れ。

「雨月物語」もたいがいすごいと思ったが、溝口健二って(調子のいいときは)本当にすばらしい。さあもう一度見なくては。みなさんもぜひ。

コメント (4)
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山椒大夫を検証するPART5

2013-08-22 | 映画

Sanshothebailiffimg04 PART4はこちら

山椒大夫の地を逃れた厨子王は、ふもとの寺に駆け込む。そこでは大夫に絶望した太郎が剃髪して修行していた。彼のはからいもあって、厨子王は京の関白(シラノ・ド・ベルジュラック役で有名な三津田健)に会い、父の死を知る。その経緯を理解した関白は、厨子王を丹後の国守に任ずる。丹後……すなわち、山椒大夫の領地がある場所だ。

普通なら、ここで厨子王が山椒大夫への復讐を成し遂げてチャンチャンという展開もありだろう。しかし社会派的色彩も濃いこの映画では、ことはそう簡単に進まない。

着任早々に厨子王は人身売買を禁止し、大夫の領地を没収にかかる。しかし、時代は貴族階級と武士のせめぎ合いが始まったあたり。青年国守の理想は山椒大夫や部下によって軽くはねつけられる。

ここから、森鴎外の原作との違いが出てくる。役人としてトップにのぼりつめた鴎外だからというわけではないが、彼のバージョンでは、国守のパワーで山椒大夫は圧倒される。しかし溝口版では、自分の意を通すために厨子王は国守の座をみずから下りるのである。

もっと差があるのは山椒大夫の末路だ。溝口版においては、大夫の家はたちによって焼かれてしまう。しかし鴎外版では、なんと改心した大夫の家はますます栄えたことになっている!発表された時代の差か、作者の資質の差か、あるいは小説と映画という媒体の差がここで出たのだろうか。

さあラスト。職を辞した厨子王は、母を訪ねて佐渡を訪れる。遊女宿に母はいない。島の反対側にいるとの噂をたよりに歩き続ける厨子王。しかし向かった先の村は津波に押し流されていた。と、盲目の鳥追い女が歌を口ずさんでいる。

♪安寿恋しや、ほうやれほ

厨子王恋しや、ほうやれほ♪

「お母様!」

感動の再会シーン。ここで、溝口健二監督の執念と、宮川一夫の驚異的な撮影テクがさく裂する。以下次号

Mizoguchiimg01

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