事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

追悼樹木希林

2018-09-16 | 芸能ネタ

たった今、知りました。樹木希林が亡くなったことを。これが日本の映画界にとってどれだけの損失かはこれから次第にわかってくるだろう。とにかく、驚いています。彼女は死なないものだと思っていたので。

これだけ大きく報じられるについては、渥美清の場合はまだわかりやすかった。彼は松竹という会社を事実上「寅さん」というファンタジーの登場人物で背負っていたので、退場がドラマである以上に事件だったわけだし。

彼女の場合は微妙だ。わたしたちは彼女のことが大好きだけれど、いつの間にこうなったのだろう。「七人の孫」を見る世代ではないし、岸田森との関係も後付けで知ったわけだし、それ以前の新劇時代はおよそ把握できない。

どうしたってわたしにとっては悠木千帆時代、特に「時間ですよ」が衝撃。久世光彦と向田邦子という希代の作家によって、しかし意図的に軽くつくられたあの番組はすばらしかった。そして久世の以降の番組にとって、樹木希林の存在は不可欠なものであったろう。郷ひろみとのデュエットなど、いま思えばよくも実現できたと思う。ロックンローラーの夫への返歌だったのか。

名女優としての地位を確立したのは、わたしは見ていないので(原作で泣きすぎて見られないです)「東京タワー」なのはきっと定説になっていくんだと思います。そして以降、特に是枝裕和原田眞人という、とりわけ生意気な作家たちの作品で、毒舌を吐きながら“日本映画史上もっとも微妙に”演じきったわけだ。

だから彼女には、才能があふれている人間しか対応できない凄みがあったのだろう。久世光彦、是枝裕和、原田眞人にはその度量があったということか。

これからの映画作家にはつらい時代が来る。樹木希林というジョーカーを使う手が封じられたのだ。これはきつい。実はおれもかなり哀しい。ううう。

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追悼バート・レイノルズ

2018-09-08 | 芸能ネタ

そうか、バート・レイノルズが亡くなったのか。享年82才。イメージからして、もっと早死にするかクリント・イーストウッド以上に長生きするかだと思っていたのに。

人生山あり谷ありを地で行ったような人。ヒット作を連発するかと思えば自己破産まで。私生活も恵まれていたとはいえないようだが、多くの美女たちと楽しんだことだろう。ロバート・アルトマンの「ザ・プレイヤー」に本人役でちょいと出て、ハリウッドに皮肉をかますのが芸になっていたので、だからこそザ・ハリウッドな人でもあった。

「トランザム7000」や「キャノンボール」で稼ぎまくっていたころの彼には実はあまり興味がなくて、それ以前の「ロンゲスト・ヤード」が最も彼らしい作品だったと思う。愛人の顔をマジで殴り、刑務所に収監。憎々しい所長や看守(エディ・アルバートとエド・ローターが最高)に虐げられた彼は囚人チームを率いて……ロバート・アルドリッチの傑作なのでぜひ。

熱血なタイプに見えて、実は監督としてもシャープ。「シャーキーズ・マシン」は傑作だった。この映画にしても「ハッスル」にしても、娼婦を相手にすると彼は光り輝いた(笑)。レイチェル・ウォードやカトリーヌ・ドヌーブというチョイスもすばらしい。

彼の演技の最高峰は文句なくポール・トーマス・アンダーソンの「ブギーナイツ」。ある“才能”をもっている青年(マーク・ウォールバーグ)をスカウトしたポルノ映画監督役。ザ・ハリウッドな人という印象がここで生きる。

最晩年に至るまで作品が途切れず、生涯現役だった様子。彼の死は大々的に報じられた。大好きな人だったので、そのことが素直にうれしい。“向こう”でもがんばってねバート。

来年は、ディカプリオとブラピが共演し、タランティーノが演出するという驚愕の作品「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が公開される。はたして彼のパートは撮影されたのか、あるいは代役を立てるのか。いずれにしても、必ず見に行きます。

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髙田文夫

2018-06-14 | 芸能ネタ

高田文夫の大衆芸能図鑑」「1981年のビートたけし TOKYO芸能帖」と、高田文夫の著作をつづけて読んだのでご紹介。この人の(特に関東の)芸能への愛着はたいへんなもので、年齢を重ね、病気にもなり、彼がこう考えているのがわかる。

「おれの経験をできるだけ遺しておきたい」

後進の放送作家や芸人たちへの愛情が著作からあふれるほど感じとれる。もちろん、笑いにコーティングしてあるのがこの人らしいところ。いい味だしてるエピソードがいっぱい。

・ハガキ職人といえばその昔、テレビ番組になる前、ニッポン放送で「欽ドン!」(萩本欽一)をやっている頃、とぼけてハガキで投稿していたのが永六輔。何回か採用されていた。

・「私が人生で一番嬉しかったことは……オールナイトの“村田英雄”コーナーで私のハガキが高田センセーに選ばれて、賞品のムッチートレーナーが青森の家に届いたこと」雑誌の対談でナンシー関

・(伝説のヤクザ)花形の千本ノックを受けた我ら“少年シャークス”は渋谷松濤の“ジャニーズ”と対戦した。この野球チームが数年後、芸能界入りした元祖ジャニーズとなる。あおい輝彦らである。野球チームには子供時代の井上順もいたと記憶。

・2016年に両国国技館で相撲を観てたら、若い女の子に声をかけられた。

「私、(キャンディーズの)ミキの娘です」

・NHK「こども面白館」を立ち上げるのはいいが、生対応できるレポーターはいるんだろうか。すでに数百人のタレントと会ったが、アドリブで喋れるのは……?そんな中に一人、とびっきり反応のいいのがいた。その娘は、ついこの前まで“あゆ朱美”といっていた歌手で、今は戸田恵子と名乗っている。

……こんなあふれるエピソードが彼の芸の基礎になっている。すばらしい。

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追悼マーゴット・キダー

2018-05-18 | 芸能ネタ

そうか西城秀樹が亡くなったのか。新御三家の方が先に欠けていくとは。

二十代のころ、職場の先輩と話していて

「で、御三家のなかでは誰が好きだったんですか?」

と尋ねたことがあった。この人はきっと野口五郎かなあとか予想して。

「あたし?舟木一夫」

御三家が違う(笑)

わたしにとって哀しかったのはマーゴット・キダーの訃報。B級映画の華だった彼女が、一気にメジャーになったのはもちろん「スーパーマン」におけるロイス・レイン役。禁を犯して地球を逆回転させるくらいにクラーク・ケントは彼女を愛した。わかる。わたしも、彼女が大好きでした。

そうか、わたしたちは今、クリストファー・リーヴもマーゴット・キダーもいない世に住んでいる。誰も地球を逆回転させてはくれない。

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「岸田森 夭逝の天才俳優・全記録」 武井崇著 洋泉社

2017-11-03 | 芸能ネタ

岸田森、という役者を知らない人も多くなったかも。まずはアウトラインを。

・劇作家にして文学座の創設者のひとりだった岸田國士の甥として、ということはつまり岸田の娘である今日子のいとことして1939年(昭和14年)に生まれる。年齢は今日子のほうが九つ上。

・1960年に文学座の研究生となる。

・1963年に、杉村春子中心の体制に不満を持った芥川比呂志、神山繁岸田今日子、仲谷昇らが文学座を大量脱退。しかし森は66年まで残る。

・1964年に悠木千帆(いまの樹木希林)と最初の結婚(68年に離婚)。

・1966年にNET(いまのテレビ朝日)「氷点」で、内藤洋子の血のつながらない兄役でテレビドラマ本格デビュー。

以降、数々の名作問題作に出演し、1982年に食道がんで死去。享年43。

「岸田森 夭逝の天才俳優・全記録」は、武井崇というライターが、愛してやまない岸田森のことを徹底的に調べ上げて自費出版し、その増補改訂版が洋泉社(宝島社の子会社)から出版されたもの。全717ページの大冊。彼が出演した映画やドラマのあらすじまですべて紹介してあるという充実ぶり(狂気とも)。読み終えるのに一週間かかりました。

わたしにとって岸田は「怪奇大作戦」「帰ってきたウルトラマン」「傷だらけの天使」(岸田今日子がボスである探偵事務所の部下)の人で、彼が出ているだけで画面が豊饒になるのが子ども心にも理解できた。

彼が俳優仲間やスタッフに愛されていたこともこの書で理解できる。特に水谷豊(傷だらけ~で共演)の傾倒は感動的。

まことに意外だったのは、彼が頭髪関係で悩んでいたことで、「傷だらけの天使」でカツラをとって土下座するシーンをまだ覚えているくらいなのに、まったく気づきませんでした。岸田森はあくまで岸田森だとだけ考えていた。そういう存在。

「知らなかったなあ。岸田森って、死ぬまで三田和代と同棲していたんだね」

「そんなことも知らなかったの!?」

と妻にあきれられるぐらいの知識しかなかったのがお恥ずかしいですけど。

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今月の名言2017年9月号PART4 ワンダー・ウーマンの悩み

2017-10-03 | 芸能ネタ

PART3「度量と民度」はこちら

「胸が小さすぎる、お尻が小さすぎる」

あの「ワンダーウーマン」でタイトルロールを演じたガル・ガドットが、原作ファンから反対されて。彼女はこの言葉を演技力と運動神経でみごとに吹き飛ばしてみせた。彼女が「マッドマックス/怒りのデス・ロード」のフェリオサ役をシャーリーズ・セロンと争っていたとは知らなかった。ガドットがやっていたら、どんなフェリオサになったろう。まあ、マッドマックスもワンダーウーマンも傑作になったのだから結果オーライ。にしても、ガドットの胸とお尻が小さいとは、アメリカ人の基準というのはよくわからないのでした。

「今年もお声をかけて頂きまして、ありがとなし。」

福島県会津若松市で行われた「会津藩公行列」に4年連続して招待された綾瀬はるかのコメント。「八重の桜」が彼女にとってどれだけだいじな作品だったかが理解できる。こういうファンサービスは、なんというか、綾瀬はるからしくていい。ちなみに、東北人の基準からすると、綾瀬はるかはとてつもなく巨乳です。

「英語が上手いと17億人に伝わるけど、絵が上手いと70億人に伝わる」

Twitterで評判になっている、ある中学の美術教師が発した言葉。SNSでは、よくこういう“いい話”が語られるんだけど、これホントなのかなあ。まあ、架空の話だとしても説得力のある言葉だ。

PART5「フィールドを去る」につづく

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無冠の男PART6 最終回

2017-09-05 | 芸能ネタ

PART5はこちら

仁義なき戦い」シリーズで演技者としても頭角を現した松方弘樹の全盛期といえば、わたしはやはり70年代だと思う。

「脱獄広島殺人囚」

暴動島根刑務所

「強盗放火殺人囚」

実録外伝 大阪電撃作戦

沖縄やくざ戦争(これは千葉真一の映画でしたけどね)

そして代表作

北陸代理戦争

に至る作品群は、菅原文太や高倉健の全盛期と遜色ない。しかし、残念なことにすでにやくざ映画に客が集まる時期はとっくにすぎていたという不幸。時代劇も、華麗なチャンバラは黒澤明の「用心棒」に蹴散らされ、一種のダンスに近い祝祭の場は失われてしまっている。

しかしその祝祭に最後までこだわったのは、二流の剣劇スターの息子だったという巡り合わせ。彼が最後まで映画に恩返しがしたいと言い続けたあたり、泣ける。

きらびやかな、虚飾の世界である映画と、それを支えた芸能界の汚濁を一身に引き受けた、まさしく最後のスターを描いて、この評伝はすばらしい。紹介はできなかったけれども、萬屋錦之介が成田三樹夫に向かって

「お前の芝居は流れていて面白くない」

と言い放って大げんかになったとか、ロケ隊が泊まったホテルの隣の部屋に鶴田浩二がいて、松方たちが女性と色っぽいことをしているのを鶴田が壁に耳をつけて聞いていたとか、笑えるネタがてんこ盛り。映画好きな人なら、読み逃せない一冊。校了直前に松方が亡くなってしまったということも含めて、きわめてドラマティックなありようも、松方弘樹の評伝としてふさわしい。

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無冠の男PART5

2017-08-29 | 芸能ネタ

PART4はこちら

あの「十三人の刺客」の話も。監督、三池崇史の証言。

「山形県庄内町にセットを組んで、ラスト五十分の立ち廻りだけに二十日かかりました。東映版(63年。主演片岡千恵蔵)の敵は五十三人ですが、僕のは二百人にしました。松方さんを東映版にはない『年寄りなのにいちばん強い』キャラクターにしたのは脚本の天願大介さん(今村昌平の長男。現日本映画大学学長)と僕です。松方さんの殺陣になると、俳優たちがみんなぞろぞろ見に来るんです」

三池さん、庄内映画村(現スタジオセディック庄内オープンセット)は庄内町じゃなくて鶴岡市にあるのでよろしくね。それはともかく、あの映画では確かに松方弘樹の殺陣だけが他と歴然と違っていた。“時代劇の伝統”をひとりで背負っているかのように。

「僕は諸先輩のまねをしているだけです。それぞれの色や味があるんです。(嵐)寛寿郎さんには寛寿郎さんの、阪妻さんには阪妻さんの色があって、千恵蔵先生も右太衛門先生もそれぞれの型があって違うもの。うちの父親も、勝(新太郎)さんもしかりです。若山(富三郎)さんも上手いですよ、立ち廻り。富兄ぃはとくに槍が上手かった」

松方は左利きを矯正するために他人以上の努力をしていたのである。日本一立ち廻りがうまい役者と言われていた、近衛十四郎の息子としてのプライドもあったわけだ。

柳生一族の陰謀」は、巷間伝えられていることが本当だったことがわかりました。

「錦兄ぃの芝居に誰もついていけないんですよ。錦兄ぃが120%の熱演じゃなくて80%くらいまで落としてくれると、みんなついていけて、そのシーンはすごくバランスがよくなるんです。でも錦兄ぃは全力で、120%出し切ってやりますから、共演者がアップアップなんです。」

このバランスの悪さこそが、あの映画を傑作たらしめたのかもしれないのだが(笑)。以下次号

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無冠の男PART4

2017-08-28 | 芸能ネタ

PART3はこちら

松方弘樹といえば、お若い方々には映画スターというより、巨大マグロを釣ったり、“あの人”のそばで汗を拭いていた印象が強いかも。

「(天才たけしの元気が出るテレビ!に出演を決めたのは)ビートたけしという男に会ってみたかったからです。1%の賛成もなかったけど自分で決めました。」

「たけしさんとは、収録が終わると毎回飲んでました。バイク事故を起こす直前もじつは一緒でした。毎週、たけしさんの馴染みの寿司屋でスタッフみんなで飲んで、そのあと川崎堀之内のたけしさんの行きつけのソープランドに行くんですよ。表方さんも裏方さんもみんな引き連れ、ソープを貸し切りにして、しまいには、スタジオに堀之内のソープの社長さんが迎えに来るようになりました(笑)。」

なんて番組だ。そして、フライデー編集部襲撃事件の話になる。

「謹慎中のたけしさんから京都の僕の家に電話がかかって来たんです。東京からポルシェで走ってきたけど、タイヤがパンクしそうだって。すぐに迎えに行って、京都西山の家へ連れてきて、たけしさんはそれからずっと僕の家にいました。僕も苦手なMCをやらされて、『戻ってこい、たけしさん!』って叫んでました。ホントは僕の家にいたのにね(笑)」

そういうことだったのかあ。知らなかったなあ。いい話です。かと思えば……

「(昭和残侠伝 吼えろ唐獅子)僕も意気に感じて頑張ったんです。初号試写の日、映画が終わって、場内が明るくなるとみんな手を叩いてくれて……ホッとしました。すると健さんが『弘樹ちゃん、よかったねぇ。女遊びすると、お芝居うまくなるんだね』とこう言ったんです。初号試写ですから撮影所長以下全部いるわけですよ。場内が静まり返りましたね。(略)健さんはものすごくバリアを張る人で、ぜんぜん男らしくない。“男高倉健”はまったく虚像です。僕はほんとうに先輩方に恵まれましたが、高倉健はそのなかで唯一、好きになれなかった先輩です。」

これも知らなかった。おわかりだろうか、文章でこうなのである。よほど高倉健についてはいい思い出がなかったのがうかがい知れる。以下次号

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無冠の男PART3

2017-08-26 | 芸能ネタ

PART2はこちら

遅れてきたスターである松方は、常識外れっぷりでも先輩たちを踏襲している。

「酒についていえば、先輩たちはみんなブランデー飲んでいました。(江利)チエミさんにしても水原弘にしてもお嬢(美空ひばり)にしてもほとんどの人がブランデーなんです。当時はXOなんてとても手に入りませんから、ヘネシー、マーテル、レミー(マルタン)、この三銘柄なんです。で、あとはジョニ黒があったり、それがウイスキーでは最高級でした。当時はいまみたいに焼酎飲んでいる人はひとりもいません。あれは消毒薬で、飲むもんじゃなかった。」

……悪かったな消毒薬ばっかり飲んでて(笑)。にしても、大酒飲みは大酒飲みとつるむんだねえ。お嬢はともかく、水原と江利チエミは酒で死んだんじゃないか。松方にしても、ウイスキーのボトル二本を連日空けるという酒豪ぶり。

「(勝海舟収録時)毎週、収録が終わると十数人で赤坂、六本木を飲み歩きましたね。北村総一朗は酒癖が悪くてどうにもならなかった(笑)。小林桂樹さんも飲んだらすごいからね、あんな顔して一番イケイケだからね。ショーケンは飲んでも飲まなくても変わらずあんな感じ。」

……意外だ(笑)。

酒豪方面のネタが出れば、当然別の方面のネタも。

「そのころ(60年代初頭)、僕がちょっと恋仲になった芸妓さんがいたんです。彼女は十代だったと思うなあ。そのころのお茶屋(花街で芸妓を呼んで遊興する店。東京の「待合」)はおおらかというか、お風呂もお茶屋で入れてもらえて、それで彼女と一緒に寝るわけです。寝ているうちに、寝物語でその芸妓さんが市川右太衛門さんの落とし胤だって打ち明けたんです。びっくりしましてね、俺は殺されると思って……というのも、市川右太衛門さんというのは、片岡千恵蔵とともに僕らにとっては天皇陛下より偉い人ですから。だから、僕は干されるというよりたぶん殺されてしまうんじゃないかって。おそらく本妻のお子さんじゃないと思いますけれど。」

ということはこの女性は北大路欣也と腹違いの姉妹ということになる。へー。以下次号

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